平成17年7月10日の梅雨前線集中豪雨災害を受けて

坂本和昭(Kazuaki Sakamoto、大分県九重町長)

「砂防と治水171号」(2006年6月発行)より

1.九重町の概要
 九重町は,大分県の南西部に位置し,271.41km2という広大な面積を有している。山林・原野の面積は212.77km2で,町の面積の78.4%を占め,さながら緑の宝庫と言えます。
 町の中央部には筑後川の上流である玖珠川が東西に流れ,西側は耕地や山林が開け,東南には標高800mから1,700mに達する九州本土の最高峰である九重山群がそびえています。また,標高350mから1,000mの間に耕地が段階状に散在しています。
 気候は内陸山岳地帯で,1月の平均気温は3.0℃で,8月の平均気温が26.8℃というように,寒暖の差が大きく,東北地方から九州を内包した気象条件を持った町です。また,豊富な水と温泉,地熱などの自然資源と加えて渓谷や名瀑に富んだ自然景観を有しています。
 平成17年度国勢調査速報値によれば,九重町の人口は11,108人であり, 昭和30年の合併時が21,316人,平成12年には11,566人と年々減少を続けており,九重町は,すでに少子・高齢化社会が到来しており,地域の担い手となる人々の減少と高齢者の増加による地域社会の変容が予想されています。そこで,各種産業支援,高齢期を健やかに過ごすための環境整備,健康・福祉対策や学校教育等,各分野での対応が課題となっています。
 九重町は,農業とともに林業や畜産業からなる第1次産業と,豊かな自然環境と温泉資源を活用した観光産業が産業の柱です。観光客の動向を見ますと,高速自動車道の整備により,福岡・北九州都市圏の方々を中心に,年間約550万人の方々が九重町を訪れています。しかし,宿泊者数は1割に満たず,通過型の観光地となっていることから,本年10月の完成に向けて日本一の吊橋(長さ390m・高さ173m)の工事が進められており,この吊橋を地域づくりの拠点として活用し,滞在型の観光地づくりを行いながら,各産業の振興と地域経済の活性化を目指しています。
 九重町の特有の資源である「地熱」については,発電利用(地熱発電所3箇所・発電量日本一)にとどまらず,農業利用等を含め,多面的・多段階的に利用しようと「地熱ミュージアムタウン構想」を掲げ,クリーンな地熱の活用を推進しています。

2.山間地域での集中豪雨の怖さを痛感
 平成17年7月8日から12日にかけて,九州中部に停滞した梅雨前線の発達により,記録的な豪雨を観測し,山腹崩壊による土石流災害で1名(その他2名)の尊い命が失われたほか,多数の住家被害(全壊3棟・床上浸水16棟)や道路・橋梁被害が36路線,また,農地災害が49haと被害状況は甚大なものになりました。
 特に,7月9日の総雨量は150mmでしたが,7月10日午前2時から午前3時までの1時間雨量が55mm,午前3時から午前4時までの雨量が84mmを記録し,実に2時間で139mmと想像を超える雨量となりました。長く続いた降雨により,山肌にたっぷりと水を含んでいる中での記録的な大雨で,一気に山腹崩壊が発生し,多量の土砂や流木が山肌を下り,住家を押し流し,道路や橋梁を損壊し,農地を埋め尽くしてしまいました。

石原川(被災状況)

