「記憶の継承」土砂災害そして戦争について

山下三郎(Saburo Yamashita、広島県廿日市市長)

「砂防と治水173号」(2006年10月発行)より

はじめに
 
昨年は,終戦,そして,広島・長崎に原子爆弾が投下されるという悲惨な出来事から60年目にあたる節目の年でしたが,記憶の風化や継承についての問題も提起されました。
 私は,被爆市長として,あらゆる機会を捉えて,次の世代に「戦争の悲惨さ」をお話するとともに「平和の尊さ」を訴え続けています。
 私は常日頃,「20世紀は戦争の世紀であった。21世紀は環境悪化や地球の温暖化により,災害の世紀ではないか」と考えています。まさに,それを裏付けるように,日本で,また世界各地で,災害が頻発している状況です。
 このようなことから,本市に関連する過去の土砂災害,最近の災害とその対策事業などについて述べさせていただき,これが次世代への記憶の継承につながればと考えています。

廿日市市の紹介
 廿日市市は,平成15年3月に佐伯町・吉和村と,平成17年11月には大野町・宮島町とそれぞれ合併し,広島県西部拠点都市としてスタートしました。新生廿日市市は,広島市に隣接し,人口約11万9千人,総面積約489km2で,市域は,南は瀬戸内海から北は島根県に接するまで拡大し,冬にはスキーが楽しめ,夏には海水浴ができ,しかも世界文化遺産である厳島神社を擁する全国でも希なまちとなりました。
 産業では,西日本有数の規模を誇る外材輸入港及び木材工業団地などがあり,建材,家具,小木工品は市の主要産業となっています。最近では,交通利便性の良さから食品や物流関係の企業進出が増えています。また,山の幸,海の幸も豊富にあり,特に広島名産となっている牡蠣やアサリは有名です。
 観光では,世界文化遺産登録10周年を迎えた「宮島」を始めとして,海,川,山の豊かな自然や多くの温泉などがあります。現在,観光まちづくり懇話会を設置して,宮島を核とした本市全域の観光・交流の一層の推進を図り,観光立市を目指しているところです。ぜひ,多彩な魅力いっぱいの廿日市市をお訪ねください。


過去の台風災害 「枕崎台風」
 終戦の混乱期,昭和20年9月17日に広島地方を襲った枕崎台風を忘れられないのは,私だけではないでしょう。
 広島県内の市町の被害は,死者行方不明者2,558人,負傷者1,054人,家屋の全壊2,127戸,半壊3,375戸,流出家屋1,330戸と記録されています。なかでも,呉と大野町・宮島町(両町とも現在は廿日市市)の被害は甚大なものでした。
 大野町では,枕崎台風に伴う豪雨により,町内を流れる丸石川で大規模な土石流が発生し,大野陸軍病院を直撃しました。この直撃により,病院の職員と患者156人の命が奪われました。ここには,原爆で傷を負って手当を受けていた患者が100人以上含まれており,また,被爆者の医療方法を研究するために派遣されていた「京都大学原爆災害総合研究調査班」の研究者11人の犠牲も含まれています。この他,大野町では大きな山崩れが50箇所あまりで発生し,最終的な犠牲者の数は200人にも及びました。
 なお,被災前後のことについては,「空白の天気図」(柳田邦男著)に詳しく記載されています。
 宮島町では,この豪雨により,紅葉谷川が土石流を起こし,濁流と化した土砂は厳島神社を直撃し,平舞台,回廊等が破壊され,神社の床下は18,000m3もの土砂で埋め尽くされ,国宝・重要文化財厳島神社は見るも無残な姿に変えられてしまいました。紅葉谷川の災害復旧工事は,昭和23年から25年にかけて「史跡名勝厳島災害復旧事業」として広島県が取り組み,地元はもちろん建設省,文部省,GHQ等の協力により実施されました。この復旧工事の特徴は,戦後復興期の窮乏の時代にも拘らず,史蹟名勝である宮島の環境にふさわしいように,巨石を庭園風に組み合わせた全国でも類のない,渓流砂防工事による岩石公園です。整備にあたっては,土石流により発生した巨石や中小石を自然のまま活かすとともに,造園の専門家や地元の意見も極力尊重して,見る側の立場にも重点を置いたものでした。完成した砂防施設は人工のものとは思われないほど自然と一体化しており,「紅葉谷川庭園砂防」として全国的に大きな評価を得るものとなっています。また,平成8年,世界文化遺産に登録された際には,厳島神社及びこの紅葉谷を含む周辺域が対象となるなど,宮島の庭園砂防は,世界的にも大きな評価を得ました。


