平成19年7月中越沖地震によるがけ地の被災を受けて

会田洋(Hiroshi Aida、新潟県柏崎市長)

「砂防と治水184号」(2008年8月発行)より

○はじめに
 
柏崎市は,新潟県のほぼ中央に位置し,民謡三階節で名高い米山をはじめ,黒姫山,八石山,西山連峰の懐に抱かれ,豊かな恵みを受けつつ,福浦八景や砂丘地などの変化に富んだ42kmの海岸線から佐渡島を望む風光明媚な市で,面積442.7km2,平成17年5月1日に高柳町,西山町と合併した人口約94,000人の地方都市です。

○平成19年7月16日 中越沖地震の概要
 
夏本番を迎える三連休の最終日の穏やかな「海の日」,平成19年7月16日午前10時13分,本市を震度6強の新潟県中越沖地震が襲いました。市内で14人の方が尊い命を落とされ,1,600人以上の方々が負傷し,市の概算被害額2,300億円,住宅被害は28,000棟を超えるなど,未曾有の大災害となりました。
 本市は,平成16年10月23日に発生した「中越大震災」においても被災しており,3年を経過しない短い期間に2度の地震に見舞われました。
 中越沖地震は,本市のまち並みを形成していた木造家屋の倒壊や,地盤液状化の影響による住宅・宅地の被害など,市民の生活,企業の事業活動を直撃しました。また,世界最初の事例となった原子力発電所立地地域を襲った大規模な地震であったことが特徴でした。




1.震災1日の動き
 祝日であったため,「地震第3次配備体制」に基づき,私以下全職員が直ちに登庁いたしました。登庁して私が最初に指示したのが,まだ被災の全容が明らかでないなかではありましたが,自衛隊の出動要請でした。
 その後,午前10時50分に住民への防災無線で第1報を広報するとともに,午前10時53分に私を本部長とする「柏崎市災害対策本部」を設置し,直ちに市内の災害状況及び災害応急対策実施状況等を協議するとともに,職員は地域防災計画に基づき初動調査を始めました。
 前後しますが,午前10時37分,東京電力柏崎刈羽原子力発電所から第1報で,3,4,7号機及び2号機が自動停止し,全号機が停止となったとの連絡が入りました(1,5,6号機は定期点検中)。
 震災2時間後の12時10分に仮設トイレの手配,給水車50台を要請したところに,倒壊家屋から15名救出の情報に一時ほっとする間もなく,途切れなく入る情報で拡大する被害の状況が次第に明らかになってきました。
 13時10分,自衛隊本部が到着し,新潟県に5,000人×2食分と飲料水を要請。病院に搬送された2名の死亡が確認され,この地震によりはじめて死者がでました。
 14時10分,大規模地すべりが発生した米山町の一部20世帯60人に初めて避難勧告を発令し,その後,避難勧告・指示を発令した箇所は16箇所,152世帯,421人におよびました。
 15時,本部会議で死者3名,避難所27箇所,避難者数1,073名を発表後の15時37分に最大余震の震度6弱を観測し,さらに被害が拡大することとなりました。
 20時災害救助法適用,20時30分政府現地連絡対策室が設置され,この時点で死者が7名となりました。
 21時26分と44分の2回,私が防災無線により市民に「冷静に行動すること」「困ったことがあったら市役所へ連絡すること」「全国から支援の手が差しのべられつつあります」等の呼びかけを行いました。
 21時50分,副知事を筆頭に新潟県は現地対策本部を設置しました。
 余震による家屋倒壊等の不安から,翌日の17日には避難所82箇所,避難人数11,410人と最大に達しました。

2.被害状況
 この地震により,市街地を中心に生活道路である市道,地下埋設物の上下水道,ガス及び電気のライフラインが大きく被災し,市民の生活に深刻な影響を及ぼしました。特にガスの復旧には時間を要しました。一日最大2,500人の応援を県内はもとより県外からも頂き,復旧作業に全力を尽くしました。しかし,被災を受けたガス管内に土砂や地下水が流れ込み,取り除く作業後に漏れ確認を行いガス管の健全性を確認後,漸く使用できるこの作業の繰り返しの連続でした。そのため,自衛隊が各地で営した臨時入浴施設を多くの市民が利用できたことは,大助かりでした。ガス・水道復旧応援隊と自衛隊には大いに感謝するものです。
 本市の道路・河川等の公共土木施設の災害復旧については,国,県や関係機関から早期な現地調査等を実施して頂き,震災後2カ月後の9月14日には災害査定が完了いたしました。災害復旧工事の多くは,20年度に繰越施工を行っています。これらの事業を最優先に行い,21年春までにほぼ完了させる予定で取り組んでいます。
 一方,建物被害(住居)は全壊1,118棟,大規模半壊676棟,半壊3,885棟,一部損壊22,639棟の計28,318棟におよび,市内の住居の約9割は何らかの被害を受けたことになりました。
市役所より300m、市街地での倒壊家屋 JR信越線青海川駅付近の地すべり

