土砂災害防止施策と安心安全なむらづくり

合田司郎(Sirou Gouda、高知県大川村長)

「砂防と治水177号」(2007年6月発行)より

 明治23年の市町村令施行により「大川村」が誕生した。
 四国のほぼ中央に位置し,愛媛県と境を接する。行政区域は95km2,標高は300mから1,300m,村の中心を四国三郎「吉野川」が流れ,V 字型渓谷に民家が点在する典型的な山村である。
 安政の昔より,銅の採掘が行われていたが,村の北部,朝谷地域を中心として採掘されていた白滝鉱山が昭和47年に採算の悪化を理由に閉山となり,加えて四国総合開発の名の下に「早明浦ダム」が完成。この二要件により,村民は追われるが如く村外へ移住し,現在,離島を除いて日本一人口の少ない超過疎の村となった。これは国策による「造られた過疎」であると言っても過言でない。
 中央政府は「三位一体改革」と称して,地方切り捨て施策を展開し,砂防関係補助事業の大幅削減の実施など国土の7割を占める中山間地域の事を考えた結論とは到底考えられない方向に進んでいる。砂防関係事業の縮小により,土砂災害関係事業の激減を考えると,安心安全な国土づくり・美しい国づくりに疑義さえ覚える。
 故事に「山を治め,水を治める,これ政治の要諦なり」とあるが,基礎基本,原点や理念のない政治に危惧する。災害発生後の対応も重要ではあるが「亡くなった命は戻らない」。
 国土保全,防災事業というのは国の責任である。防災事業は砂防事業,治山事業が整備されなければ,ただ言葉で人命を守るといっても,守ることはできない。
 災害が発生する前の対策が重要であり,究極的には「防災基本法」の制定が必要と考える。
 本村は昭和50・51年と連年に亘り,村西部地域において死者も出る甚大な土砂災害の被災から30年余になるが,今なお復旧が続けられている状況にある。
 そうした中,平成16年8月17日未明から降り始めた雨は,台風15号に伴う前線を活発化させ昼前から急速に雨足が強くなり,時間雨量105m・総雨量1,050mmの猛烈な豪雨となった。3日間で年間雨量の3分の1を越す未曾有の豪雨となり,本村東部地域を中心に山腹崩壊,道路寸断と村全体が孤立した。住民はライフラインを完全に失い,数日間に亘り電気も電話も使えない状況に計り知れない苦痛と不安な日々を送った。その後,短期間に台風16号,18号,21号と相次ぐ襲来に村は壊滅的な被害を受け,夏も秋もない毎日を送った。平成17年には,本村西部地域を中心とした災害に見舞われ,昭和50・51年の連年災害と同じ2カ年にわたる大災害となったものの「生命」が奪われなかったことは,自助・共助の賜である。

崩壊した県道中山松倉線

平成16年の早明浦豪雨による土砂災害 渇水時に現れる水没した旧役場

 災害発生時の対応,態勢,連携等は年1回,村民総参加の防災訓練を実施している。
 災害対策本部の初動体制,消防団の初動体制,情報伝達,避難訓練,災害発生想定訓練と多岐にわたって実施している。パソコンの普及と共に気象データの活用機会が増え,リアルタイムな気象状況は,避難勧告等の判断基準に大いに活用している。
 本村が目指す「土砂災害のない安心安全なむらづくり」には,国の責任による国土の保全が必要不可欠である。村では各種防災機器の整備と共に自助・共助・公助にたって,「自分の身は自分で守る」をモットーに安心安全なむらづくりを目指していくが,「自分の身は自分で守る」ためのハード事業については国の責務を果たされるよう強く願望して寄稿の筆を置くこととする。


住民参加の実践型防災訓練(土嚢積み)の様子 植樹による土砂災害防止活動