災害の教訓から学ぶ自主防災の取り組み

赤澤申也(Shinya Akazawa、香川県さぬき市長)

「砂防と治水169号」(2006年2月発行)より

1.はじめに
 さぬき市は,香川県の東部に位置し,東は東かがわ市,西は木田郡牟礼町が高松市に編入合併されたことにより,県都高松市及び木田郡三木町と接するようになり,南は徳島県美馬市に接しております。
 市の南部は,讃岐山脈から連なる中山間地域で,鴨部川,津田川などの源となっています。中央部は平坦地で,肥沃な耕地が広がっており,農業地帯であります。北部は,瀬戸内海国立公園を含む地域と市街地と工業団地など,都市的な性格を有する地域が並存しています。気候は瀬戸内海式気候区に属し,四季の区分がはっきりとし年間を通じて雨量は少なく温和であり,高松気象台の資料によれば,年間で最も寒い月は2月で4〜5度くらい,最も暑い月は8月で年によって月平均が31.8度(昭和28年)に上がったことがありますが,だいたい26〜27度くらいが月平均です。年間を通じて,最低平均は10度くらい,最高平均は20度くらい,平均15.6度で,しのぎよい気候であります。
 「瀬戸内式気候」は,太平洋や日本海から湿った季節風が吹いても,四国山脈や中国山脈などに遮られ,瀬戸内海に入ってくるときは,乾燥した状態になり降雨量が少なくなります。そのため,香川県内で14,619箇所,さぬき市では1,788箇所と非常に多くのため池があり,その大部分は江戸時代に作られたと言われています。つまり,香川県は江戸時代より豪雨とはあまり縁のない県であったわけです。
 さぬき市の面積は158.88km2で,東西12.3km,南北22.5kmであり,県下では今のところ高松市,三豊市に次いで3番目の広さです。
 平成17年度国勢調査速報によれば,さぬき市の人口は55,753人で,昭和60年に57,152人,平成2年57,604人,平成7年には58,390人と増加を続けていましたが,平成12年には57,772人と減少に転じ,今回の国勢調査では2,019人,3.49%と大きく減少しました。
 道路網については,東西幹線として北部地域には国道11号,南部中山間地域には国道377号,中央部には県道高松長尾大内線バイパスがあります。南北幹線としては,県道志度山川線や県道津田川島線などがあり,さらに,高松自動車道が開通し,さぬき市内には津田の松原SA,志度IC,津田寒川IC,津田東ICが設置されています。京阪神方面には2〜3時間程度で行くことが可能であり,今後一層,京阪神との交流が図れるものと期待されています。
 鉄道については,JR 高徳線が市内の志度,長尾,寒川及び津田を通っており,6つの駅を有しています。また,高松琴平電鉄志度線及び長尾線の各終着駅があり,いずれも高松まで30〜40分で行くことが出来ます。

2.災害の少ない市が一変
 平成16年の台風16号の接近が,一年中で最も潮位の高い大潮の満潮と重なり,潮位が2.45メートルとなり,市内沿岸部の津田,鶴羽,志度,鴨庄及び小田地区では,海水が市街地にあふれ,床上,床下の浸水家屋が846戸に達する高潮被害に見舞われました。
 9月1日には,さぬき市に対して災害救助法が適用され,さぬき市台風16号災害復旧対策本部を設置するとともに被災窓口を設置しました。
 復旧作業が本格化した9月2,3日の両日には延べ数で,さぬき市建設業協会から,トラック約70台,重機10台,約100人の作業奉仕の協力をいただき,また,日本赤十字社からの支援物資や地元企業から約2,000枚の衣類の提供,そして,志度中学校2年生の作業奉仕がありました。
 台風16号の高潮被害の衝撃が癒えはじめた10月20日,台風23号が四国地方に接近しました。台風16号被害の教訓から水防本部の体制を早くから強化し,市内全域の巡視等にあたりましたが,雨の勢いは増すばかりで,高潮警報もあわせて発令されたため,午後1時に沿岸部市民(5,000世帯,13,500人)に対する避難勧告を行いました。
 しかし,志度地区の海岸部にある本庁舎内水防本部が高潮に対する警戒に集中している間に,大川地区,寒川地区等山間部では時間雨量最大125mmの豪雨が降り,危険な状況になったため,午後1時50分,市内全域(19,000世帯,56,000人)に避難勧告を発令しました。19〜20日の連続雨量は500mm以上を観測し,ほとんどの観測所で,既往最大降雨量を更新しました。香川県の年間降雨量は約1,000mmであり,この雨がいかに記録的な豪雨であったかが理解できます。
 その後,市内の主要河川に氾濫の危険性があると判断し,午後2時25分には津田川,鴨部川流域地区(11,000世帯,33,000人)について避難指示を発令しました。
 しかし,台風の猛威は容赦なく続き,大きな土石流の発生した地区では,多くの家屋が流失,損壊,浸水し,いたるところで道路が寸断され,農地が流出するなど,大きな被害が発生し,台風23号による被害は,公共土木施設災害被害189箇所,農業施設災害被害800箇所,死者5人,家屋の全壊20戸,半倒壊7戸,床上浸水939戸,床下浸水2,133戸という結果となりました。2度にわたる甚大な台風被害に見舞われた本市は,激甚災害に指定され,市職員を災害復旧担当部署に異動させ,総力を挙げて復旧事業に取り組むこととしました。

