平成18年7月豪雨災害を生かす取り組み

平澤豊満(Toyomitsu Hirasawa、長野県箕輪町長)

「砂防と治水178号」(2007年8月発行)より

はじめに
 当町は長野県のほぼ中央部,伊那谷の北部に位置し,諏訪湖から流れ出る天竜川が岡谷市,辰野町,箕輪町と,北から南へと町の中央を貫流し,典型的な河岸段丘を形成しています。東は狭小な台地から伊那山脈に,西は緩傾斜となって中央アルプス連峰に続き,農耕地帯を形成しています。
 天竜川と平行して,JR 飯田線,国道153号が走っており,昭和51年に開通した中央自動車道は,辰野町境に伊北IC があり,交通の立地条件の良さから精密工業を中心に田園工業都市として発展してきています。
 また,平成4年に完成したみのわダムは,2市1町2村へ飲料水を供給する水瓶及び治水を含めた多目的ダムとして施設され,ダム周辺に1万本のもみじ等が植樹され「もみじ湖」として親しまれております。平成7年には旧国土庁から,優れた水環境の保全に努め水を活かした町づくりを行っている地域として,「水の郷百選」に選定されています。
 西部山間地の農地で地域起こしとして作られている赤そば(ピンク色の花が咲くそば―高嶺ルビー)もまた,秋の箕輪町を代表する観光スポットとなっています。

未曾有の平成18年7月豪雨
 平成に入ってからの箕輪町の年間平均降水量は1,300ミリで,6月から10月の月平均降水量をみても155ミリと少ない状況です。
 平成18年7月15日から降り始めた梅雨前線豪雨は,16日午後から小康状態だったものの,17日未明から連続的な長雨となりました。時間雨量は最大でも18ミリという状態ではありましたが,降り始めからの雨量は333.5ミリに達しました。この豪雨により箕輪町では,予想していなかった天竜川の堤防の決壊,土石流による被害が同時に発生し,情報の整理・発信,指示対策と対応に追われました。
 被害の概要につきましては,負傷者軽傷3人,家屋等建物被害74棟(半壊から床下浸水)のほか,公共土木,河川,水道施設等にわたり,かつて経験したことのない大災害になりました。

天竜川の堤防の決壊と土石流の発生
 7月17日午前,箕輪町が指標としている天竜川伊那冨観測所の水位が警戒水位に達し,19日未明には,特別警戒水位に達する勢いで増水しておりました。
 午前2時20分,災害対策本部を役場内に設置して全職員を召集し,浸水想定区域住民に対する避難勧告発令時の住民への情報伝達,避難所開設準備等の体制を確認しました。
 全職員による対策会議中,予想もしていなかった「北小河内中村地区において大規模な土石流が発生」との連絡があり,即緊急対応がはじまりました。
 明るくなるにつれて,町内各所より被害の状況が入る中,天竜川の水位が上昇し,特別警戒水位到達が必至の状況となりました。午前6時15分,特別警戒水位到達前でありましたが,あらかじめ定めてありました浸水想定区域の住民(382世帯949人)に対して,避難勧告を発令しました。その後,「天竜川の堤防が崩落している」との連絡が本部に入り,場所を確認後,関係機関への連絡と,天竜川の堤防が決壊した場合を想定し,避難勧告から避難指示に切り替えると同時に合わせて避難指示地域の拡大をしました(833世帯2,111人)。天竜川の堤防が徐々に崩落していく状況をつぶさに見て,「これはえらいことになるぞ」と身の毛がよだつ思いでした。「なんとかもってくれ」と念じていました。
 ところが見る見るうちに堤防の形がなくなってしまったのです。テレビでよく見る増水は,土のうを積んで越水を防ぐ場面ですが,土のうで防げるというものではありませんでした。
 侵食して行く先には,東京電力,中部電力の高圧送電線の鉄塔,そして住宅がありましたが,このままでは鉄塔が倒れてしまう状況でした。救いは水面と堤防先がほとんど同レベルであったことです。越水して水が表面を流れて鉄塔がすぐに倒れるということはないでしょうが,しかし,水位の下がらない状況では,ひたすら侵食が進んで行きました。その侵食のすぐ先には住宅がありました。
 北小河内中村地区の土石流の現場は,明るくなり現場の状況がわかるにつれて,よくこの状況の中で避難所へ無事避難ができ,死者を出さずに済んだものだと改めて安堵しました。

天竜川の堤防の決壊状況

中村地区土石流による被害状況

住民への情報伝達の大切さを実感
 町では,住民への情報伝達手段として,防災行政無線のほか,音声告知放送,箕輪町ホームページ,緊急メール配信,7月から試験運用を開始したケーブルテレビの専用チャンネルによる文字放送等,多くのメディアを使って情報伝達を行うように整備を進めておりました。
 後日,天竜川の決壊で避難指示が発令された住民を対象に,筑波大学システム情報工学研究科都市防災研究室がアンケートを実施しました。その結果,「情報提供・伝達体制の整備が重要」とされ,町としても対策を講じているところです。
 避難勧告や避難指示の情報は伝わっていても,自分の判断で避難に結びついていない場合もありました。また,「避難して現在どのような状況にあるのか」を一番心配している,避難された住民に対しての情報提供が行えず,日が経つにつれて,現状やこれからの復旧の見通し等の情報の提供が課題となりました。全町的に経験のない大災害であったことから,避難所の設営等今後に対する課題が多く残りました。


ボランティアに感謝
 今回の天竜川の堤防の決壊及び土石流による長期避難所設営,被災者の土砂流入宅地・住宅の復旧作業などが,町内のボランティアの皆さんを中心としてボランティアセンターの立ち上げまでにつながりました。
 宅地・住宅の復旧にあたり機械を使うことができない部分においては,全て人力によるしかありませんでした。
 いざ,ボランティアセンターの立ち上げをするとなると,ボランティアの皆さんが安全に活動でき,被災された住民に負担感を感じさせず復旧の一助となれるような運営に努めることを心がけました。ボランティアが力一杯活動出来る体制をつくり出すことの難しさが,これからのボランティア活動を進めていくための課題になったかと思います。
 町内の避難勧告等は,天竜川決壊現場付近の住民に対しては25日まで,北小河内土石流発生地区住民に対しては,26日まで続くこととなりました。住民ボランティア約250人,県職員のお助け隊318人,ボランティアセンターによるボランティア754人と多くの皆様にご協力いただき感謝しております。


ボランティア活動の様子

自主防災組織,要援護者支援体制の取り組みの推進
 箕輪町では,災害時に活動できる自主防災組織の立ち上げと要援護者の支援マップづくりを始めた矢先の災害となり,地区内において必要性が再認識され,意欲的に取り組むこととなりました。
 自主防災組織の立ち上げの出来た地区での災害発生となりましたが,実際の災害発生の中では計画どおりの支援活動が出来ず,ソフト面における多くの課題が浮き彫りとなり,これからの取り組み課題が見えた気がします。ハード面とソフト面の両面の防災対策を進めながら,災害に強いまちづくりを進めたいと思っております。
 発災直後から,多方面の方々よりご支援,ご協力を賜り,緊急対応,応急復旧等出来ましたことに感謝申し上げると共に,国,県の迅速なご支援をいただき,対策事業,復旧事業が順調に実施されていることに対し改めて感謝申し上げます。
 最後になりましたが,発災後,支援物資,義援金等多くの方よりお寄せいただきました善意のお気持ちは有効に活用させていただいております。誌面をお借りしまして御礼申し上げます。

天竜川の堤防の復旧