田辺市における治水対策について〜2009年の七夕水害での教訓〜

真砂 充敏(Mitsutoshi Manago、和歌山県田辺市長)

「砂防と治水195号」(2010年6月発行)より

1.はじめに
 田辺市は,和歌山県の南部に位置しており,平成17年の市町村合併により,総面積が約1,026km2で和歌山県全域の22%となり,県下最大の面積を有する市となっています。
 市域の約90%を山林が占めており,地形につきましては,海岸部から平野部を経て,広大な山地部へ移行しており,美しい海岸線や緑豊かな紀伊山地とその山々を源とする大小の河川など,様々な豊かな自然との共生の中で,文化,地域の伝統を育んできた地であります。
 また,気候は海岸部の温暖多雨な太平洋型気候から,山間地における内陸型の気候まで,広範囲にわたっています。
 人口は,約8万2千人でありますが,減少傾向にあり,高齢化の進行や山間地域の過疎化が深刻な問題となっていることから,教育や産業など,あらゆる分野において,若年層の確保をはじめとする対策を講じ,人口の減少を抑えるとともに,年齢構成の均衡化に努めているところであります。
 観光面では,神秘的で奥深い森林・渓谷,世界遺産に登録された「熊野古道」や「熊野本宮大社」に代表される史跡,そして日本三美人の湯の「龍神温泉」や日本最古の湯である「湯の峰温泉」といった有数の秘湯,自然環境保全の象徴である「天神崎」に代表される豊かな海など,人々の心と身体を癒す文化と自然に溢れた地域であるとともに,商工業,交通,情報通信などの都市的機能を併せもった紀南の中核都市でもあります。
 また,偉人として,博物粘菌学者で知られる「南方熊楠翁」や合気道の創始者である「植芝盛平」,源平合戦の時代,源義経に仕え大活躍をしたとされる「武蔵坊弁慶」など後世に広く名をなした偉大な先人たちは,今も田辺市民の誇りとして,語り継がれています。


位置図

2.水害の発生と被害状況
 ここで,過去の災害について,少しふれたいと思います。
 紀伊半島は,台風の進路となることも多く,過去にも台風や豪雨による水害で被災した経緯が多々あります。
 古くさかのぼれば,明治22年8月18日から20日にかけて,時間最大雨量168ミリ,24時間雨量901ミリ,総雨量1,295ミリという記録的な集中豪雨,俗に言う明治の大水害では,左会津川の堤防の決壊や,大規模な山崩れが発生し,河水を堰き止めたため,被害が一層大きくなり,田辺市全域で死者470人,流出家屋及び全壊家屋を合わせ,1,407棟と未曾有の被害を受けています。
 このほか,昭和49年の七夕水害など,たびたび集中豪雨に見舞われ,また,台風では,ジェーン台風,伊勢湾台風や第2室戸台風など,多くの被害を受けている地域でもあります。
 昨年に,奇しくも昭和49年の七夕水害同様,35年後の平成21年7月7日の七夕の日に最大時間雨量66ミリ,6日午前9時から7日午前9時までの24時間雨量で345ミリという局地的な集中豪雨で,市内を流れる会津川がみるみるうちに増水,警戒水位を突破し,越流したことにより,沿川の4町内会で床上浸水57棟,床下浸水171棟の被害を受け,16世帯44名が避難し,また,市街地及びその周辺地域で傾斜地の崩壊による住宅被害が14箇所,そのうち全壊が3棟,一部損壊が3棟,全焼家屋1棟及び部分延焼1棟の13世帯29名が避難を強いられました。
 さらに山間部においても数箇所で,土石流が発生し,死者1名という人的被害も発生しました。
 道路関係では,国道,県道,市道その他の道路も含めた被害が約290箇所,農業施設関係では,ため池や用水路などで69箇所,治山関係では山腹崩壊10箇所などの被害を受け,特に農地関係では,土石流により,農地が数百メートルにわたり崩壊し,激甚災害の指定がされました。
 今回,雨量のわりに被害が大きかったのは,集中豪雨の時間帯と大潮の満潮時間が重なったため,河川が急激に増水したものであります。
 また,本市における山間部の地形は,非常に急峻で,降った雨が河川まで流出する速度が速いことや,市街地周辺においては,宅地開発による雨水の流出量の増加と到達速度の速さから,河川への流入量も増加しており,郊外では水田から果樹園,宅地に転換されていることなど,また,山間部においては,山林の伐採等により,保水能力が低下していることが,被害を大きくした一因であると推察されます。

