災害復興への願いを和太鼓に

樋口忠三(Chuzo Higuchi、島根県川本町長)

「砂防と治水176号」(2007年4月発行)より

1.川本町の概況
 川本町は,中国山地の北,島根県のほぼ中央部に位置する典型的な中山間地域。総面積106.39km2,東西に16.5km・南北に10.5kmの台形。平成18年3月末現在の総人口は4,199人,世帯数は1,878世帯で減少傾向が続いています。
 町の中央部には,北東から南西に向かって約14.2kmにわたり,中国地方随一の一級河川・江の川(総延長192km)が貫流し,町を南北に分けています。
 町の総面積のうち,約83%は山林,江の川の沿岸部は浸食によって起伏に富んだ急峻で複雑な地形を成しています。
 町の中心部は,この川によって浸食された山麓に位置し,その南側背後地には標高24〜720mの急峻な山々を控え,右岸側の江の川以北は標高200〜480mと比較的なだらかな準平原が広がる穀倉地帯になります。
 気候は山陰特有の低温多湿型,年間の平均気温は13.5〜14.0度程度,降水量は1,700〜2,000mm前後。冬季は雨が多く,12月〜3月の初旬にかけては,20〜30cm程度の積雪があります。
 江戸中期から明治にかけて繁栄した「たたら製鉄」の生産地として,早くから町が形成され,この地方一帯の中心地でした。中国山地の花崗岩に包まれた豊富な磁鉄鉱資源と,燃料としての木炭生産が盛んであったことや,江の川が水運路として利用されたため,その中継地として発展してきました。また,天領行政の開始により,石見銀山(平成19年夏,世界遺産登録予定)領に編入,口番が設けられたことを契機に明治5年には邑智郡役所が置かれ,その後の国・県の出先機関の集積により,邑智郡の行政・経済の中心的な役割を担う町として発展してきました。
 島根県江津市と広島県三次市を結ぶJR三江線が江の川左岸を通り,主要幹線道路は国道261号が本町の南西端を通過し,これに連絡する主要地方道が町の中心部を走っています。
 全国的に市町村合併が進む中,本町も「合併推進協議会」へ加入,法定協議会を設置して近隣の町村との合併を目指しましたが,平成15年12月に合併を断念し単町での歩みを選択しました。
 また,本町は全国レベルの川本高等学校(平成19年度より島根中央高等学校)吹奏楽部の伝統と地域に根ざした音楽活動や郷土芸能・江川太鼓などを背景として,音響のすばらしいホール「悠邑ふるさと会館」や,音楽テーマ館「かわもと音戯館」の充実した文化的な音楽施設を有し,「音楽の町」をテーマとしたまちづくりに取り組んでいます。

2.昭和47年豪雨災害と「治水の太鼓」
 江の川は,その源を広島県の山間部に発し,島根県のほぼ中央を流れ,日本海にそそぐ中国地方きっての大河で,別名を「中国太郎」とも呼ばれます。
 この下流に位置する川本町は,江の川とともに発展してきた町。物資を集積し舟で日本海へ輸送した港町であり,宿場町としての川の恵みに支えられ,川と共に生きてきた永い歴史があります。
 しかし,この川は私たちに恵みを与えてくれる反面,時としては大洪水となり荒れ狂い,生命・財産に多大な被害を及ぼしました。流域の人々は,どのような水害に遭っても不屈の闘志で立ち上がり,また生活を営んできました。
 ところが,昭和47年7月の梅雨前線停滞による集中豪雨は,かって誰も経験したことのない大洪水となり壊滅的な打撃を受けました。
 川本町の中心商店街は上の町,中町,下の町と,土地の高さにより三つに分かれていますが,下の町は屋根まで水没,中町は二階の天井近くまで,上の町は二階まであとわずかという所まで浸水しました。それだけならまだしも,堤防の土砂流入等によって破壊された多くの家屋がありました。水位が下がると,そこには瓦礫と化した街並みが現れ,町民は何から手を付けていいのか判らず,ただ呆然と変わり果てた我が家を見つめるだけでした(写真1)。住み慣れた家を捨て,水害のない場所へ移り住んでいく人も出始めました。避難所生活を強いられた人も多く,町全体が洪水により暗く沈んでいました。


写真1 昭和47年災害後,瓦礫と化した街並み
 このままではいけない。これでは川本町は無気力な町になってしまう,もう一度活気ある町をつくるために,自分たちを力づけ,励ましてくれるもの,新しい伝統となるものを作り出そうという声が大きくなり,太鼓の勇壮な響きに川本町の復興を託そうと立ち上がったのが「江川太鼓」。それは昭和48年,まさに「治水の太鼓」の誕生でした。
 四季折折の心の唄を太鼓に表現し,緩急の川の流れを背景に,「仁輪加ばやし」や「田植ばやし」そして「神楽ばやし」などを基調とした曲。演奏は豪快でかつ,勇壮。町民を元気づけるにあまりあるものとなり,町民に愛され,夏祭りや秋祭りには欠かせないもので,川本町の代表的な郷土芸能となっています(写真2)。
 国内での数多くの公演の後,平成2年の韓国慶尚北道で初の海外公演,平成5年にはパリのユネスコ本部やロンドンでの公演を行いました。
 平成10年から,ドイツ各地の「独日協会」の招きで3年続けてのドイツを中心にしたフランス・スイス・オーストリアなどのボランティア公演(写真3,4)。その後もアセム首脳会議関連フェスティバルでのデンマークやモスクワでの公演,昨年のパリぼたん祭りへの参加など,国際文化交流活動を行い,日本の小さな田舎町からの伝統文化によるグローバルな文化情報発信ができ,「治水の太鼓」は大活躍しています。

