平成19年「台風9号」災害を受けて

新井利明(Toshiaki Arai,群馬県藤岡市長)

「砂防と治水186号」(2008年12月発行)より

1.はじめに
 藤岡市は,群馬県の南西部に位置し,高崎市の南,埼玉県に隣接する群馬県の西の玄関口にあたります。平成20年10月1日現在の人口は70,064人,面積約180km2で,東に神流川,西に鮎川,北に鏑川・烏川と川に囲まれ,市域の6割強が山間部となっており,年間の平均降水量は約1,000mmの比較的穏やかなまちであります。昭和29年に市制施行となり,平成18年1月に旧鬼石町と合併し,市民が創り,輝くやさしい都市の建設を目指しているところであります。
 本市の主な罹災例としては,過去50年間で,台風,集中豪雨によるものが19件あります。一番被害が大きかったのは,昭和57年8月の台風10号で,床上浸水93軒,床下浸水919軒,全壊9軒,がけ崩れが4箇所あり,総雨量は241mmでありました。平成に入っては,平成10年9月の台風5号により床上浸水3軒,床下浸水39軒,がけ崩れが3箇所で,総雨量は203mmというのがありました。

2.台風9号経過
1)降り始めの状況
 さて,今回の台風9号の襲来は,本市に大きな打撃を与えました。台風9号は9月3日から太平洋を北上し,群馬県内では5日午後から雨が降り出し,7日までの総雨量は,藤岡市内219mmであったものの,山間部の上日野箕輪地区では622mmと過去最大となりました。これは,本市の年間降水量の半分以上が3日間で降ったことになります。
 この状況の中,5日19時15分に「大雨洪水警報」が発令され,市内の国道・県道は,20時59分を皮切りに通行止め路線が出始め,6日13時には通行規制区間の全てが通行止めとなりました。
 5日の21時45分には,群馬県として初めての「土砂災害警戒情報第1号」が藤岡市に発令され,災害対策警戒本部,地元消防団での警戒を強めていたところ,山間部にあたる日野地区で土砂くずれが発生し,一時4世帯が孤立をいたしました。
 さらに台風の進路が群馬県を直撃する方向となって来たため,全市的対応として,6日11時に山間地の日野地区区長会,また14時に鬼石地区区長会を開催し,大雨による危険な状況を説明した上で,危険地域の方々に避難を呼びかけたところであります。
 雨は一層強くなり,6日22時45分に鬼石地区「三波川金丸急傾斜地」11世帯の裏山で土砂くずれが発生いたしました。幸い「待ち受け擁壁」が施工済みであったため,被害は最小限にとどめたものの,二次災害の危険があることから,近くのコミュニティセンターへ自主避難をいたしました。
 このような状況下,豪雨は山の斜面を駆け下り,河川を激流に変え,下流の市街地へと流下してまいりました。このため市内の河川が警戒水位・避難水位・氾濫水位を次々に超えていく状況となり,特に6日23時には,報道でご案内の南牧村に端を発する鏑川の水位が,氾濫危険水位3.6mを超える状況となり,7日深夜1時30分に鏑川沿い上落合地区の住民35世帯に対して「避難勧告」を発しました。
 車のスピーカーによる広報ではほとんど聞こえないため,地元の自主防災組織の方と市職員で班を組み,一軒一軒回りながら,状況説明し,避難誘導を行い,近くの小学校へと住民の方を避難させました。車を持っていない方や足の不自由な方は市のマイクロバスで送迎し,体育館には総勢42世帯127人の住民の方が,3時過ぎまでに避難を完了いたしました。
 この後,上落合地区の下流地域にあたる中島地区でも浸水被害が出る恐れが発生し,3箇所の避難所を設置するなど態勢を整えました。結果的に回避できましたが,この地区では,避難勧告を出すかどうかを検討中の朝方に,勧告が出たとの情報が錯綜し,避難を始める人が出るなど,一部混乱をきたしたことは,情報伝達の際の反省材料となりました。
 一方,保美濃山・犬目地区の地すべり地区においても,降り続く雨を警戒していた矢先,住民の方が石の転がるような大きな音の前兆現象を察知し,近くのコミュニティセンターへ地元消防団の誘導により,避難を始めたところでありました。その直後に大規模な土石流が発生し,家屋を全壊させました。住民の方は「あのまま,家の中にいたら死んでいた」と話をされておりました。
 この地区では,上部の杉林法面が崩落し,市道のコンクリート擁壁と共に,杉などの大木をなぎ倒し,砂防流路工沿いを一気に下り,家や納屋を襲ったものでありました。この地区は結局,全壊2軒,半壊2軒,床上浸水1軒,床下浸水1軒の被害となってしまいました。
 また,市内の他の山間地区でも,山崩れ,がけ崩れが相次ぎ,倒木,間伐材なども流出し,各地区で道路が寸断されました。7日昼の時点では,30箇所以上の土砂崩れにより,13集落,184世帯,347人もの孤立者が出てしまいました。
 この7日以降,国道・県道・市道の復旧が始まり,集落内での給水施設の破損から給水車の派遣も行い,復旧への対策が次々に実施されていった訳であります。
 