会津川越流状況 浸水状況


家屋被災状況:全壊家屋3棟・一部損壊3棟,全焼家屋1棟・部分延焼1棟,13世帯29名が避難 土石流による被災状況:土石流による災害で死者1名

道路災害状況:上部が道路,下部が河川で高さ50mにわたり路側法面崩壊し家屋に被害

3.治水対策への取り組み
 左会津川水系では,治水事業として,明治22年の水害以降,河道の拡幅や連続堤防化などの改修を実施し,その後,幾度となく改修が進められ,昭和30年より河口から上流部の約2,000m間において,水害に対する防災対策として,国,県ならびに各機関のご尽力と関係者のご理解により,県が事業主体となり,築堤,掘削などの治水事業に取り組んでいただいており,洪水に対する安全性の確保や田辺市民にやすらぎと憩いの場を提供するため,豊かな自然環境を守り,育て,潤いのある空間と人々が集うことができる川づくりを目指しています。
 田辺市においても,浸水対策として,内水の強制排除を目的としたポンプの設置を計画し,現在,現況の測量調査を実施しており,県の河川整備と並行して工事に取り組んでいきたいと考えています。
 その他,芳養川水系でも河川の整備を実施していただいておりますが,田辺市としましても,まだまだ未整備の河川も多く,治水事業の必要性は十分理解しておりますので,国,県ならびに関係省庁のご支援を賜り,減災に努めてまいりたいと考えています。
 ソフト面では,全市域を対象に住民の皆様に危険な箇所を周知していただき,緊急時にいち早く避難することにより,一人でも多くの人命を守ることを目的に,土砂災害防止法に基づく,土砂災害警戒区域及び特別警戒区域の指定に着手しており,各自治会で結成している自主防災組織とも連携を図りながら,避難活動などの防災対策に取り組んでいます。
 また,市でも防災対策として,ハザードマップを配布し,避難タワーの設置や避難施設及び避難路の整備に取り組むとともに,災害時の避難訓練を実施するなど,住民の防災意識の高揚に努めているところであります。

4.七夕水害での教訓
 今回の災害は,俗にゲリラ豪雨と言われる集中豪雨と大潮の満潮が重なったため,短時間で浸水したものであるとしても,「災害は忘れたころにやってくる」ということわざ通り,35年ぶりの大水害と市内のいたる所で斜面の崩壊等による住宅災害が発生したことから,手がまわらず対応に苦慮したことは,否めない事実でありますが,災害時に各部署ならびに関係機関とも連携を図りながら,消防団による土嚢の設置やボートでの避難活動,浸水地域の仮設ポンプによる強制排水などの水防活動に努めるとともに,市内建設業者のご協力により,道路,河川,ならびに被害家屋などの復旧活動に全力で取り組んでいただきました。
 この災害を通して感じたことは,最近の異常気象による,集中豪雨の脅威をまざまざと見せつけられた思いであり,こうした災害時の早急な対応や復旧体制の確立と災害に強いまちづくりを再構築することが重要な課題であることを改めて痛感
させられました。

5.おわりに
 最後に今回の災害でご支援いただきました国,県ならびに議員の皆様にあらためて感謝申し上げるとともに,復旧活動にご尽力いただいた消防団や建設業者,地元関係者の皆様に御礼を申し上げます。
 今後とも,市民の尊い生命と貴重な財産を守るため,防災基盤や情報基盤の整備をはじめ,地域の状況に即した災害対策を講ずるとともに,防災学習会等を通して防災意識の高揚を図るほか,自主防災体制の整備と地域における災害対応力の強化を図ってまいりたいと考えておりますので,よろしくお願いします。