高知県「早明浦豪雨」を振り返って

西村卓士(Takashi Nishimura、高知県土佐町長)

「砂防と治水168号」(2005年12月発行)より

1.四国のいのち
 日本三大河川の吉野川は,水源から河口まで194kmの四国一の大河です。この源流域に近い私どもの町に昭和48年,吉野川総合開発計画に基づいて建設されたのが四国四県を多目的にうるおす「水がめ」早明浦ダムです。
 多目的ダムとしての有効貯水量2億8,900万m3は日本一を誇り“四国の命の水”として,これを育む水源地域と下流の利水地域との交流拠点ともなっています。年平均雨量2,500〜3,000mmの多雨地帯であり,雨期の洪水,また,渇水期ともに全国をお騒がせするダムでもあります。

2.空振りに終わった行政視察
 平成16年は高知県に6つの台風が上陸するという異常な年でした。私ども,高知県の土佐郡・長岡郡町村会(7町村)の首長は,2年に1度の行政視察として8月18日に秋田市で開催される「森林環境・水源税フォーラム in あきた」に参加すべく8月17日午後,秋田市に入りました。合併に伴う旧本川村長の送別を兼ねた懇談に入って間もなく,大川村長の携帯電話が矢継ぎ早に鳴り始め,豪雨により村全体が非常事態にあるとのこと。
 また,数時間後には,土佐町からも情報が相次ぎ,両町村はパニック状態に陥ったとのことでした。両町村長は一夜明けた18日早朝,フォーラム参加を断念し,急遽,秋田空港から帰路につき,午後には帰町村。それぞれ初めてその被害の甚大さを知らされたものでした。

3.早明浦豪雨
 台風15号の前線による集中豪雨は,8月17日未明から20日午前0時までに早明浦ダム上流域の吉野川支流,瀬戸川流域の川井地区で1,086mm,大川村小松地区で1,055mmを記録していました。これは,多雨地帯である当地域の年間雨量の約1/3が3日間足らずで降ったこととなり,特に土佐町の川井地区では17日の午後4時から6時までの2時間に256mmを記録しました。
 国土交通省四国山地砂防事務所による直後の上空からの調査によると,両町村の川井〜小松間をほぼ中心に東西の幅約9kmのエリアで猛烈な豪雨となり,周辺の土砂崩れを一気に誘発したのではと分析されています。

4.被災の状況調査
 一夜明けて早朝より消防団長,助役らと瀬戸川上流域の峰石原地区から徒歩での調査に入りました。流域内の県道,町道,農林道は山腹からの大規模な山崩れ,崩落を含めてずたずたに寸断されており,芥川,黒丸,下瀬戸集落を経て約4時間後,流域の南川集落(川井地区)へ。豪雨が過ぎて2日目だと言うのに道路は至る所で滝のように流れていました。
 ここでは県道上部の家屋,墓地が崩落し道路に遺骨が散在しており,集落の高齢者や婦人ら約20名が人力による共同作業で必死に崩土の取り除き,家屋の片付け,遺骨収拾にあたっている姿は痛ましいものがありました。

5.効果を発揮した砂防堰堤
 この地域は町内でも最大の雨量を記録しており,周辺には小中学校跡地(現集会所)や,老人憩いの家,人家があり,この中心地を上部からイシガ谷が瀬戸川に流れ込んでいます。以前から土石流の危険箇所として,地域住民は雨期になると不安な日々を送っていましたが,地域の要望に対して,平成3年1月に直轄砂防事業としてイシガ谷堰堤,流路工等を建設して頂き,当時7戸の住民はやっと平常の生活を取り戻していました。
 完成して13年,このたびの早明浦豪雨により,このイシガ谷上流の山腹が数箇所にわたって崩壊。土石流は一気に下流へ,懐の広かった堰堤は一瞬にして満杯までに捕捉。この現状を目の当たりにした時,改めてこれは砂防事業の効果が最大限に発揮されたモデル事例として認識を新たにするとともに,地区住民の生命,財産を救った砂防施設に対する感謝の念はいつまでも忘れることはないでしょう。

砂防えん堤が土石流を捕捉し,下流の被害を軽減(イシガ谷えん堤) 山腹崩壊により県道が寸断(七尾地区)

