平成16年災害と今後の取り組み

俵徹太郎(Tetsutarou Tawara、元徳島県池田町長)

「砂防と治水170号」(2006年4月発行)より

1.蔦野球と池田町
 池田町は四国の中央部に位置し,古くから交通の要衝で,中央部に位置することから「四国のへそ」とよばれ,宿場町,煙草の町として発展してきました。
 総面積167.8km2,人口15,891人で82%が山林原野で形成されており,地形的には讃岐山脈と四国山脈を分断する四国三郎,吉野川が大きく右折する地点にあり,香川県の命の水を供給する池田ダム湖を抱えた深い緑と豊かな水に囲まれた町であります。
 本年3月1日に6町村が合併し,香川県の約三分の一を超える県下最大の行政面積となる約722km2, 人口約34,000人の三好市として生まれ変わります。
 本町は,昭和49年春,後に「攻めダルマ」と言われた蔦監督のもと,甲子園の準優勝で「さわやかイレブン」として名前を知られた池田高校がございます。昭和57年夏の甲子園で「山びこ打線」が爆発,「山あいの子供たちに1度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」こうした蔦監督の夢が大きく花開き,春夏制覇を達成。山の中の徳島,池田の名を一躍全国的に轟かせてくれました。
 しかしながら池田町におきましても,日本国有鉄道や日本電信電話公社の民営化,日本たばこ産業の撤退等により雇用の場の喪失,少子高齢化,過疎化が急速に進行し,深刻な状況となっております。
 しかしながら,私達の住む街には地域に伝わる伝統,文化,豊かな人情,美しい景観ときれいな空気,そして日本有数の豊富な観光資源が存在します。
 「ここに生まれてよかった」「ここに住んでよかった」「ここを訪れて楽しかった」そんな言葉の聞こえてくる「文化あふれ,人々が行き交い,安心して住み続けられる」観光と交流のまちづくりを目指していきたいと考えております。

蔦監督

2.平成16年度台風被災
 
平成16年,池田町では,7月31日から8月1日の台風10号を皮切りに,10月19日から20日までの台風23号と相次いで6個の台風に襲われ,多大な被害を被りましたが,幸いにも亡くなられた方がおりませんでした。8月30日の台風16号,9月29日の台風21号では池田町市街地を含め,過去に例を見ない災害が香川県境に集中的に発生しました。
 この2回の台風では,池田町内のふれあいと憩いの場である池田湖水際公園と,甲子園と同様の土で造った池田高校のグラウンドでもある野球場を含む吉野川運動公園が,増水により初めて目を覆うばかりの被害を受け,一年以上使用不能となりました。
 昭和50年完成の池田ダム以降,浸水被害のなかった市街地でも,吉野川の増水により午後10時頃より本流が水路を逆流,床上浸水16世帯,床下浸水9世帯,その他大型トラック,乗用車も多数冠水被害をうけました。池田町での雨量は台風16号で総雨量120mm,21号では220mmでありましたが,吉野川の増水は池田町に降った降雨量に係わらず,「四国のみずがめ」である高知県苓北地域等の雨量により大きく左右され,2度とも,同レベルの水位でありました。また同時刻,香川県境にある野呂内地区では,災害対策本部に「大変なことになっている,助けてくれ」との電話が相次ぎましたが,夜分,台風の中でもあり,そこに行くまでの国道32号線の崩壊の報告もあったため,田舎の家屋は昔から比較的尾根の安全な場所にあることから「危険ですので家から出ないで下さい」と言うのが精一杯の返事でした。後から思えば家屋の横付近は河川の氾濫,土砂崩壊により大変な状態になっていましたので,家の中に居たことで人的被害を受けずに済み,ほっと胸をなでおろした次第であります。

被災状況

3.その後の修復
 被災直後の朝,一番被害の大きかった野呂内地区を,徒歩で池田町ケーブルテレビ撮影班と共に現地に赴きましたが,県道は土石流と,流れて来た倒木により,歩くことも困難な状況でありました。翌日,防災ヘリを要請し,上空より被災地を視察しましたが,いたる所で山の頂上より最下流まで激しい土石流の跡を目の当たりにしました。
 砂防堰堤が上部に設置されていた野呂内小学校では,その堰堤により直撃が避けられ,この施設のありがたさを痛感した次第であります。
 池田町におきまして,この年の被害総額は公共土木施設で137カ所,約920,000千円,農林業施設で81カ所,約200,000千円で過去最高の被害状況でありました。
 復旧につきましては,ケーブルテレビ等の呼びかけで,10月2日よりボランティア活動に一日で百数十名の方々が毎日鍬,スコップ等持参の上来てくださいました。また,池田町建設業界より土木業者の方々もボランティアとして駆けつけてくださったり,家屋に入った土砂の撤去,女性による炊き出し,徳島県におきましては,被災翌朝から早急なライフラインの確保に努めていただきました。
 このような復旧に追われる状況下,地域住民の方々も行政機関と共に,毎夜住民会議を開催し,神社の復旧,水道施設の復旧,被害状況の把握に奔走しました。
 現在,国や県,住民の皆様,ボランティアの方々等のご協力をいただき,公共施設災害復旧事業,緊急砂防事業,緊急治山事業等によりほとんど完全に修復致しております。

4.今後の対応
 風水害,土砂災害,比較的高い確率で起こるであろうと言われている東南海地震,私達は常に災害に遭う危険にさらされています。
 あらゆる災害に対して常に準備をし,災害に見舞われたときは「まず自分を守る」,次に「家族を守る」,そして「隣近所の人達を守る」。
 大きな災害が起きた時のため,自主防災組織を作り,常の訓練,必需品の準備等が大切であろうと思います。
 この防災組織により,いつも顔を合わせるご近所さん同士が平常時から避難場所の確認や互いの生活形式の理解などを進めていくことで助け合いが容易になると考えます。
 そのため,街全域に自主防災組織を結成し,あらゆる災害に負けない地域づくりに取り組んで参ります。
 この度の災害に対し,ボランティア活動で復旧にご尽力を頂いた多くの方々に,心より御礼申し上げます。