平成19年台風9号による土砂災害を受けて

市川宣夫(Nobuo Ichikawa、群馬県南牧村長)

「砂防と治水182号」(2008年4月発行)より

1.南牧村の概要
 
南牧村は,群馬県の西南部に位置し,西は長野県佐久市と接し,東西18km, 南北10km に広がる総面積118.78km2の純山村であります。
 地形は,1,000m内外の山々に囲まれ,急峻で平坦地が少なく,総面積の89%が森林と原野で占められており,農地は5%,宅地は1%にも満たないという状況で,村の中央を流れる南牧川とその支流に沿って集落が点在し,気候は比較的温暖で,雪も少なく,住みやすい環境にあります。
 人口は,昭和30年の合併時には10,573人でありましたが,昭和40年代以降,若年層の流出により急速に過疎化が進み,平成20年1月1日現在の人口は2,901人と激減しております。1世帯あたり人員は2.3人で,65歳以上の高齢者が占める割合は,現在54.8%と全国一の高齢化率となっております。

2.未曾有の大災害
 
平成19年9月6日(木)は,大型台風の接近に備え,午前中から職員には土のう等の資材や備蓄品の確認を行わせ,午後4時には各課長に対策を指示して通常の勤務時間終了後も職員を庁内に待機させました。また,住民にはCATV有線電話の告知放送で注意を促すとともに避難所への自主避難を呼びかけ,消防団には地域警戒出動を命じるなど災害発生には万全の体制をとっておりました。夜8時頃より降
雨が激しくなるにつれて,災害発生の連絡が各地域から入りはじめるとともに,村内7つの避難所には,危険を感じた多くの住民が駆けつけはじめました。
 職員や消防団員は,現地において必死の思いで,土のう積みや避難誘導を行っていましたが,夜11時頃には風雨ともに最大となり,災害の状況もピークとなって,河川は氾濫し,土石流となって地域を襲ったため,村のいたるところで道路は決壊し寸断され,ついには,現地へ職員等を派遣することもできなくなってしまいました。
 日付が7日(金)に変わる頃には,ただ住民に自主避難を呼びかけることが精一杯で,災害がこれ以上に拡大しないことを祈るばかりでした。
 降雨量は,降り始めの6日午後4時から翌7日午前9時にかけて512.5mmと過去にない記録的な豪雨となり,災害は,村の中央を東西に流れる南牧川の北側の南向斜面の地域に特に激しく広がりました。
 夜が明けるのを待って,全職員を招集し住民の安否確認と被害状況の調査を指示しましたが,ずたずたに道路が寸断され迂回路もない孤立地区への踏査は容易ではありませんでした。
 ピーク時において,4地区の14集落で231世帯502人が孤立を余儀なくされ,その世帯は村全体の4分の1に達し,水道や電気等のライフラインも麻痺するという大きな災害となりました。住宅の被害は全壊が1件,半壊11件,床上浸水19件で,河川の増水により逃げ遅れた3名が消防のレスキュー隊により救出され,人工透析,酸素吸入といった在宅療養中の2名が,停電のため移動が緊急に必要となり,防災ヘリコプターにより救助されました。軽症者は1名でありましたが,このような状況下にあっても尊い人命を一人として失うことがなかったことが奇跡的であり,せめてもの救いとなっております。
 その後は,孤立地区解消のための道路・水道等の応急復旧を急ぎ,また,被災者や孤立地区住民への支援にあたっては,県,関係機関,自衛隊,消防,ボランティア等のご協力をいただき,住民と一丸になって取り組みました。道路等の応急復旧は,建設業者に依頼したほか,寸断された道路の上流で建設機械の入らない個所の応急復旧等には,地区の区長・分区長さんの陣頭指揮により住民自ら作業にあたっていただき,関係者の懸命の努力により,災害から6日目の9月13日の午後9時には,すべての被災地区で道路と水道のライフラインが仮復旧し孤立地区が解消されました。
 被災者や孤立地区住民への支援では,女性団体の皆さんには炊き出しを,自衛隊には,孤立地区の状況把握や食料,物資の輸送等に協力していただくなど,その他,被災者の心身のケア支援に至るまで様々な方面の方々の応援をいただきました。
 また,消防団においては,台風襲来時の警戒,避難誘導や被災者支援活動にと尽力し,高齢者世帯の堆積土砂や災害ゴミの片付け作業等も行い,消防団員の連日にわたる献身的な活動には,住民から多くの感謝の気持ちが寄せられました。
 被災者支援の対策としては,臨時の「緊急災害復旧対策室」を設置し,同対策室員として併任された企画情報課職員4名が,黄色い腕章をつけて村内を駆け回り,被災者の復興支援や諸々の相談に応じるなど,現在も万全の体制をとっております。
 本村での被害は,県所管の県道,河川,砂防及び治山関係では140余箇所となり,村関係では,公共土木施設54箇所,林道12路線,水道3施設が災害査定を受けましたが,その他の査定基準に該当しない小規模のものなどを含め本村の災害復旧に要する経費の総額は,6億2千余万円となりました。
 これに要する一般財源所要額は,1億3千余万円となり,一般会計予算規模約20億円の本村にとって,村財政厳しい中で,このたびの災害は大きな痛手となっております。
河川は埋まり村道は流出し川となる(上底瀬地区)

