平成19年9月の台風9号による土砂災害について

宮前鍬十郎(Kuwazyuro Miyamae、群馬県神流町長)

「砂防と治水185号」(2008年10月発行)より

1.神流町の概要
 神流町は,平成15年4月1日に群馬県で最初に町村合併して「神かん流な町」(旧万場町,旧中里村)として誕生した町です。
 本町は,群馬県の南西部に位置し,東西約18km,南北約13km,総面積は114.69km2,人口は2,661人で過疎化,高齢化の進んだ町であります。東は藤岡市(旧鬼石町),北は藤岡市及び下仁田町,西は上野村及び南牧村,南は埼玉県秩父市(旧吉田町)及び小鹿野町と接しています。
 標高は役場所在地が約330m,中里合同庁舎が約425mで,最高は赤久縄山の1,522mとなっており,平均1,000m前後の山々が連なる典型的な山間地域であります。
 地質は,関東山地北側にあり,中・古生代の地層が広く分布し,これらは南に中生代白亜紀の山中層群,北に中生代三畳紀からジュラ紀の秩父累帯北帯が,東南東から北北西に帯状をなしています。山中層群は,頁岩,砂岩,礫岩からなり,大型化石の発見もされております。昭和56年3月,旧中里村地内の山中地溝帯より恐竜の骨の一部が発見されました。また,昭和60年4月には白亜紀の地層が露出している岩場に「くぼみ」があり,水辺を恐竜が歩いた足跡と思われておりましたが,「恐竜の足跡」と認定されました。また,希望者には学芸員の指導の下に化石発掘体験も行われ,一億二千万年前の古代へ想いを馳せるロマンもひろがっております。
 本町では,春の大型連休になると山間地特有のV字谷を利用して800匹のこいのぼりを河川敷上空に掲揚し,「こいのぼり祭り」を開催しております。連休中は近隣からも大勢のお客さんにご来町いただいております。近年は,「都会で大きなこいのぼりを簡単に掲揚できない」ということもあり,都会に住むたくさんの若い夫婦が子どもの名前を書いたこいのぼりをこの800匹のこいのぼりと一緒に掲揚し,我が子の元気で健やかな成長を願う場面もみられます。薫風の中,たくさんのこいのぼりが群泳するさまは優雅であり,ここ「奥多野地域」の春の風物詩となっております。これからも山紫水明の地で楽しい春を満喫していただけるよう関連施設整備などに力をいれてまいります。

2.経過
 台風9号による降雨は,9月5日夕刻から7日未明にかけ,降り始めてからの総雨量が522mm(万場)に達し(時間最大雨量50mm),町内各所でライフラインをはじめ甚大な被害が発生いたしました。関東随一の清流を誇る神流川も,激しい雨の影響でぐんぐん増水を続け,夜間パトロールで時々照らす懐中電灯の明かりの先に見える神流川は,まるで怒り狂った生き物のように見えました。大きな波と濁流独特の泥臭い臭いを発し,暗黒の中をたくさんのゴミや大きな流木をはじめ,ありとあらゆる物を飲み込んで流れていました。幸いにも人的被害はなかったものの,持倉集落が6日間孤立しました。8世帯,15人が生活するこの集落の人たちは,お互い励まし合い,協力し合い,この6日間を乗り切りました。電話の通信手段は正常に機能していたのがせめてもの救いでした。急患でも出たときは防災ヘリをお願いするつもりでした。そしてこの集落の人たちは,日頃から野菜をはじめとしてかなりの食料を自給しているのが「強み」でした。多少の困難に生き抜く生活力をもっていたのです。
 日頃私は,大きな台風や自然災害と対峙したとき,人間社会がいかに小さく,そして脆弱なものだと痛感しております。それは,まるでレフリーのいないボクシングの試合のようなものです。二人のボクサーが戦い,やがて片方がパンチをくらい,足下がふらつく。これでもかこれでもかと叩かれてノックアウトされても試合を止めるべき審判がいない。ダウンしても情け容赦なくパンチを浴びせる。受け身のダウンした選手は全くなすすべがないままパンチを浴びる。元気な選手が叩くのに飽きてパンチをやめるまでダウンした選手はされるがままでいるよりない。自然災害の前には,人間社会はいつも「受け身に回る」と思っている方も多いのではないでしょうか。
 さて,話が少しそれてしまいましたが,状況を列記してみます。
・9月5日(水)
 台風の接近により,土砂災害の警戒や情報収集などについて役場職員で手順を確認する。
・9月6日(木)
 6:29 藤岡土木万場事業所より今後の雨量次第で主要道路交通規制となる旨の連絡(予備規制)を受ける。国道299号,同462号及び(主)(一)県道3路線が対象。
 7:40 総雨量116mmとなり,風雨が益々強くなることが想定されるため,住民へ注意喚起のため,一斉放送を流す(CATV 及び屋外放送を利用)。
 8:00 災害警戒本部設置。初期動員発令 課長補佐以上並びに総務課員。
 9:00 船子集落で,1世帯4人が自主避難。
 13:00 累加雨量147mmとなる(万場)。
 18:00 風雨一段と強まる。防災計画第1号動員とする。係長以上待機及び情報収集等に就く。
 19:00 累加雨量260mm。18:00からの時間雨量は38mm(万場)。気象情報から,「明朝まで強い風雨が続く」ことが予想されました。
 21:00 災害対策本部設置(職員の招集)。被害情報も多くなった。
 22:00 時間雨量50mmを計測した(万場)。
・9月7日(金)
 1:00 現在の累加雨量439mm(万場)。
 1:30 柏木区長より電話。入沢谷川沿いで増水した濁流が民家に入りそうだ。至急土のうを欲しい(消防団と町職員で土のう設置し防御した)。
 8:00 町外への通行道路がすべて交通止めとなってしまい,朝を迎えた。時間6o程度の小雨となり空も明るい。大災害を残して台風が去った。
 8:30 災害対策本部廃止。
 10:00 町内の被害状況調査開始。
 台風のあと,職員を7班編成し,管理職を班長にしてすぐ管内全域への被害状況調査を実施しました。これと同時に,簡易水道施設の復旧作業にすぐさま着手したほか,二つの国道と主要県道3路線の道路上に大量に堆積した土砂や流木,石などを片づける「土砂片付け」を土木事務所にお願いしました。町道などは生活に密着しているだけに「歩くだけでも応急的に復旧して欲しい」との電話が鳴りっぱなしでした。道路関係と水道施設を担当する建設課はライフライン確保のため,水道施設復旧を最優先させました。この水道施設はすべての施設(簡易水道7施設,簡易小水道3施設)が被害に遭い断水しました。多くは取水施設が破壊されたものでした。
 大きな災害の直後は,建設業界でも重機の数や社員数にも限りがあり,重機を一斉にフル稼働することは物理的に不可能です。重機を操作する従業員の家も被災して出勤出来ない社員もいることがあるのです。
主要地方道(県道)日之影宇目線の決壊箇所 綱の瀬川の被災状況 綱の瀬川鹿川地区の土石流