写真2 水害復興後,毎年開催される夏祭りの江川太鼓(中央で一人打ちの筆者) 写真3 フランス,サベルヌ市古城前庭で(向かって一番左が筆者) 写真4 ドイツ,ハイデルベルク市庁舎前で(筆者も参加し,ちんどんで練り歩き)

3.川の流れと音楽は心の栄養剤
 演奏で回ったヨーロッパの各地から川本町を訪問される人が多くなりました。「あの太鼓を生んだ町を見てみたかった」とのこと。
 ドイツ南部ウルム市のオーケストラに在籍するファゴット奏者の杉本暁史さんもその一人(ウルム市はドナウ川が流れる美しい街)。
 杉本さんは「音楽は心の栄養剤」がモットー。彼は,時の竹下首相に草の根国際交流の必要性を訴えられた方。現在,この活動に力を入れられて,ドイツのオーケストラやブラスバンドを日本に派遣されています。
 ウルム市はオーケストラ運営などの文化活動に年間23億円という巨費を投じています。人口は十数万人,「お金のかけ過ぎ」と批判もあったようですが,ウルム市長はこう説得したそうです。「私たちは体が汚れたら石鹸で洗います。では,心はどうですか? 音楽こそ,心の汚れを洗い流す石鹸なのです」。
 海の向こうでは,今夜もどこかのホールで音楽会が催され,心の洗濯をし,明日を生きる糧にしています。今年の夏には,全国高校総合文化祭事業として,そのウルム市から青少年ブラスバンドが来町します。
 シュトウトガルトの名誉総領事館長のアルガイヤー恵子さん。彼女は和太鼓の魅力にはまり,私たちとの交流の延長でドイツに和太鼓チームを作りました。
 ライン,ドナウなどのヨーロッパを代表する川。そして,ハイデルベルクの古城から見下ろすネッカー川。自然との調和が美しく,訪れる人の心を癒します。そして,その川を背景にした数多くの名曲があります。江の川の水害を経験している私たちには,文化生活の違いのなかに,水害対策のどうあるべきかを考えさせられます。


4.平成18年7月梅雨前線豪雨災害の教訓
 平成18年7月16日正午より降り始めた雨は,7月21日明け方まで断続的に降り続け,川本町にとって近年類を見ない総雨量408mm,最大日雨量205mm,最大時間雨量40mmに達し,町内各地に多大な被害を及ぼしました(図1)。



図1 平成18年7月豪雨連続雨量データ(川本観測所)

 この度の本町の体制としましては,7月17日7時に災害警戒態勢に入ると共に,7月18日22時10分には災害対策本部を設置しました。その後も継続的な豪雨のため各地で家屋の浸水,道路の冠水,土石流などが発生し,災害対策本部による避難勧告9世帯・1施設・計26人,また関係自治会・自主防災組織により16世帯・2施設・117人が自主避難を行いました。
 また,唯一の公共鉄道であるJR 三江線も豪雨のため,19日始発より安全のため運行を見合わせることとなり,その後の調査結果では広島県三次市から島根県江津市間で38箇所の土石流が発生しており,現在も運休状態が続いております。全面開通の見通しは,現在関係当局の懸命なる復旧工事により今年6月の予定となっております。
 町内被害状況としましては,道路(以下,県町合計)76箇所,河川・砂防110箇所,治山・地すべり・林崩17箇所,農地・農業用施設110箇所の合計313箇所・被害総額約16億円となり,関係当局のご支援のもと昨年9月には激甚災害指定を受け,町財政の厳しい本町にとって負担軽減が図られることとなり,一日も早く復旧工事が完成するよう努めております。
 土石流による危険渓流を抱える市井原地区は,町の東側に位置し,一級河川矢谷川が流れ,唯一の生活道路である主要地方道仁摩邑南線が走る谷間の11戸の家屋が寄り添う集落ですが,7月豪雨により裏山の山腹が崩壊し,泥水が集落道に流れ出したことから19日未明より地域の自主防災組織により住民に危険を呼びかけ,いち速く避難を行いました。
 土石流災害の発生する恐れのある集落の裏山や,特に迂回路の無い主要県道などが通る危険な渓流には,早急に計画的な砂防堰堤の整備をすることが最も有効な対策だと痛感したところです。
 この度,国や島根県の迅速な対応により,市井原地区において砂防激甚災害対策特別緊急事業が計画・実施されることになりましたこと,深く感謝申し上げます。本町としましても,全力で円滑な事業進捗に協力して行くこととしております。
 なお,この度の災害では,幸いにも人的被害は発生しませんでしたが,本町のように中山間集落を抱える自治体は自主防災対策の必要性を強く感じました。
 一昨年より本町は自治会を単位として“川本町地域自主防災組織”の立ち上げに取り組み始めたところであり,この度の7月豪雨災害直後には町内自治会長会議を招集し,各地域の被害状況取りまとめや復旧対応策協議に併せ,自主防災組織の必要性・早期な組織化を強く呼びかけたところです。
 川本町として,早期に町内全域に自主防災を組織化し,“安心・安全な川本町”が実現出来るよう進めて参ります。