 午前2時30分に大分県西部地域に大雨洪水警報の発令を受け,午前3時に第1次体制である「九重町災害対策連絡室」(防災担当職員3名)を設置し,情報の収集に当たりました。その直後から,「自宅が床上浸水をしたが,流木で避難ができない」「旅館街で河川が氾濫し,ガスボンベが流れている」,あるいは「家が流され,行方が分からない人がいる」等の切羽詰まった声で,次々と被害情報が連絡室に入ってきました。
 そこで,私は「九重町災害対策本部」の設置に向けて,非常呼集で管理職全員の登庁を呼びかけ,午前4時に九重町災害対策本部を設置し,担当班ごとに被害情報の収集体制に入りました。その後にも,「土砂崩れで,行方が分からない人がいる」「ライトを点けた車が川に転落するのを見た」など,人命に関わる情報が寄せられ,対策本部内が緊迫感に包まれました。
 そういう緊迫した状況の中に,追い討ちをかけるように午前4時25分に大分気象台は「九重町付近では,過去数年間で最も土砂災害の危険性が高まっており,厳重に警戒すること」との警報を発令しました。
 行方不明者の捜索活動のために,午前7時15分に大分県知事に対し「自衛隊の派遣」を要請し,午前9時の自衛隊の到着後,直ちに土砂災害による行方不明者の捜索活動に入り,3時間の捜索活動で行方不明者1名の遺体の収容が終わりました。
 また,九重町営簡易水道の配水施設の損傷により,断水状態になったことから,自衛隊に給水活動の要請を行いました。その後も大雨が続いていることから,再三にわたり防災行政無線で自主避難(25世帯63人)を呼びかけました。また,親子2名の行方が分からないという情報と「ライトを点けた車が川に転落するのを見た」という情報が一致することから,避難する際に,増水した河川に車ごと転落した可能性が高いと判断され,警察や消防署・消防団での捜索活動が開始されました。この捜索活動は1週間にわたり実施され,親子2名は遺体として収容されました。
 このように,今までに経験したことのない想定外の災害でありましたが,関係機関や多くの団体の皆さんの深いご理解を得まして,災害対策本部の任を終えることができました。


筋湯川(ひぜん湯被災)

第2筋湯川(被災状況)

3.復旧状況
 今回の災害で,公共施設や公共土木・農林業災害で甚大な被害を受けましたが,国と大分県により,災害関連緊急砂防事業や災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業など,いち早く取り組んでいただき,復旧事業は着実に進捗しております。
 今回のように国,県,町,住民がお互いに力を尽くした経験というものは,間違いなく私たちの財産として残るものであり,また,災害時の教訓として今後の対応に活かしていかなければなりません。

4.今後の災害に備えて,自主防災組織の確立の必要性
 今回の災害を教訓として,今後の災害予防への取り組みを強化しなければなりません。行政を含めて住民とが一緒になって,如何に防災意識を向上させ,防災力の強化と災害に強い地域を創造するかということが大切であります。
 災害時の対応としては,先ずは自助(自らで守る),そして共助(地域皆さんで守る),その次に公助(行政で守る)という三位一体での取り組みが必要であると考えています。人的に自然災害や地震等の災害を防ぐことはできませんので,災害を如何に小さくするか。いわゆる「減災」を如何にし,人命や財産等を守っていくか。そういう取り組みを積極的に推進しなければ,真に災害に強い地域づくりはできません。
 そこで,147行政区単位に「自主防災組織」は存在するものの,活動が停止状態になっていることから,地域の自治消防団と連携し,平常時において地域内の危険箇所の点検行動や高齢者等要援護者の避難誘導をどうするか等の計画づくり。また,災害時には避難誘導・救出・救助,災害に対する正しい情報の収集・伝達体制,避難所の管理運営等,「自分たちの地域は,自分たちで守る」という意識の向上を図らなければなりません。
 特に,九重町の場合は,観光地であることから,各地域の観光協会や旅館組合等で,災害時の観光客に対する安全対策や避難誘導をどうするか。これらの各地域ごとのマニュアルづくりをしなければなりません。幸い,今回の災害時には,各ホテル・旅館ごとに,家族・従業員・観光客の数を随時把握され,避難を要する事態が生じた場合の対応が,的確に確立されていました。この例をもとに,各温泉郷や地域ごとにそうしたマニュアルづくりも,自主防災組織として取り組んで行かなければなりません。

5.終わりに
 最近では,局地的にしかも短時間で大量の雨が降り,甚大な被害を受けるという傾向になってきています。局地豪雨は,いつ・どこで起こるか分かりません。また,九重町の場合は,多くの活断層があることや活火山もあることから,住民を含めた危機意識の高揚が必要ではないかと考えます。
 また,災害が発生した場合の支援ボランティアの育成や,企業等との災害支援協定の締結なども検討しなければならない課題であると思っています。一方では,現在の有事に即,対応できるように地域防災計画の見直しも行わなければなりません。
 最後になりましたが,今回の災害復興に対して,国・県をはじめ,関係機関の多大なご協力と,災害時には各方面から温かい見舞い品や義援金をいただきまして誠にありがとうございました。皆さんのご好意を肝に銘じ,一刻も早い復旧に努めて参りますので,今後とも引き続いたご指導,ご鞭撻をお願いします。