大規模な土砂災害の復旧時における地元市の対応について

勝部修(Osamu Katsube、岩手県一関市長)

「砂防と治水193号」(2010年2月発行)より

1.はじめに
 一昨年の6月14日に本市を震源とする岩手・宮城内陸地震が発生し、多くの被害を受けました。復旧にあたりまして、関係者の皆様に多大なご支援、ご協力を今も頂いておりますことに、心から御礼を申し上げます。
 また、全国の多くの皆様から、お見舞いや激励を頂戴いたしましたことに対し、誌面をお借りして感謝と御礼を申し上げます。

2.一関市の概要
 一関市は、岩手県の南端に位置し、南は宮城県、西は秋田県に隣接しており、首都圏から450kmの距離で、東北地方のほぼ中央、盛岡と仙台の中間地点にあります。平成17年9月に7市町村が合併し、人口が約12万3千人、面積が1千133平方キロメートルとなり、県内一の広さ(H21.12.31まで)となりました。
 市の西方には国定公園栗駒山、東方には県立自然公園室根山が鎮座し、市の中央部を北上川が流れ、その支流には名勝天然記念物厳美渓や日本百景猊鼻渓などがあり、豊かな自然に恵まれております。また、平成23年の世界遺産登録をめざしている「平泉の文化遺産」は、北どなりの「平泉町」にあります。

3.地震の概要など状況
 地震の概要、地震発生時の状況や被害状況については、「砂防と治水」185号(2008.10)に寄稿してありますので、それを御覧下さい。

4.土砂災害と復旧工事への市のかかわり
 今回の地震では、地すべり、土石流、土砂崩壊等の土砂災害が発生し、これらによって、道路や河川といった公共土木施設が被災しました。
 ここでは国や県に行って頂いている大規模な土砂災害の復旧にあたって、地元市としてどのような対応を行ったかを紹介したいと思います。
(1)地すべりによる河川の閉塞
 市内を流れる北上川水系磐井川の上流部が地すべりにより堰き止められ、一時、下流の市街地部では水が涸れた状態になりました。上流側に湖が出来、それがだんだん大きくなっていきました。その様子は、逐次、TVニュースで取り上げられ、水が溢れて陸部にある耕作地や家屋を押し流していくことや、越流による土砂ダム(天然ダム)の決壊が懸念されました。

【国道交通省による河道閉塞対応】
 このため、緊急的な水抜き(工事)が必要となりました。市では、この区間が岩手県の砂防指定地だったことから、最初、県に支援をお願いしましたが、大規模な河道閉塞に対応する機械力や中越地震での実績、またその技術力から国の直轄砂防災害関連緊急事業としての対応を、岩手県、宮城県、栗原市などと一緒になって、国土交通省へお願いしました。現在は、その後の本復旧としての、1/100確立流出量見合いの河道断面の確保(掘削工事)を実施して頂いているところです。

【林野庁による斜面対策】
 河道閉塞をもたらした、地すべりの発生源である斜面対策については、この地すべり範囲が林野庁の直轄地すべり防止区域に隣接するために林野庁に担当して頂き、現在は、地すべり対策工の工事を進めて頂いています。

国道342号(槻木平地区):土砂崩壊状況 磐井川(市野々原地区):河道閉塞箇所の本復旧工事状況

〜一関市の対応〜
@地震直後の緊急対応
 地震直後に、天然のダムとなって急激に水位上昇を続ける河川の水を抜くことになりました。しかし、川にすべり落ちた土砂を単純に取り除くのでは斜面の不安定さを増し、再び、地すべりが起こりかねませんでした。このため、国土交通省では地すべり斜面に触れずに、反対側の陸部に水抜き用の水路(仮排水路)を掘削することとなりました。
a)国から市への仮排水路や資材置き場の用地確保の依頼
 この陸部は農地や宅地といった民地でしたので、当市へ国土交通省から、仮排水路のルート案が示され、この土地所有者の確認、及び土地使用の承諾を取り付けることが依頼されました。また、併せて資材や掘削土の置き場についても近くで探して欲しいとの要請を受けました。
b)避難所での地主捜し
 まだ、地震発生後2日目だったので、誰が何処の避難所におられるか市もすべてを把握していませんでした。そこで、市職員の交友関係、親戚関係などから一部の土地所有者の方の携帯電話番号を割り出し、そこから土地所有者と思われる方々に連絡し、ある避難所を集合場所に指定して集まって頂きました。避難所は、まだ、マスコミなど報道も規制されておらず、混乱した状態でした。だんだん水位が上昇している様子が避難所のテレビでも映し出されていましたので、借地についてはスムーズに受け入れてもらえました。逆に、「早くやってくれ」という切実な思いを強く感じました。
c)土地収用法の手続き
 所有者の判っているところは、直接、お話しできましたが、不明箇所については、3日目(月曜日)から確認を行いました、共有地や地元に住んでいない方の所有地等が有り、すべてに連絡し了承を取り付けるには、時間が要ることが想定されました。「一刻を争う状況において、了解が得られない場合には被害が発生してしまう」ことが心配されたので、国土交通省からは、万一に備え、土地収用法第122条の手続きを進めるとの話を頂きました。これは非常災害に際し公共の安全を保持するための対策を、特に緊急に実施しなければならない時に、土地の使用を起業者(今回は国)が、市町村長に通知することで、許可を受けることを要しないこととするものです。土地の所有者へお知らせは、起業者からの通知を受けた市町村長が行うこととなっています。
 土地収用法にこのような大規模災害を想定した条項があることを、あらためて、認識したところです。

