災害の犠牲者を二度と出さないために

中山泰(Yasushi Nakayama、京都府京丹後市長)

「砂防と治水174号」(2006年12月発行)より

市の概要
 京丹後市は,平成16年4月に旧峰山町,大宮町,網野町,弥栄町,丹後町,久美浜町の6町が合併して誕生しました。新市では,本庁機能を峰山庁舎,網野庁舎,大宮庁舎に分散し,旧6町に各市民局を置く分庁舎方式をとっています。
 市は,京都府の最北端に位置し,人口6万4千人,東西約35km,南北約30km,総面積501.84km2のまちです。
 日本海に突き出た丹後半島の海岸線は,山陰海岸国立公園・若狭湾国定公園に指定され,市の海岸線には約6kmの北近畿一のロングビーチ,日本の夕日百選に指定された夕日ヶ浦海岸,琴引浜に代表される鳴き砂が広がっています。
 山間部には北近畿最大級のブナ林やムクロジが植生しています。また,近畿最大のトウテイランの群生地が広がり,300種類以上の薬草が自生する薬草の宝庫でもあります。実りの秋には,食味ランキング特Aと評される日本一おいしい丹後米が収穫され,冬の日本海では日本一有名で高価な海の幸・間人ガニが水揚げされます。絹織物の「丹後ちりめん」は,現在でも生産量,絹糸消費量も日本一を誇っています。
 日本海で最大級規模の前方後円墳・網野銚子山古墳の存在や赤坂今井墳丘墓から発掘された日本一豪華な玉製の頭飾りなどから日本海側を治めた絶大な勢力・丹後王国の存在がうかがえます。海・山・野,そこに根付いた産業,深い歴史を土台に,新しいエネルギーを組み合わせて電力を供給する「京都エコエネルギープロジェクト」は,世界でも最先端の事業で,交流の先進地,新・丹後王国の創造を目指して市は大きく飛躍しようとしています。



平成18年7月豪雨災害
 京丹後市では,7月15日から19日朝まで断続的に降り続けた梅雨前線による豪雨によって,19日午前4時頃に京丹後市間人(たいざ)地区において土砂崩れが発生し,死者2名の犠牲者が出たほか,全壊家屋3棟,床下浸水11棟,道路・橋梁被害116箇所,崖くずれ64箇所など甚大な災害が発生しました。
 7月豪雨災害に対する市の対応を申し上げますと次のような状況でした。
 まず,7月18日正午前に京都府土砂災害監視システムにより,間人地区とは別の網野橋観測地点において避難基準超過の情報が入りました。この時点では大雨洪水警報は発令されていませんでしたが,午後1時30分に一早く災害警戒本部を設置して災害防止にあたりました。しかし,その後も雨量が増加し,18日午後6時30分に網野町の一部が冠水したため,6世帯18人に避難勧告を発令しました。
 更に,同日午後11時までに,京都府土砂災害監視システムにより避難基準超過の情報が市内8観測地点の全てにおいて合計33回入り,結果的に市内全域を対象として土砂災害の恐れがあるとされました。これを受け市災害対策本部では,京都府,気象庁,舞鶴海洋気象台等いろいろな災害情報を活用しながら,市内全域の土砂災害危険箇所912箇所の中から的確に危険箇所を特定できない中で,その全域を細かくパトロールすることは非常に困難でありますので,この京都府土砂災害監視システムからの情報を十分検討して,防災行政無線が整備されている峰山,網野,丹後の各支部に防災行政無線,久美浜支部では有線放送による警戒情報を放送し,巡回パトロールも実施しながら注意を呼びかけました。大宮及び弥栄支部では,巡回パトロールと並行して区長さんに電話等で注意を呼びかけるなどの警戒活動を実施しました。
 こういった中で,丹後支部では,間人地区を含む避難基準超過の情報を受けて,過去に周辺で小規模な土砂崩れが発生した経過もあり,今回発生した土砂災害の現場周辺を2度パトロールしましたが,災害の前兆となる異常な様子は見当たらなかったため,避難の判定まで行いませんでした。そのような中で,19日午前4時頃,急傾斜地崩壊危険箇所の上部に位置する墓地公園の法面が崩壊し,悲惨な土砂災害が発生したのです。


間人地区土砂災害の全景 地すべり状況

 土砂災害発生後,災害対策本部並びに現地災害対策本部を設置し,危険箇所の住民16世帯50人に避難指示を発令するなどその対応にあたりました。特に2名の行方不明者の捜索を最優先課題として,まず消防団と消防署で捜索活動を始めましたが,難航する現場状況のなか,陸上自衛隊福知山駐屯地第7普通科連隊,航空自衛隊第35警戒隊,京都府警機動隊,京都市消防局他近隣の消防本部へ派遣要請を行い,徹夜の捜索活動の結果,2名の行方不明者を発見することができました。
 7月23日には,土砂崩れ発生箇所の両側の墓地斜面についても土砂崩れの危険性が高いと判断し,17世帯39人の避難指示を発令し,合計33世帯89人の住民が住宅からの避難生活を余儀なくされました。しかし,7月26日には土砂崩れ感知センサーの設置完了と現場状況が安定してきたので,避難指示の一部解除を発令し,25世帯58人に帰宅していただきました。
 その後,間人地区の被災状況も落ち着いてきたので,8月14日現地災害対策本部を閉鎖し,それに変わる間人地区土砂災害対策室を丹後市民局に設置して,現在も引き続き災害対応業務を行っております。