被災当時の河川の状況 被災状況(坂原地区) 被災状況(保美濃山地区) 被災状況(保美濃山地区)

 9日には,孤立状態となっていた日野地区の最奥の集落へ,群馬県防災ヘリコプターの応援をいただき,消防署員らとともに,救援物資を届け,また,ヘリから降下した署員らにより一軒一軒安否の確認をしました。なお,ひとりのお年寄りの被災者を市内へ搬送していただきました。
 道路の寸断は,大規模なものを除き,11日にはほぼ通行可能となりました。
 また,この雨は山の木々をなぎ倒し,間伐材を流出させました。擁壁を破壊し,道路をふさぎ,河川へ流れ込みました。修復と撤去には,大きな負担が生じ,治山治水と森林涵養の面からも,間伐材の放置は今後重要な問題となってくることと思われます。
県防災ヘリによる救援物資の搬送(日野地区)
3.災害の教訓
 台風9号により教訓になったことは,災害にはみんなで対処するということであります。特に,地元消防団は,台風の襲来前の「土のう作り」から始まり,小規模な土砂崩落の片付け,河川水位の警戒,河川での土のう積み,危険住宅へのシート張り,避難民の誘導など多くの役割を担っていただきました。また,地元区長会を中心とする自主防災組織は,避難勧告の地域住民への呼びかけ,誘導をしていただきました。これらの方々の強みは,何と言っても地元をよく知っているということであります。
 災害時では,特にこれら地域住民の方の行動が重要です。住民と行政が一体となった行動により,被害を最小限に食い止めることができたと思います。
 また,市の対応としては,避難所での役割,住民への情報伝達の方法,本部から現場,現場から本部への正確な情報伝達,重要な場所への緊急動員等,現実の対応に際して様々な問題が明らかになりました。このことから,市では,災害対応にあたった職員全員に,今回の台風での一連の動きを把握するために当日の「活動調査」を行いました。その活動調査表を元に「藤岡市職員災害マニュアル」を作成いたしました。その後,合計4回の管理職以上への職員を対象に説明会を開催し,災害に備えているところであります。

4.現在までの復旧
 復旧に向けての動きでは,国・県の協力を得ながら小規模なものから,大規模なものまで進んでおります。
 道路事業では,補助災害復旧事業,県施工15箇所,市施工19箇所,市単独災害事業14箇所を行い,河川事業では補助災害復旧事業,県施工19箇所,市施工1箇所行い,砂防事業では,補助災害復旧事業,県施工2箇所を行いました。さらに,県において災害関連緊急事業により,急傾斜地1箇所(金丸地区),地すべり1箇所(保美濃山地区)を行っております。また,今後の台風災害等の対策として,災害対策緊急推進事業費により,国道462号線下久保ダム上流区間の改良7箇所と防災1箇所の整備が進められているところであります。本年度中には,概ねの箇所で整備が完了,完了予定となっております。
 次に治山事業では,上日野尾根地区の災害復旧で平成19年度にボーリング暗渠工,土留工が施工され,20年度では滑動抑止の杭打工や渓岸侵食防止と土砂流失防止のための谷止工が年内には完成予定となっています。
 国の河川事業については,今回避難勧告の出た上落合地区で,「鏑川浸水対策事業」を高崎河川国道事務所が実施しており,19年6月に「新上落合樋管」が完成し,浸水被害の軽減に効果を発揮いたしました。
 また,利根川水系砂防事務所で実施しております,関東地方で1箇所だけの「直轄地すべり対策事業」である「譲原地すべり対策事業」では,直轄施工以前の平成5年と比べ,連続雨量が約4.5倍,1日最大雨量約4倍という今回の台風でも,地下水位が低下していることが確認され,当該地区での被害も発生せず,大きな効果を実証したこととなりました。
 なお,今回の台風では多くの砂防堰堤において,土砂ばかりでなく流木を捕捉したとの報告を受けておりますが,土砂災害警戒情報の運用と相まって,結果として被害を最小限に抑えるなどの効果を発揮したものと考えております。
 地球温暖化の影響か,自然災害が多発している昨今,住民と行政とが一体となった災害対策体制づくりと,地域におけるお互いの信頼関係の構築が最重要ではありますが,それにも増して日ごろの治水・砂防事業の整備,推進が欠かせないものであると,今回の災害で実感した次第であります。
 今後も,国・県のお力をいただきながら,災害防止,治水・砂防事業に積極的に取り組んで参りたいと思いますので,より一層のご支援・ご協力をお願い申し上げます。
西根高倉山土砂災害における
河道埋塞土砂撤去状況