Aその後の本復旧での対応
 災害復旧は林野庁の斜面対策にほぼ1年、その後に国土交通省が河川を埋めた地すべりの土砂を撤去するのに1年で原形への復旧を完了することで説明を受けていたのですが、実際に現地に入りまして詳細な調査をして頂いたところ、斜面対策には4〜5年かかることが秋に示されました。林野庁自体も驚かれた調査結果だったと思いますが、当市も、住民避難の解除に数年かかることとなるため、途方にくれてしましました。
 この際に国土交通省から、国土交通省側が当初、仮排水路として掘削した陸部のルートを更に拡幅するという案を出してくれました。この計画により、すべった土砂の安定性が保たれ、林野庁の斜面対策も2年で出来るということになりましたが、逆に、国土交通省側に国道342号の付け替えや家屋移転(2戸)等といった本復旧工事の内容を変更しての新たな負担を一手に背負っていただくこととなりました。お陰様で、早期の復旧に目処が付き、大変感謝しております。
a)家屋移転の手続きなど
 さて、この家屋移転については、市でも国、県と一緒になって、事情の説明や移転先地の確保、関係手続きなどに奔走しました。移転先地に自分の農地を希望されましたが、中山間地域等直接支払い制度の対象地となっていたことから、そうした手続きの解除は、限られた工事期間に間に合わせるため綱渡り的な行程でしたが、庁内各部課と調整を進め、何とか、工期内での対応が可能になりました。ただ、残念ながら8〜9ヶ月程度、仮設の住宅に住んで頂くことになり不便をかけております。

(2)土砂崩壊による道路の埋塞
 道路は落橋、地すべり、土砂崩壊により、国道、県道、市道が寸断されました。ここでは、県が管理する国道342号への市のかかわりを紹介いたします。
a)土捨て場の確保
 国道342号は当市から秋田県境に向かう山間部での被害でした。崩壊箇所も多く迂回路もないことから、順次手前から工事が実施され、岩手県からは崩落土砂の捨て場所の確保依頼を受けました。被災箇所の多くが国定公園内だったことから、公園指定地域の外での場所探しとなり、適地の確保が出来ず、山間部の渓流脇の僅かな農地の持ち主に受け入れをお願いせざるを得ませんでした。土捨て場の依頼にあたっては、だいたいの想定土量しか示されませんので、「○○mくらい盛らせて欲しい」「低いところを道路の高さに合わせて盛らせて欲しい」という感じで、各々の方の土地の形状や面積にあわせて、精一杯の説明をしました。通常の測量や設計を行ったものではないことから、こうしたおおざっぱな説明になってしまいましたので、最終的には「市で責任を持って農地として復元すること」を約束して、持ち主の方々から許しを得ました。このため、土地の返還にあたっては、地権者と県・施工会社などの間に立って、形状や取り付け道路を含めて調整を行っております。

(3)工事車両対策
 被災から1年近くたつと、復旧工事も最盛期となりました。多くの工事車両が現地を通ります。避難勧告も解除され、ほとんどの方が自宅に戻っていますので、沿道の住民から騒音、振動、泥跳ね、交通安全などの要望が寄せられました。
a)地元の要望対応
 これについては、直接、各工事主体に要望が伝えられる場合もありますが、市に寄せられることが多いようです。市では県や関係省庁と調整会議を設けておりますので、そうした会議で対策の調整を頂いたり、また、各機関毎にその都度、相談させて頂いています。
工事車両等の住宅地での減速走行、土埃対策の散水、防風ネットの設置など、住民への安全・環境対策への協力を頂いております。

国道342号:祭畤大橋の落橋状況 家屋に突き刺さった杉の木

5.災害を忘れないために
 当市では、今回の教訓を忘れず、今後に活かしていくために、災害の体験を後世に伝えていくことが重要だと考えております。このため、落橋した祭畤大橋の一部を県の協力を頂き保存する予定で検討を行っております。天然のダムを形成した市野々原地区などの被災箇所を加え、市民の防災教育の場として、保存、整備する取り組みを進めているところです。
 幸い、国、県、関係機関のご尽力により、復旧に見通しが付いてきたところです。そこで、住民から「地震前より良くなった」と言われることを「復興」と位置づけ、これまでの目標としていた「復旧」を「復興」に切り換えることを年頭に掲げたところです。
 是非、復興を遂げつつある一関市を見にお出で下さい。