主なライフライン被害と復旧


3.応急仮設住宅
 
避難所に10,000人を超える市民が避難している中,ライフラインが復旧すれば自宅に戻れる人もいますが,住宅が全壊等した避難者のために仮設住宅の建設を急がなければなりませんでした。震災直後のこの時点では全壊家屋数の集計がでていませんでしたので,被災町内会長へ電話等の聞き取りにより約1,000戸が全壊との数字が出て,改めて被害が甚大であることを痛感する暇もなく,これを基に当面1,000戸建設に向け新潟県と協議を始めたのは被災後2日目の18日からでした。
 その建設場所は,基本は被災地域の小中学校のグランドを除く公共用地を対象として,39箇所,1,007戸の応急仮設住宅建設が,地震発生1週間後の7月23日から着手され,いち早く発生後22日の8月12日には,一部完成の運びとなりました。猛暑の中での避難所生活は並大抵なものでありませんでしたので,迅速な対応を頂いた国,県に大変感謝し,8月末には全て入居可能となったことから避難所を閉鎖しました。
 現在でもまだ758世帯,2,033人が避難所生活を送っています。全壊世帯,仮設住宅入居世帯を対象に個別に生活再建支援プランを8月を目途に作成しているところです。
 災害公営住宅は,現在設計の段階で,21年8月の完成を目指して進めています。高齢者の方が入居されることを考慮し,市街地の利便性の高い柏崎駅前に140戸,西山町坂田地内に30戸の予定でいます。

○がけ地等の災害復旧への取り組み
 
今回の地震の特色として,市街地の生活道路が地下埋設物とともに被災したことと,地すべり,盛土造成地の滑動,液状化現象等による宅地地盤の沈下,隆起,段差,亀裂等が各地で生じ,市街地や市街地周辺部の造成地団地を中心に家屋の損傷とあわせ宅地地盤が多く被害を受け,「地盤災害」が中越沖地震の特色の一つでもあります。
 大規模な地すべりや地盤変動による土砂災害が発生し,避難勧告・指示を発令した地域については,早期復旧に向け災害関連緊急砂防事業が8月7,8日には事業採択され,その後,追加採択を頂き,あわせて14箇所となり,順次復旧工事が完了してきています。これら迅速な取り組みに対し国,県に感謝しております。
 市では,震災直後に実施した「被災宅地危険度判定調査」1,398箇所と市民の皆さんから通報のあった箇所を調査しました。その結果,宅地がけ地等の被災調査箇所は1,794箇所で,そのうち「被害はあったが,防災上問題なしの小被害は856箇所」「放置すると被害が拡大あるいは早急に対策が必要な箇所は938箇所」におよびました。
 放置すれば人家等に著しい被害を及ぼす箇所で,国の補助を受け公共事業として市が復旧工事を実施する「災害関連地域防災がけ崩れ対策事業」は,通常の採択基準である自然斜面でがけ高さ5m以上の23箇所に加え,3年前の新潟県中越地震と同様の特例措置である宅地擁壁等の人工斜面の崩壊を含むがけ高3m以上の21箇所を加え,44箇所が国にお願いして事業採択となりました。ちなみに,この特例措置は,平成9年阪神淡路,平成12年芸予,平成16年中越に続き4例目の特例措置で,本来であれば宅地擁壁等の復旧は所有者が対応すべきところであり,被災者にとって大きな救済措置となりました。
 同様に,新潟県より補助を受け,保全家屋1戸以上の比較的被害規模の少ない「小規模急傾斜地崩壊対策事業」については,自然斜面の通常5箇所に,人工斜面のがけ高3m以上の98箇所を加え103箇所が事業対象となりました。
 しかし,対策が必要な938箇所のうち,がけ高3m以上の宅地擁壁などの人工擁壁の復旧を公的支援できたのは160箇所にとどまり,このほかの778箇所は,がけ高3m未満で公的支援できないため,被災宅地の復旧を支援する新潟県中越沖地震復興基金を活用して,1戸の場合,第1次メニュー「被災宅地復旧工事」により,143件の申し込みがあり,そのうち89件が工事を完了しています。2戸以上の者が共同で行う場合,第2次メニュー「宅地地盤災害復旧支援」により,4件の申し込みで2件が完了しています。
茨目地内の人工擁壁の倒壊
○おわりに
 震災直後から,国・県の関係機関や自衛隊,他の自治体,ボランティアをはじめ,全国各地から多くの手厚いご支援をいただき,大変厳しい状況の中ではありましたが,市民が力を合わせて難局を乗り越えて今日を迎えました。
 復旧・復興に向けて,震災復興計画のキャッチフレーズを「さらなる未来へ」とし,次代を担う子どもたちが,誇りと希望のもてるふるさと柏崎の再生に向けて,地域が一丸となって取り組んでいきます。そのため,市民の一日も早い生活の再建と,都市基盤の早期本格復旧,産業の再生を果たし,更には,風評被害の払拭,都市・地域の再生などの課題について,長期的視点に立って,段階的かつ着実に取り組みを進めて行く所存です。
 このたびの震災がまさに未曾有の災害であっただけに,その復興に向けての道のりは決して平坦ではありません。しかし,この震災から得た教訓を踏まえ,市民の叡智を集め,一日も早く復興を成し遂げることが,いただいた多くの支援に対するお礼になるものと思っております。