平成21年8月台風第9号による土砂災害について

安東美孝(Yoshitaka Andou、岡山県美作市長)

「砂防と治水197号」(2010年10月発行)より

1.美作市の概要
 美作市は,岡山県の北東部に位置し,東を兵庫県,北を鳥取県と接しており,平成17年3月に6か町村が合併して誕生した人口32,000人,面積が429km2の小さな市です。
 また,中国山脈に連なる「氷ノ山・後山・那岐山国定公園」など多くの郷土自然保護地域があり,岡山県の三大河川の一つ吉井川の支流である吉野川,梶並川が地域を流れ,豊かな緑と清流などの美しい自然と景観に恵まれています。そして,“晴れの国”岡山のキャッチフレーズの中にあって,年間降水量は1,680mm程度であり,大きな災害に見舞われたこともなく,自然災害のすくないまちと言われてきました。

2.語り継ぐ豪雨災害
 しかし,平成21年8月9日,台風第9号の影響により19時から22時にかけて,突然美作市を襲った集中豪雨は,自然の恐ろしさを改めて認識させられるものでした。
(1)気象状況
 平成21年8月9日から10日にかけ,西日本では南から非常に暖かく湿った空気の流れ込みが続き,これに南海上から北上してくる台風第9号の影響も加わって,広範囲で大気の状態が不安定となり積乱雲が発達しました。特に岡山県北東部では9日夜から10日未明にかけ大雨となり,美作市今岡では日降水量230mm,時間降水量59mmを記録し岡山気象台観測史上,日降水量,時間降水量ともに記録1位を更新しました。その大半は9日19時から22時までの3時間に集中しています。また,被災地を中心に兵庫県境まで観測地点がいっさいなく,ともにこの集中豪雨で甚大な被害を受けられた兵庫県佐用町の雨量計から推定しても時間雨量80mm前後が2時間あまり続いたものと思われます。
(2)被害状況
 土砂災害や河川の氾濫で4人の死傷者を出し,家屋の全半壊128戸,また浸水家屋600戸以上,JR姫新線及び智頭急行が不通,中国縦貫自動車道及び国道373号・429号が3カ所,県道8カ所,市道10カ所が通行止めとなったほか,山家川・吉野川沿いの4集落47世帯が孤立しました。
 午後9時45分頃,田原地区で土砂崩れが発生し,住宅2棟が全壊したとの一報が入り,直ちに県を通じて自衛隊の出動を要請し,人命救助をお願いしました。しかし,残念ながらこの土砂崩れによる人的被害は,死亡者が1名,重軽傷者4名となっております。
 市内では山林や河川,道路の復旧が急ピッチで進む一方,2世帯4人が今も家に戻れず,災害の爪痕はなお残っております。被害状況は,土木被害が道路248件,河川337件,砂防関係被害が47件,農林被害は1,400件,被害総額は約20億5千万円となっております。この他に水源地の浸水による断水,下水道浄化センターの冠水,老人保健施設の浸水による,X線CT及びレントゲンなど医療機器等の被害は甚大のものとなりました。


楕円部分が特に被害が甚大なエリア
(3)救助活動
 美作市としては,昨年の災害実績を冊子にとりまとめ,関係機関に配布することなどにより,過去の災害経験から学び,その経験を将来の減災に活用できる努力をしております。また,これらの過去のデータを蓄積することにより,将来の土砂災害の完全解明における資料に寄与するものと考えます。
 その“記録誌”の中から市消防本部救助隊長の活動状況を報告させてもらいます。

*M救助隊長(A棟)
 非常招集で本署に待機していた私は,美作市田原地内で裏山が崩れて家が倒壊し,生き埋めになっているとの通報があり,本職以下3名で出動した。
 現場へ向かう途中,江見地内の道路(国道179号)は冠水し,通行不能になっていたため,経路を変更して日指地内を通り現場へ向かったところ,この経路も山が崩れて通行不能になっていた。この状況を市消防本部通信指令室に連絡したところ,封鎖中の中国自動車道を使用して現場に向かうよう指示があり,日指地内から引き返し,美作インターチェンジから作東インターチェンジ経由で現場に到着した。
 現着時の状況は,現場の関係者から,土砂崩れで家屋2棟(以下「A棟・B棟」という)が倒壊し,負傷者等は全部で4名(男性3名,女性1名),A棟の男性2名は消防団員により救出されたが,女性1名は倒壊建物に取り残されていた。B棟の男性1名は連絡がとれないとの情報であった。
 現場状況から美作市消防本部へ応援隊の出動要請をして,本隊はA棟の女性の救助活動を開始した。家族から女性の居場所を確認して,家族の方や地元の消防団員と協力し,手鍬,スコップ,手掘り等で,掘り起こし,30分程経過した頃,女性の頭部を発見し,バイタルを確認したところCPA(心肺停止)状態であり,口腔内には土砂が入っていた。応援要請から1時間後に応援隊が到着,1名の隊員を増員し,救助活動を継続,体幹部が崩れた木材に挟まれていたので,鋸で木材を切断し,女性1名を救助した。その後,B棟の救助活動の応援に向かった。

