平成19年3月能登半島地震と梅雨前線〜自然災害の教訓〜

細川義雄(Yoshio Hosokawa、石川県志賀町長)

「砂防と治水180号」(2007年12月発行)より

はじめに
 志賀町は,石川県能登半島中央部に位置し,西は日本海に面し,北は輪島市や穴水町,南は羽咋市に接する人口2万5千のまちです。
 まちの面積は246.55km2で,林野が65.9%,耕地10.3%,宅地3.1%,その他20.7%となっています。平成17年9月1日に旧志賀町と旧富来町が合併し,新「志賀町」が誕生しました。新町の目指す将来像を「夢・未来の創造 笑顔あふれる能登ふれあいの郷〜私たちが主役の新志賀町物語〜」というテーマを掲げ,能登金剛をはじめとする多くの観光資源,エネルギー供給施設の志賀原子力発電所,雇用創出の場である能登中核工業団地を有するまちとして,地域特性を活かしながら未来へ向けて飛躍するまちづくり施策を展開しています。

地震発生
 平成19年3月の北陸電力鰍フ志賀原子力発電所臨界事故の隠蔽問題が発覚する中,今度は,信じられないような大地震が,平成19年3月25日午前9時41分に発生しました。折しも,役場は日曜日とあって日直職員が勤務するだけであり,職員の多くは各集落の農業水路の管理(江普請)に汗を流しはじめた矢先の出来事でした。
 私は,体調不良のため病院に入院中でしたが,今までに体験したことのない大きな揺れに被害の程度,特に人的被害が心配でベットの上で案じながら,助役と連絡を取り,対策本部の設置と情報の収集を指示しました。
 私から指示を受けた助役は,直ちに助役を本部長とした災害対策本部を設置し,職員も地域防災計画に基づき初動調査を始めました。本部長からは被害の状況が逐一伝えられ,人的被害が殆どないことがわかり,幾分安堵したところでありました。しかし,家屋やライフラインにかなり被害があることから,被災者に対する生活支援を早急にするように指示をしました。本部では,殆どの職員が集まり本部長の指示のもと,各部署に分かれて被害の状況の把握に努め,応急対策を必要とするものに対しては現場の判断で早急に行うことを確認し,町内全域に出動しました。現地に出た職員が目の当たりにした光景は今までに経験したことのない被害状況でありました。家は傾き,宅地の擁壁は倒壊し,道路はいたる所で決壊陥没し,また,液状化で下水道のマンホールが30cmも隆起した状態で,調査の行く手を阻むものでありました。本部は通信機能がマヒしていることから職員は衛星電話を携帯し,通信を確保しました。特に今回の地震による被害は,まちの北部(富来地区)に集中していることから,地区自治会長と連絡を取り,避難所の開設を行いましたが,中でも山間地の鵜野屋(中平)地区では上水道がなく,生活用水に利用している湧水も濁り使用できないことから,陸上自衛隊の給水車を要請しました。また,今回の地震により被害を受けた家屋等の,余震による二次災害を防止するために,被害の大きかった富来領家町,鵜野屋,笹波地区などの地盤等について,早速,専門家による調査を実施のうえ,応急仮設対策を実施し,住民の不安払拭に努めました。
 今回の能登半島地震では,ライフラインの被害も大きく,まちを縦断する国道249号及び能登有料道路が一時通行止めとなり,唯一海岸線を通る幅員5mの狭い県道が交通手段となったことから,交通渋滞が起こり通行に支障を来しました。原子力発電所の立地町として,今回の地震発生により道路は緊急避難及び緊急輸送時の手段としての生命線であることを改めて認識させられました。

被害状況
 当町では過去に幾度となく自然災害に見舞われましたが,今回の地震は豪雨出水により多大な被害が発生し,災害救助法が発令された昭和34年7月の災害以来の大自然災害でありました。
 震災から半年が経過しましたが,建物被害は全壊住家11戸,半壊住家200戸,一部損壊住家2,371戸,非住家全壊171戸,非住家半壊670戸,一部損壊非住家2,902戸,合計6,325戸であり,2世帯に1戸の割合で家屋が被災しました。
鵜野屋(中平地区)の擁壁及び建物の被災状況

宿女地内の町道が崩壊し乗用車が転落横転(死傷者なし) 深谷地区の国道249号が崩壊し通行止めとなっている状況
能登有料道路の被災状況 富来領家地区の建物及び敷地の崩壊状況