枕崎台風による大野陸軍病院の被災状況 紅葉谷川:渓流砂防工事による復旧状況

最近の台風被害
 広島県では,平成11年6月29日の豪雨災害,昨年9月6日の台風14号に伴う豪雨が記憶に新しいところですが,台風14号では本市の佐伯地域でも土石流や河川の氾濫により家屋が流出するなど甚大な被害をもたらしました。また,宮島の白糸川では,枕崎台風以来,60年ぶりとなる土石流災害が発生しました。
 発生当日の降雨状況は,連続雨量237mm,時間最大雨量33mm/hrで,土石流発生時刻は時間最大雨量を観測した時刻と推定されています。発災直後から地区の住民の方々だけでなく,多くのボランティアの方々が土砂撤去などの活動に従事され,また,広島県には素早い応急復旧作業にご尽力いただき感謝しています。


白糸川:土石流による被災状況 白糸川土石流:ボランティアによる復旧作業
ハード対策とソフト対策
 宮島白糸川の災害復旧工事については,緊急砂防事業として,国の採択を受け,本年3月から2基の堰堤が工事着手されています。白糸川流域は,世界文化遺産区域に位置することや上流域に天然記念物弥山原始林が分布しており,文化財保護法や自然公園法等の規制を受けているため,堰堤については,雑石で被覆するなど景観に配慮されています。また,この堰堤から下流の渓流保全工についても,紅葉谷川に匹敵するような渓流保全工の整備を行うため,(社)全国治水砂防協会を始め,多くの有識者の方々を委員に検討委員会が設置され,工事の実施方針等が提案されました。市としては,出来上がる施設を地域の方々と一緒に大切にしながら,後世に継承できればと考えています。
 また,広島県西部では平成11年6月29日豪雨災害を契機に,平成13年度から国の「広島西部山系直轄砂防事業」がスタートしています。これまで,広島県により砂防事業が進められてきましたが,土石流危険渓流が多いことと,施設整備を上回るペースで宅地化が進展していることから,その整備率は県内全体で約20%と低い水準にあります。そのため国において,地域住民の意見,環境面にも配慮した土砂災害防止施設の整備を推進していただいており,本市では,国の出先機関として国土交通省の広島西部砂防出張所が設置され,計画的に大野地域,廿日市地域の砂防堰堤の工事が実施されています。
 一方,ハード整備と同時に土砂災害から地域の安全を守るためには,土砂災害の恐れのある区域についての危険の周知,警戒避難体制の整備,住宅等の新規立地抑制,既存住宅の移転促進等のソフト対策である土砂災害防止法の指定を順次進めていく必要があります。
 市としましても,急傾斜地崩壊対策事業等のハード整備を進める一方,土砂災害防止法の指定区域を対象に,町内会ごとに避難マニュアル等を作成し,住民の方々に地域の土砂災害危険度を把握いていただくと同時に,災害時の避難体制の整備や一人一人の防災意識の向上を図っています。つまり「知らせる努力」「知る努力」に常に心掛け,双方向の情報交換にも努力し,行政も市民も決して“忘災”しないことが最も重要であると考えています。

おわりに
 戦争は遠く離れた戦場だけで行われたのではありません。ふるさとの山里や工場でもありました。廿日市市においても,山々では燃料となる木炭の増産が行われ,航空燃料となる松根油が採取されました。また,工場では切り出されたブナから航空機用器材が製作されました。
 災害もまた遠く離れたところだけで起きるのではありません。身近で起きることを前提にしなければなりません。
 戦争も災害も,過去の悲惨な体験や教訓を次世代に継承していくとともに,今後の平和への取り組みや災害対策に的確に生かすことが大切です。
 市としましては,このようなことを念頭に,土砂災害に関する情報を市民の皆様に常に提供し,これを共有するとともに,行政主体のハード対策と警戒や避難のソフト対策を両輪として災害に強いまちづくりを推進していきたいと考えています。
 最後になりましたが,この誌面をお借りし,減災に向けた関係団体や地域の取り組みに敬意を表するとともに,今日までの防災対策や災害復旧にお力添えをいただいた多くの皆様に,心から感謝申し上げます。