常襲の自然災害にめげず

甲斐利幸(Toshiyuki Kai、熊本県山都町長)

「砂防と治水176号」(2007年4月発行)より

1.はじめに
 山都町は,平成17年2月11日に矢部町,清和村,蘇陽町が合併して,誕生した町である。いわゆる平成の合併である。
 矢部町,清和村は上益城郡であり,蘇陽町は阿蘇郡であったが,三町村とも阿蘇外輪山外縁部に接し,裾野部に立地するという,似かよった地形をもっている。なお一方,南部は標高1,739mの国見岳を盟主とする,九州山地に接している。
 阿蘇山の火山活動は,地球の誕生以来,4回の大きな爆発,噴火を記録しているが,そのことにより複雑な地形を産み,白砂や黒ぼく等の独特な土壌を擁している。九州山地と阿蘇外輪の裾野がぶつかる位置は,侵食作用もあって,深い渓谷を刻んでいる。
 五ヶ瀬川は太平洋に流れて,緑川は有明海に注ぐということで,分水嶺を町内にもつ,珍しいまちでもある。
 滝がいたる所にあり,緑川にしても,総延長約76km程度であり,五ヶ瀬川も一気に海に流れこむ急流である。
 基幹産業は,農林業である。
 過疎化もなお進んでおり,中山間地の例にもれず,少子高齢化が著しい。最近の国勢調査人口は,18,763人であったが,昭和30年頃の人口は4万人を越えていたと思われる。多くの集落は,谷間に立地し,土石流の危険箇所として,指定されている。
 道路網として,国道が4本,県道が15本走っており,町道が地形の起伏を克服して,器用に集落を結んでいる。
 気候は,標高300〜900mに位置するため,年間平均気温は13〜14℃と,熊本市と比べ5〜6℃程度も低い。降水量は年間2,200mm程度と多く,冷涼多雨,準高冷地型気候である。
 歴史的には,天皇家に次ぐ名家といわれる阿蘇家が,中世に豪族として勢力を誇り,中心地である浜町に居を構えていた。また,平家伝説も色濃く残っている。
 観光面では,江戸時代に築かれた灌漑水路の一部である石造りの水路橋通潤橋が,特に有名である。逆サイフォンの原理を利用した頑固なアーチ型の石橋が20mの高さで河川を跨いでいる。清和の農村文化を江戸時代より継承している人形浄瑠璃の文楽が多くのファンを呼び込んでいる。
 蘇陽地区の蘇陽峡は,阿蘇の火山活動によるV字渓谷が九州のグランドキャニオンと称され,四季折々の多彩な表情を呈している。

通潤橋放水 蘇陽峡 清和文楽

2.災害の状況
 本町は,地形的にも複雑であり,台風の襲来も多く,降雨量も比較的多いことから,自然災害が非常に多い町である。近年の災害では,特に昭和63年の5・3災害があり,平成18年の6・26災害もその種類,件数,復旧工事費等で膨大なものであった。
 5・3災害をふりかえってみると,旧矢部町地域内で避難状況は人口15,756人,世帯数4,424戸のうち832人,229世帯の避難をみた。消防団の延べ出動人員も3,104人に達している。
 絶好の行楽日和が期待されたゴールデンウィークが一転,熊本管区気象台から県内全域に大雨洪水警報が発令されたのは3日15時30分であった。旧矢部町で正午になって降り始めた雨は,16時頃には雷を伴った豪雨となり,大正元年ぶりといわれる大水害となった。
 その時の被害状況は,多部門にわたっているが,農地や農業用施設等の被害額は2,270百万円に及び,公共土木のうち,道路409カ所,被害額で508百万円に達し,河川災害にあっては219カ所,2,300百万円に及んだ。その他の諸々の災害を含めた被害総額は,10,721百万円という驚異的な額に達した。
 この時の記録は,後日,役に立つものと考え,私が一期目の時に冊子として纏めているが,あらためて頁を捲ってみると,災害の凄さを思い出す次第である。
 平成18年6月26日の豪雨災害も,相当なものであった。
 合併後の新生山都町の災害は,5,448km2という広い町を西から東へと集中豪雨が帯状に移動したこともあって,現場の状況把握も大変混乱した。地質が白砂でもあったことから,想像もできない箇所が円弧すべりを伴い,製材工場を呑み込み,あたら若い命を奪ってしまった。
 被害の内容としては,災害査定後の数値であるが,下表のとおりである。

