平成21年7月中国・九州北部豪雨災害報告
〜篠栗町での被害の状況と復旧に向けて〜

三浦正(Tadashi Miura、福岡県篠栗町長)

「砂防と治水196号」(2010年8月発行)より

1.はじめに
 篠栗町は,福岡県の県庁所在地である政令指定都市,福岡市から東方12kmに位置し,博多駅からJR で17分,車でも都市高速を使えば20分ほどで来ることができる,大都市近郊の町であります。
 福岡都市圏における良好な環境の住宅地として着実に人口が増加しており,平成22年6月末現在で31,613人,世帯数12,125世帯であります。面積38.9km2と比較的小さな町の約7割,2,618ha を森林で囲まれており,そのうち,国有林が629ha,民有林が1,989ha で,その70.9%が杉,檜の人工林であります。
 人口は平野部分に集中しておりますが,山間にも昔ながらの住宅が点在しております。町の南側北側とも山々が連なって,多くの谷が襞のように重なっており,独特の風景を醸し出しております。こうしたことから,本町では,平成21年3月に全国36番目の「森林セラピー基地」の認定を受け,本年9月25日にグランドオープンする予定で,諸準備を行っているところであります。今後は福岡都市圏230万人の心と体の癒しの場として,多くの人に行き来してもらえるよう「観光まちづくり」の視点で町をあげて取り組んでおります。


2.3日間で560mmの豪雨
 昨年の7月に,山口・九州北部を襲った記録的な豪雨は,本町においても,7月24日夕方の降り始めからから26日にかけて3日間で560mmという観測史上最大の豪雨となりました。この年の本町の年間総雨量が約1,700mmでしたから,3分の1近くがこの3日間に降ったことになります。特に激しかったのは,降り始めからの2時間で,その間に200mm近い豪雨となりました。
 当日の厚い雨雲の動きから,17時09分福岡県では,本町を含む福岡地方に大雨洪水警報が出されました。本町においても18時半ごろから雨脚が急に強くなってきたことから,役場庁舎内に災害対策本部を設置し,19時30分,町内山間部に対して防災無線を通して避難勧告を出しました。各局のテレビもそれに合わせてテロップが流れ,緊張した時間が経過していきました。
 防災行政無線で避難勧告を放送した時間帯は,最も雨の勢いが強かったこともあって,後日報道関係者から,放送が聞こえなかったのではないかとの質問を受けました。今回の災害において本町と同様の事例が他の地域でも発生し,テレビや新聞でも山間地域での避難勧告のあり方について,このままでいいのかという問いかけが繰り返し報道されました。
 今回の大雨洪水警報発令時の避難勧告時も,町内の山間部の集落では,長年の経験上,相当量の大雨でも岩盤は強く直接民家に被害が及ぶことはまずないだろうとの判断が優先し,また避難する公民館への道も険しく危険を伴うことから,大半の家庭で自宅に待機して雨が遠のくのを待つという状況でありました。
 また,JR 篠栗線が不通となり,町内道路も寸断されている模様であったことから,自宅に帰ることのできなくなった町内外の人のために,町の社会福祉施設を開放し,135人が一夜を明かしました。
 雨はその後,小降りになりましたが,未曽有の豪雨を持ちこたえられなくなった多くの襞状の谷あいで,7月25日の未明に100カ所を超える土石流や道路や傾斜地の法面崩壊が発生いたしました。その土石流の一つが,人家や寺院を呑み込み,2人の尊い人命を失うという災害になりました。
 今回の災害で住宅が倒壊し,建物内にいた母子が生き埋めになった一の滝での被災者宅においても,警報発令は認識していましたが,このまま自宅で雨が小降りになるのを待つと,外部に電話連絡した経緯がありました。このような状況のなかで,災害が発生したのは,豪雨が小康状態となり,雨が断続的に降っていた深夜午前4時ごろと推定されます。

福岡県が発表した篠栗町の雨量状況調書

 写真1は,災害の発生した翌日,消防のヘリから写したものでありまして,丸で囲んだ所が,一の滝地区に被害をもたらした崩壊個所であります。大きく3カ所で崩壊が起こっており,断続的に崩れていったものが,最後に持ちこたえられなくなって,一気に下流に土石流となって流れて行ったものと想像されます。矢印の方向に約200mにわたって土砂が流れ下りました。
 一の滝災害現場航空写真Aは,災害の翌日の写真でありまして,お堂と,民家が跡形もなく押し流されております。土石流と一緒に流れてきた樹齢60年を超える杉材が,皮を剥ぎとられ,あたり一面に散らばった状態であります。画面下部に機動隊や消防隊員の姿を見ることができます。
 こうした状況を振り返りますと,山間部での警報の出し方,避難方法の在り方など大変難しいものだと改めて考えさせられました。また,長年の経験則では計り知れない今回の豪雨の状況と,林齢が重なって重くなってきた人工林。このようなさまざまな要素が,想定外の災害になったと考えられる訳であります。

写真1 一の滝災害現場航空写真@ 写真2 一の滝災害現場航空写真A

 写真3は,救出活動に入る前の災害現場であります。幹の直径50cm程度,長さ15mクラスの杉・檜が大量に流れ込んだためにこのような状況となっております。この下に8mほどの土砂が堆積し,一番底に倒壊した家屋があるという状況でありました。
 25日は, 小康状態になった雨の中,孤立した集落のなかで取り残されている8人の救出がヘリを使って行われました。この時点まで,ひょっとして,夜半に近隣の住宅に移っていたかもしれないと淡い期待を持っておりましたが,残念ながらいらっしゃいませんでした。この救出が終わって,初めて2人がやはり家屋とともに流され,この大量の土砂の下に生き埋めになっているのだということがわかった訳であります。
 26日の地元紙の朝刊では,一斉に「裏山200m崩れる」と報じています。各紙ともこうした大きな見出しで一斉に報じていました。
 また,テレビ各社も朝から災害現場からの中継をしていました。