行方不明者2名の懸命な捜索活動 捜索活動の土砂搬出

今回の課題
 今回の豪雨は,7月15日から19日まで大雨洪水警報の発令,解除を3回も繰り返すなど断続的に降り続け,市の本庁舎がある峰山で降水量が360mmに達するなど京都府土砂災害監視システムから避難基準超過の情報が市内全域を対象として土砂災害の恐れがあるとされました。市内の土砂災害危険箇所は912箇所あり,そのなかから避難対象者をどう特定するかという大きな課題が生じています。
 また,避難情報伝達システムについても防災行政無線の整備済地区と未整備地区が混在し,一元的な情報をどのように発信するのかが課題です。
 避難所の開設についても,市の行政区が多いこともあり,避難所は159箇所と非常に多く,開設するとなると多くの職員等の人員配置が必要となります。更に,毛布,水,食料品,日用品など避難用資材の確保も必要となりますが,現在の備蓄量では不足するため,その補充には大変な経費が必要となります。 今後,このような悲惨な災害を二度と起こさないためには,市民に対して土砂災害の危険箇所,避難情報,避難場所,避難経路などの情報を早く的確に周知徹底することが重要ですが,避難マニュアルの作成,周知徹底をどのようにしていくのかなど多くの課題があります。

今後の対応
 災害時に,市民の生命と財産を守り,安全で安心な生活を確保するのは,市の最も重要な責務であり,今回の結果を真摯に受け止め,今後の災害対応について検討してまいりました。
 まず,今後の自然災害に対しては,雨量,水位,京都府土砂災害監視システム,気象情報,過去の災害経験などを踏まえて,特に土砂災害監視システム等一定の整備がされているシステムについては,そのシステムからの情報を基礎に定量的な京丹後市避難情報発令基準を設け,早く的確な避難情報を市民及び避難対象者へ伝達することとしました。
 次に,市内全域の土砂災害危険箇所912箇所の避難対象者(6,126世帯,18,953人)の特定を行い,早速9月2日に浸水想定区域の避難対象者と併せた避難訓練を実施しました。避難訓練の実施は,土曜日の朝にもかかわらず間人土砂災害からまだ1カ月半後だったためか市民の意識も高く,世帯数で74%,人数で40%の訓練参加率でした。この訓練では,初めて警察や自衛隊から訓練指導をお願いし,関係機関との連携を強化することができました。
 また,現在防災マップを作成中で,そのマップに土砂災害危険区域を明示し,防災マップとホームページで市民に危険箇所や避難場所などを周知することにしております。
 防災行政無線は,合併6町のうち3町が未整備であったため,防災行政無線整備事業を平成18・19年度の2カ年での完成予定で現在事業に着手しているところです。完成すれば一元的に市内全域に避難情報を伝達することが可能となり,市民の避難誘導に大きな力を発揮すると期待されます。
 更に,「自分の命は自分で守る」自助という市民の防災意識の向上を図りながら,「助け合いによって自分たちの地域を共同で守る」という共助,特に高齢者,障害者,乳幼児などの災害時要援護者への支援などの観点から自主防災組織の組織化と並行してアマチュア無線ボランティア組織,郵便局,LPガス協会,飲料水メーカー,建設・電気設備業等,医師会,ホームセンターなど災害専門ボランティアとの災害応援協定の締結を進め事業者等との協働活動を積極的に進めています。

おわりに
 現在,間人地区土砂災害の避難住民10世帯31人は,土砂崩れ感知センサーの設置や応急復旧工事の完成により,9月30日,74日ぶりに避難指示が解除になり,全壊の2世帯を除く避難世帯全員が自宅へ戻ることができました。しかし,また土砂崩れ感知センサーが反応すれば余儀なく避難をしなければならないなど土砂災害の危険性が完全に排除されたものではなく,その安全性を確保するために京都府が施行する地すべり対策工事及び市で施行する道路災害復旧工事の本格的復旧工事の早期着工・完成が待たれるところです。
 私は,市の政治姿勢として,「市民お一人お一人,互いに大切にし合って,互いに支えあい,助け合い,喜びづくめの真ほろ場を創ろう」を柱に掲げております。今回の土砂災害では,自衛隊,警察,消防関係者の多くのみなさまに人命救出にお力をいただきました。また,地元地区のみなさまには,避難されているみなさまに一生懸命ボランティアで炊き出しをしていただきましたし,地元観光業者のみなさまには,営業用の部屋を一時避難所として提供していただいたり,市内外の団体,企業,個人のみなさまにはお見舞いや復旧のためのご支援をいただきました。正に,支えあい,助け合いの原点に改めて触れた思いで,真心のありがたさを身にしみて感じた次第です。二度と今回のような悲惨な災害を起こさないために,市民が一体となって支えあい,助け合う「共助」を推進し,安全で安心なまちづくりを目指して取り組んでいきたいと思います。
 最後に,行方不明者2名の捜索に昼夜を問わず懸命に救出活動をしていただきました自衛隊,警察,消防関係者のみなさま,また避難されているみなさまに炊き出しをボランティアでしていただいた地元地区,営業用の部屋を一時避難所として提供していただいた地元観光業者,お見舞いや復旧のためのご支援をいただいた地域内外の団体,企業,個人のみなさまには大変お世話になりました。あらためて心からお礼と感謝を申し上げます。