下水道マンホールの被災状況
まち独自の見舞金支給制度
 国,県が行う復興支援に加え,まちは被災者への見舞金を交付するために志賀町能登半島地震見舞金支給要綱を定め,全壊の住家には100万円,半壊住家には10万円を支給する独自の制度を制定いたしました。

仮設住宅
 余震の続く中,災害対策本部から派遣された職員は,避難生活している住民に対し仮設住宅の入居を斡旋しました。しかし,住民は仮設住宅を見たことがないことから,不安と心配を抱きながら,職員に色々と質問をしていました。他県での仮設住宅の写真等を見せながら話を進めていった結果,宅地の被害が特に大きな鵜野屋(中平)地区と富来領家地区の2集落19世帯が入居をすることとなり,残りの世帯は余震が終息次第,自宅へ帰ることとなりました。避難所に避難し不安な日々を過ごす中,仮設住宅の建設が始まりましたが,住民の殆どが高齢者であることから,2年間で自立再建ができるかを含めて全てのことが不安でならない状態でありました。
 仮設住宅に入居した鵜野屋(中平)地区は上水道の施設がないことから仮設住宅への給水は,山からの湧水を深夜に受水槽で貯水,殺菌し,使用することとしました。この時,われわれが日常何気げなく使用している水が,貴重であることを改めて認識させられました。
 当地区は斜面を片切片盛した宅地斜面に建っている家屋が殆どであり,被災した擁壁を確認すると個人が設置したものは倒壊もしくは倒壊の恐れがあるものが多く,今後の復旧に頭を痛めているのが現状であります。また,宅地の背後地については,まちで急傾斜地崩壊対策事業を行い,斜面の安定を図ることといたしました。
 もう一つの集落の富来領家地区も10世帯の入居が決まり,これら入居者の自宅は建物が倒壊したり傾いたりしており,宅地の沈下が見られる状況でありました。宅地の下方斜面には亀裂や崩壊の状況が目視では殆ど確認されないことから,対策をどうすれば良いのか分からない状況でありました。現地では,家屋に多大な被害が及んでいることから,町は,石川県の協力を得て,建物の危険度判定を含めて,宅地の崩壊等の対策や本復旧の手法を協議し,地元への説明等に協力を頂きました。しかし,何分にも十分な調査をする期間がなかったので,早速,町で2,000万円を投じて調査をすることとしました。
 その後,6月22日の梅雨前線豪雨により宅地の亀裂が拡大し,斜面が崩壊する恐れが出てきたことから,災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業としての国の事業採択を受け,対策工事を実施することとなりました。



富来領家仮設住宅の建設現場を谷本知事が視察
震災ゴミとボランティア
 復旧作業が進み,被害の大きい笹波,富来領家町両地区の集積場には,大量の震災ゴミが出されており,分別や運搬が追いつかない状況であり,対策本部は被災した住民や町内ボランティアや町外からの応援ボランティアの力を借りて廃材やブロック,家電,金属等を分別し,トラックに積み込み処分場へと搬出しました。
 幸い当町では処分場が3箇所あることから,近隣の被災市町よりはスムーズに震災ゴミの対応が出来ました。迷惑施設と言われがちではありますが,今回の地震に関しては,この処分場の有り無しでは災害復旧に大きな影響があることを実感しました。また,作業を通して被災住民や町内外ボランティアの方々が懸命に作業をする姿を見て皆さんの復興に掛ける熱い思いを感じました。

おわりに
 地震の後,気象台が発表する大雨警報・注意報の基準雨量が現行の半分に引き下げられたことから,頻繁に警報・注意報が発表され,その度,職員が待機に入ることとなり,過去に経験のない警戒態勢を今もなお続けています。また,石川県でも今年度から土砂災害警戒情報も発表されることになりました。当町でも震災後,時間雨量50mmを超える雨量を観測するなどピンポイントでゲリラ的な豪雨が発生したことから,特に土砂災害を未然に防止し,住民の生命財産を守るために,広報誌による啓発活動をはじめ,発表後は直ちに防災行政無線を利用し,町内の全戸に周知するようにしています。幸い,当町は全世帯,全企業に個別受信機が配置されており,今後もこれを有効に活用し地域防災に万全を期することとするほか,職員の災害時の初動マニュアルを再精査するとともに,住民参加の防災研修や防災訓練等を実施し,安心で安全な地域づくりに精励する所存であります。
 最後に,私も,地震から15日後の4月9日から現場復帰し,災害対策本部で陣頭指揮を執り,その後も引き続き復興本部長として,その責務を全うし町民の付託に応えるため日々職務に精励しております。