被災状況

3.対策
 以上,我が町の近年の大きな災害の状況を述べたが,人命にかかわる土石流や洪水に対し,治水・砂防の工事を進める必要を痛感する。
 本町は,地質,地形が災害のおきやすい条件にあることから,県営や町営の河川工事を災害の復旧と兼ねて,砂防河川工事等も進めてきた。更に,急流な沢を流れる小河川もあることから,林地崩壊対策や単県治山工事を進めてきた。地すべり地帯もあり,それに対する対策も行ってきた。本町で温石層という地質は,蝋石層のことであるが,これが地下水に溶けて,その層の上層部が滑ることにより地すべりがおこっている。
 現在,施されている有効な工法は,地下水の面的な流れを数箇所の井戸に集水し,それを線的に排水することである。目丸地区等で,その井戸は深さも20m程度で,径が5mのものが,数本掘られている。
 こうした工事をすることも大事なことであるが,その前に危険箇所の把握が必要であり,避難を呼びかけることが,人知の及ばないような大災害には必要である。従って,我が町では,合併後3カ町村の無線による,緊急同時放送システムの整備も進めてきた。広域であることや地形的な理由もあり,無線の受信状況不良の箇所も多いが,現在も避難等の呼びかけが全戸に的確に指示できる体制の整備を進めている。
 土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律にもとづき,熊本県は本町内で,土砂災害の発生原因となる自然現象である土石流の危険箇所として,16渓流を指定している。また,県では,土砂災害警戒区域等における土地の基礎調査を先に実施したところであるが,その結果,報告会を8会場で行う予定である。
 調査を行い,地区の災害の危険度等を的確に掌握し,それを住民に説明することは,住民にとって自主的に避難する際にも非常に有益である。また,危険を防ぐための工事の必要性や工事の計画等を明らかにすることにより,住民に安心を与えることができる。
 私は,ずいぶん前に島原の火砕流,鹿児島県出水市の土石流,熊本県水俣市の土石流の現場を住民,消防団と共に視察した。百聞は一見に如かずの譬えのとおりで,TV の画面や新聞の報道からは,想像もできない凄い災害現場に唖然としながら,我が町の現況から,この後の防災に更に取り組むことの必要性を痛感した。住民の避難に対する広報・啓発も,近年の災害によって,非常に大切であると思い知らされた。
 五ヶ瀬川は,深い谷をえぐりながら流れているが,左右の切り立った崖の上には田や畑等もあり,河沿いの左右には,点々と民家がはりついている。一昨年の豪雨を伴った台風は,五ヶ瀬川沿いの被害を大きくした。その際,翌日,現地に被災者を見舞った時,一人暮らしの老女の口から出た言葉が印象的であった。「山鳴りがしたので,避難しました」。山崩れ,土石流等に対する予兆を察したら避難を,という呼びかけの啓発のチラシを読んでいたのである。
 私の町では,永年の経験からの知恵であろう,「谷塞ぎの地点に家は建てるな」という言い伝えがある。土石流は想像を絶するスピードとエネルギーで集落を確実に襲うことがある。

4.おわりに
 土石流,山腹崩壊,地すべりは防災工事が非常に難しい災害である。土石流等はそのスピードとエネルギーが測り知れないことがあり,防災工事費も莫大なものとなる。我が町は火山性地質や急峻な地形から,災害の常襲地帯である。
 災害対策の進捗を図りながら,住民の安全安心を得るため,ハザードマップの整備や,危険箇所の正確な把握につとめ,住民とともに防災に対する備えを万全に進めていきたい。
 また,5・3災害の教訓から6・3災害では,町の知恵だけでなく,県との連繋による効果的な復旧法の検討を行ったが,この結果,単なる災害箇所の復旧でなく,災害関連等の採択もあり,あらためて国,県の担当者との連繋による住民の期待に応える復旧ができた。同じテーブルについての会議の成果に満足した次第で,県の対応にも感謝している。