3.自主避難者
 今回,自主避難された方は8世帯,21人でした。急傾斜地区に家を持つ方が圧倒的に多いのですが,河川に近い方も自主避難しました。長い間,川の近くで生活している知恵で,「あそこの岩まで増水したら危険だ。すぐに逃げなきゃ大変なことになる」といった生活術をもっているのです。それぞれ生活区域内の集会所や役場大会議室に避難していただきました。町で備蓄している毛布を配布し,不安を余儀なくされる避難先では食事の際に温かい食べ物を提供し,心を落ち着かせてもらうようつとめています。高齢者から乳飲み子まで年齢層は幅が広かったですが,短い時間でも安心して過ごせる場所の確保は必要と痛感しました。

4.災害復旧
 被害状況調査を集計した結果は次のとおりです。
  町道 102,900千円
  林道 362,825千円
   計 465,725千円
  消防団員延べ出動人数 110人
  自主避難 8世帯 21人
  他の公共団体への応援要請 なし
  自衛隊の派遣要請 なし
 災害の復旧については,災害査定を受け国や県の素早いご尽力をいただき,鋭意復旧事業に取り組んでいるところです。
 災害後は道路の寸断に遭い,どうしても現地まで調査隊が入ることが出来ない状況下,やがて厳しい冬期に入り積雪や路面凍結等の悪条件が重なった場所もありました。春になって雪解け後,やっと調査に入れたら予想以上の大きな崩落や土石流の跡が発見されました。大規模の崩落箇所では地形が極端に悪いことに加えて被害面積が広く,被害の全体像がつかめずにいたところ,国土交通省の方がヘリコプターから調査した機会があることを聞いて,「崩落距離はもっとずっと長いですよ」と教えていただいたことがあります。今後は急峻な山岳地帯では上空からの調査資料の研究も必要と痛感しました。

5.課題
 台風のつめ跡は,まだまだ大きな惨禍となっており,いまだに災害箇所の新たな発見が報告されることがあります。これは,あまりにも大きな被害が発生したことと同時に,町内全域に災害が発生してしまったことにもなります。特に町道については路線延長も長く,限られた人員と時間では状況を網羅するのは不可能の状況でした。
 今回の災害に関し,気になることが二つあります。一つは,間伐材のいたずらです。本町は,総面積の87%の林野面積ですが,本来,森林は国土を護り,二酸化炭素を削減し,地球温暖化の防止に大変重要な役目と役割が期待されております。森林作業は,雇用の創出や時代の流れでJターン,Iターンの発生につながり,町活性化にも寄与する歓迎すべき事業です。しかし,より良い森林(もり)を造るために間伐や除伐を行うわけですが,玉切られて放置されている木々が大雨のために流出し,林道などの排水施設の集水枡や流路溝をふさいでしまったのです。
 さらにその上にゴミや木枝がひっかかり,土砂が流れ着いて,水路をふさいでしまったのです。522o降った雨は行き場を失い,勝手に道路を流れ,やがて土羽に流れ落ちることになり,道路を壊し,最悪の場合はブロック積みや擁壁などの構造物まで倒してしまったのです。本町の被害の8割以上が何らかの流木の影響を受けたと思われるものでした。
 二つめは,本町のシンボル的な山で人気のある「御荷鉾山(みかぼやま)」山系がこの2,3年急激に雨量が増えていることです。ゲリラ的降雨も珍しくなく,この夏は,釣り人が河川に止めておいた車が上流で降った多量の雨の影響であっという間に増水した沢の水と川の合流点で水没しかけた,という出来事がおきました。
 何が原因でみかぼ山系に最近大雨が多いのか素人の私には分かりませんが,本町の下流と上流に大きなダムが出来てから大雨が多いように思います。湖水から絶えず水蒸気が上がり,何らかの気流が発生し,降雨と因果関係があるのかどうか,気になるところです。