6.高齢者と避難者の安否確認
 調査は瀬戸川から早明浦ダムへの流入地点まで下り,南川集落の七尾地区へ。この地区では偶然,町の保健士と社会福祉協議会職員(ヘルパー)に出会う。彼女らは非常食や血圧計をリュックに背負い,孤立した南川集落の独居老人や避難者の安否と健康状態確認のため,数名のグループ編成で被災地を歩いて訪問しているとのこと。町担当課と社協職員連携による速やかな対応にふれ,町の責任者として胸を打たれました。
 調査を始めて約7時間,大川村との町村界に到着した時点で役場に帰る方策は? ダム沿いに歩いて下っても,元に引き返しても日没となる。消防団長の機転で南川分団のダム湖専用消防艇を出して頂き,満水の湖面一面に浮遊する流木の合間を慎重に切り抜けながら約1時間,早明浦ダム堰堤付近まで送って頂き,その日1日の調査を終えました。

7.被害の総括
 今回の豪雨による町独自対応の災害は道路,河川,農林業施設等合わせて100件を超え,約6億円の被害額となり,町内での県土木,県治山,国の直轄事業採択分も合わすと約30億円にものぼりましたが,各集落ともに住民の自主的な避難効果もあって,1人の犠牲者も出なかったことは不幸中の幸いでした。
 また,未曾有の集中豪雨を目の当たりにした時,両町村総じて,山腹崩壊による土石流の流出が直下流の道路や人家を直撃,崩落させている大きな原因となっていると言えます。このことは裏返せば,戦後の国の林業施策とした全国的な人工林化(杉,桧)が,グローバル化の中で外材に圧倒され採算が立たず放置され,うっそうと繁った林内は全く保水力がなくなり,一度の豪雨で根こそぎ剥ぎ取られ,流木と土石流相まっての大災害の主たる原因となっています。
 吉野川総合開発による早明浦ダムは約400世帯を水没化し町村外に流出,過疎,高齢化の進行する中,不在地主による森林面積は本町だけでも4,758ha(33.4%)に達しており,特に放置されたダム周辺では,山腹の崩壊や地すべりの誘発が顕著に現れています。今こそ,国土保全のうえからも林野庁,国土交通省が一体となって速やかに,対応しない限り国民の水資源を伴う日本の国土は早晩に自滅するでしょう。

8.今後の課題
(1)情報収集機能の確立
 早明浦豪雨災害で最も教訓となったのは,完全孤立集落の情報収集です。道路の寸断,電話の不通,携帯電話の圏外地区,停電,断水と,被害から数日間はもはや生活できる状態になかったと言えます。そして安否確認でさえも徒歩による人海戦術に頼らざるを得なかったことです。
 今,とりあえず携帯電話の圏外解消と消防無線の通信網整備のため,制度導入を申請中です。
(2)行政職員の適切な判断,対応
 隣村の大川村は村全体が被災し,特に白滝で合宿中の高知市の小学生約160名が完全孤立し,ヘリコプターによる救出作戦等でマスコミや県の対応が大川村に集中したため,本町の情報は大幅に遅れることになったが,調査,対策面では予想以上の迅速な対応ができたと考えています。これは災害対策本部の第一配備に属する各課の管理職員12名の殆どが土木建設畑の職場の経験者であったことから情報に対する受け応え,指示伝達,調査班の編成等それぞれの立場で迅速なリーダーシップがとれたこと,このことは行政上の適切な対応であったと受け止めており,今後の防災計画に活かしたいと考えています。
(3)迅速,的確な避難誘導
 平成16年には町として初めての避難勧告を発令しましたが,避難中も住民はこれまでにない河川の増水に見とれるなど,我が身の危険性を悟れていない者が殆どであり,その反応に苛立ちさえ覚えたものです。今後,避難場所への迅速な誘導はもとより避難勧告についても空振りの結果は覚悟の上で適切な対応を図りたいと考えています。
(4)自主防災組織の重要性
 地球温暖化による異常気象が多発し,災害原因も既定化していく中で,特に間近に迫る南海地震を想定した時,瞬時に対応できる行政と住民の役割を明確化し,双方がその対応を充分に認識しておくこと。また,地域住民による自助の備えとしての自主防災組織の設立を各集落に義務付け,住民の日頃からの危機意識の醸成に努めなければならないと考えています。

おわりに
 一年余り前の豪雨を振り返っての執筆でありましたが,あの恐怖感さえ覚えた状況から一年経って,復旧工事は急ピッチで進み,住民の生活が元に戻りつつある中で,その体験の記憶が早くも薄れていることに自ら気付き,「喉元過ぎれば…」にならぬよう,今更ながら防災意識の重要性を新たにしています。
 ともあれ,本年は近年にない異常渇水の中で「第19回森と湖に親しむつどい さめうら湖フェスティバル2005」が早明浦ダムをメイン会場として執り行われ,約15,000人に自然美豊かな吉野川流域の「森と水の里」を満喫して頂きました。いつまでも平穏な年でありたいものです。