住民による応急復旧作業(上底瀬地区)

流出した県道(小塩沢地区)

自衛隊による食料空輸作業 土石流で埋まった村道と河川(仲庭地区)

3.今後の課題
 災害発生時から「高齢化率日本一の過疎の村に大災害発生」ということで,テレビや新聞の各社から注目されるようになり,その報道において,本村の抱える色々な問題点も指摘されております。
 専門的な学者,有識者等の意見によりますと,農山村の高齢化により,山林の管理が行き届かず,山林の荒廃が災害の引き金となっているとの指摘もありました。学術的には良く解かりませんが,木材価格の低迷及び携わる人達の高齢化により,管理できる森林はほんの一部であり,ほとんどは放置されているのが現状です。災害により林業作業道はほとんど壊滅状態で,特に暴風によりなぎ倒された木々がそのままになっており,今後を考えますと大変不安な状況となっております。現在,地球温暖化抑止が世界的なテーマとして検討され,二酸化炭素の吸収源としての森林・林業に対する重要性の認識と期待は年々高まってきておりますが,村土の89%が森林という本村にあっては,災害防止策のためにも,森林整備関連予算の更なる増額を国に要望するものであります。
 また,災害報道の中に「小さな村の限界」「合併により大きな規模が必要」というような記事が載りました。本村は平成の大合併促進の中で,合併に真剣に取り組みましたが,合併相手方の住民投票により最終段階で合併できなくなりました。
 合併によるメリット・デメリットがありますが,今回の災害の経験からすれば,小さな村だからこそ,きめ細かい対応ができたと言えます。
 被災した地域には,平均年齢が80歳を超える限界のまた限界集落といえる地域が6地区もありましたが,インフラが切断され孤立した状態の中にあっても,人々が助け合い協力しあって地域の力で日常の生活を取り戻すことができました。何よりも災害時に,どの家に人が何人生活していて,自力で避難ができるか,健康状態はどうか,というような正確な情報を地域住民は共有しており,役場職員や地域消防団員と連携し安否確認や避難誘導できたことが,今回の大災害にあっても人的災害を防げた大きな要因と考えております。
 このような大災害をうけて,改めて防災対策の重要さを強く感じ,また,住民においても防災意識が高揚している中において,これらを教訓として,小さい村だからこそできる,行政と住民が一体となった,きめ細かい防災対策を早急に整備し「災害に強い・安全・安心の村づくり」に努める所存であります。
 結びにあたり,このたびの災害に際しましては,被災者救援活動あるいは復旧活動にご援助をいただきました国,県をはじめとする関係機関,団体,ボランティア等の方々,各地から救援物資やお見舞金等の心温まるご支援をお寄せいただきました皆様に対しまして,この誌面を借り,心より厚くお礼を申し上げます。現在,一日も早い復興に向けて取り組んでいるところでございますので,今後とも,ご指導,ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。