写真3 一の滝災害現場写真

 災害現場近くにテントを設営し,現地の救出本部を設置して,2人の救出活動が始まりました。自衛隊,県警機動隊,粕屋南部消防本部,地元消防団員,役場職員などで構成した救出部隊180名程度で救出活動に入ったのですが,再び40mm以上の雨に見舞われ,思うように進みませんでした。こうしたなか,夜明けから日没まで懸命の救出活動を続け,災害発生から3日目の28日,娘さんの遺体が発見されました。お母さんも近くに埋まっているだろうとの見込みでありましたが,これから捜索が難航することになります。高さ8mの土砂と楔のように一緒に埋まった倒木が捜索を阻みました。報道も,救出活動がなかなか進展がないので,記事もだんだん小さくなっていきました。
 人命第一の観点から手作業で進めていた救出活動でありましたが,大量の土砂と倒木のために遅遅として進まず,生存の可能性も薄くなりました。こうしたことから,30日,災害発生から5日目,重機を投入して,不明者発見を第一に捜索を続行いたしました。ただし,自衛隊は@人命救助A重機投入が困難な状況のなかでの人手による救出活動のための派遣という当初の使命は終えたことから撤退という運びになりました。
 その後は,県警機動隊,粕屋南部消防組合,篠栗町消防団,役場職員,倒木のチェーンソーによる除去のための森林看守人で構成し,発見まで150名体制が続きます。8月5日にやっと,お母さんの遺体が発見されました。災害発生から12日目で,延べ約1,570人を投入して行った捜索活動はこうして終了しました。豪雨のなかで自宅の2階で不安な一夜を過ごし,雨が小康状態になって一安心したであろうその時に大規模な土石流の犠牲となり,長期間土砂の中に埋まっていた母子お二人のことを改めて思う時,涙を禁じずにはおられません。心からご冥福をお祈りします。

救出活動にあたった人員 写真4 重機を入れて捜索活動を続けている様子

 こうした救出活動のさなか,国の関係各方面から,現地の状況を調査に多くの方々がお見えになり,災害復旧に向けた力強いお言葉を数多く頂きました。そして,災害から僅か1カ月余りで,国土交通省による「災害関連緊急砂防事業の実施」の発表をいただきました。この時期は,例年台風が多く接近する時期でもあり,秋の長雨に対する住民の不安も相当ありました。秋口に間に合うものではありませんが,こうした国の迅速な対応には,私ども地元自治体も,大変勇気づけられ,福岡県も県土整備部において災害復旧のための補助事業の取り組みなど,力強い後押しをいただくことになりました。
 地域住民を,今後起こる可能性のある災害から安全に守るという観点から,一の滝地区の砂防事業は,驚くほど迅速に具体的な事業計画が提示されました。関係各位に対しまして心から感謝申し上げます。
 このような関係各方面の迅速な対応により,平成22年の梅雨入り前までに,緊急性の高い復旧事業については概ね完了し,地域に暮らす住民もひとまず安心して過ごせるようになりました。また,周辺の上流地域におきましても今後,治山事業等が計画され,数年後には,完了すると聞いております。
 今回の砂防えん堤の建設につきましては,(社)全国治水砂防協会様はじめ関係各位の人命第一,安全で安心して暮らすことのできる地域づくりのための事業促進という力強い思いをいただいたと重ねて深く感謝いたします。
 災害発生後,地域住民に今後の復旧状況をしっかり説明できましたのも,「砂防関係事業に関する一般の認識を深め,これらの事業の促進により災害の防止軽減を図り,もって公共の福祉の増進に寄与することを目的とする」との(社)全国治水砂防協会の崇高なる概念に基づくものであろうと考えます。
 写真5が現在の災害現場であります。工事が予定されている一の滝地区では,作業用の道路整備も終わり,複数の砂防えん堤の建設が始まっているところであります。早く工事が完成し,地域住民の安全と安心を確保し,静かな山間の集落が復活することを心から望みます。

写真5 砂防えん堤工事が行われている現在の現場写真

3.今後の防災対策
 
本町では,今回の災害の教訓を風化させてはならないとの思いから,本年7月17日(土)に「篠栗町防災フェスタ」を開催いたしました。避難勧告を防災行政無線とサイレンとを合わせて発信するシステムに変更し,訓練放送を行うとともに,一の滝地区での避難訓練,町内市街地での土嚢積み訓練,防災に関する講演会など,町全体で防災意識を高めようとの思いからの実施でした。今後,二度と人災を起こさないとの覚悟で,毎年,梅雨入り前に防災訓練を継続して実施することとしております。
 今後も篠栗町は,住民の安全確保のため,全力で災害対策に取り組んでまいりますので,引き続き関係各位の一層のご指導,ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 最後になりましたが,被災直後から国,県をはじめ関係機関の皆様から多大なるご支援をいただきましたことに歩くお礼申し上げます。
 篠栗町は,江戸時代から街道沿いに発達した山間地域であるとともに,四国八十八か所のお砂を移して栄えた,お遍路の町として発展してまいりました。今も,四季折々の景色を楽しみながら,多くのウォーカーが訪れる町です。すべての災害復旧が早期に完了し,こうした平和で自然豊かな篠栗町が再び訪れることを祈っております。