土石流被災状況

3.西会津町の土砂災害の歴史
(1)昭和31年発生の集中豪雨災害
 本町では,過去に集中豪雨による土砂災害で家屋の倒壊や流失,そして,人の命まで奪われた大きな災害が幾たびか発生しております。その中でも,昭和31年7月16日から17日にかけて発生した,黒沢地区の大水害は想像を絶する悲惨な出来事として,人びとの記憶に残されております。
 16日夜半から降り続いた雨により,土石流が発生し冠水した田畑は約623ha,家屋の倒壊や流失は145戸,死者・行方不明者10名,負傷者7名,その他,道路の決壊190カ所,橋の流失が83カ所等など,本町にとっては過去に体験したことがない甚大な被災状況となった豪雨災害でありました。
 この被災により,住居を失った方や田畑の流失で生きる糧を失った黒沢地区の住民のうち9家族が,再起をかけて新天地ブラジルに集団移住したことは,記憶に残る出来事であり,移住された皆さんが現在も元気で過ごされていることは,黒沢地区の住民はもとより西会津町民すべての喜びであります。
(2)平成16年発生の集中豪雨災害
 活発化した梅雨前線が長期間停滞したため,本町にも記録的な雨量をもたらしました。
 7月12日夜半から降り続いた雨は,3日間の総降水量が210.5ミリを観測し,本町の主要な交通機関であるJR磐越西線の運休や磐越自動車道,国道49号,県道などの幹線道路の通行が出来なくなるなど,陸の孤島となってしまいました。一方,飯豊山系に集中的に降り続いた雨により,弥平四郎集落では,河川の増水で堰堤が決壊する恐れや土石流発生の危険が迫ったことから,地区住民が自主的に緊急避難場所へ集まり,災害から人命を守ったことは,災害に対する危機意識の高まりと,緊急時での適切な判断の結果であると考えます。

被災状況 砂防堰堤竣工

3.復旧状況
 市内において最も被害の大きかった森行地区を,香川県が主体となり,災害関連緊急砂防事業・砂防激甚災害対策特別緊急事業による砂防事業として,5箇所の砂防堰堤新設工事にいち早く取り組んでいただいております。
 また,市民,県,市の相互協力により復旧事業は着実に進捗しており,平成17年度においては,約9割の復旧工事に着手し結果を出してきております。災害による被害そのものは本当に残念なことでありましたが,一方において,このように力を尽くした経験というものは,間違いなく私たちの財産として残るものであると思います。

4.自主防災組織への取り組み
 東南海・南海地震への対応が迫られている中で震災対策を地域防災の主眼とし課題対策に取り組んできましたが,2004年の相次ぐ甚大な台風災害を受け,水害に対する防災基盤の脆弱性が明らかになると共に,災害時における行政の危機管理体制のあり方や,市民の日頃からの防災意識の向上と自主防災組織の取り組み体制も課題として明らかになりました。現在のさぬき市における自主防災組織数は,123組織であり,結成率は34.1%と低いものではありますが,その内86組織は平成16年度以降に結成されており,自主防災組織の必要性,重要性が少しずつ市民の中に浸透して行っていると思われます。組織の結成への課題としては,「高齢者社会」「市民の危機意識の向上」「世帯数の減少」等が考えられますが,今後,組織のリーダーに対する研修会の開催等を通じ,防災知識の普及等,啓発活動により,防災意識の高揚を図り,実質的な活動が出来る組織の結成を促進していくことが重要であると考えています。

着手している砂防堰堤