美作市田原地内土砂崩れ被災状況(2棟全壊) 平成22年8月25日現在の施工状況写真
(美作市田原地内)

*K救助隊長(B棟)
 すでに救助活動をしていた先着隊から応援要請があり,他の災害現場から帰ってきた隊員と共に救助工作車で4名出動した。現場までは国道や県道が冠水しており,通行できないため,中国道の美作インターチェンジから作東インターチェンジ経由で現場に向かった。現場到着すると先着の隊員と地元消防団や住民により救助活動が行われており,生き埋めになっていた1名を発見したところだった。
 この時,もう一軒の倒壊家屋にも生き埋めになっているとの情報が入ったため,ここの現場は先着隊に任せ,私の隊4名は別の家屋に向かった。木造2階建て住宅の1階の前側は押し潰されており,裏の部分は土砂で覆われ中に入れない状態であった。雨は降り続き再度裏山が崩れるか分からないので,1名は裏山の警戒に当たり,危険時には知らせるよう指示した。他の隊員と消防団員,住民に手伝ってもらい大屋根の瓦を降ろし,屋根板をチェンソーで切って侵入した。侵入後声をかけると返事があり,生存と居場所を知ることができた。2階の天井を剥がし,収容物を手渡しで外にだしていくが,柱や梁があり狭く真っ暗で,ヘッドランプと懐中電灯で照らしての作業は,なかなか要救助者の所までたどり着けない。救出を終えた先着隊3名と本署からの2名の応援と県警機動隊11名の応援があり救出活動は継続する。中は蒸し暑く1時間くらい活動していると,防火衣の下は汗でびっしょ濡れ,喉はカラカラになり,外の隊員と交代しながら活動する。要救助者の意識ははっきりしているが,足が動かせないというので,救出時にクラッシュ症候群の恐れがあるので,津山中央病院に医師の派遣を要請する。要救助者は1階の奥側の僅かな隙間に座って動けない状態でいた。ロープを体に巻き付け2階天井裏部分まで引き上げ,バスケット担架に乗せ,10日2時5分に救出することができた。長時間の救出作業となったが,大きな外傷もなく比較的元気であった。津山中央病院の医師を乗せた救急車が,現場に向かっている途中のため,作東インターチェンジで要救助者を乗せた救急車とドッキングして医師に引き継いで病院搬送してもらった。
 私は今回の集中豪雨で,一箇所の災害現場しか出動していないが,複数の災害現場があるときには消防署や警察の人員だけではとても対応仕切れず,消防団員や地元住民の協力が大変有効であるということを確認した。今後,より一層の連携をとって各種災害に対処していきたいと思う。
災害対策本部の記録

3.終わりに
 町村合併5年目の,これから本格的に「まちづくり」をしていこうという美作市にとって,建物の損壊・浸水のみならず,尊い命まで奪われたこのような未曾有の災害は非常に厳しい試練でありました。災害発生以来,各方面の皆様からいただいた様々なご支援ご協力,そして心温まる救援物資,災害義援金をお寄せいただいた多くの皆様方に,この誌面をお借りして厚く御礼申し上げます。
 今回の雨は局地的であったため,在宅にあった私は,時折気象状況を見ていたものの,それほどの心配もせずに居ましたが,総務課からの一報で市役所に駆けつけてみると,10本ほどの電話が鳴り止むことなく,職員はただ対応に手一杯の状況でした。その後,家屋の浸水情報が寄せられ始め,これはただ事で済まないとの思いを強くし,非常体制に移行し災害対策本部を設置しました。今回の災害は,昭和38年の大災害以来の甚大な被害となりましたが,私がつくづく感じたことについて述べてみたいと思います。
 美作市内の河川では吉野川・梶並川の本流にしか雨量計・水位計が設置されておらず,今回特に被害の大きかった作東地域の山家川流域の初期情報がほとんど対策本部に入って来ませんでした。土砂崩れや浸水が始まってようやく被害情報が入ってくるといった状況でありました。人命・財産を守る対策として一番重要な作業が情報収集であります。そのため,平成21・22年度において,監視カメラ・雨量計・水位計等を22箇所設置し,リアルタイムで情報が収集出来るシステムを構築し,今現在稼働中ですが,さらに総務省からの委託事業でこの情報から洪水シュミレーションシステムを構築し,ケーブルテレビ等に配信したり,加えて,学校,公民館等において3D,GIS防災教育用コンテンツを活用した取り組みを計画しています。雨量の状況,水位の状況,現実に今どのような状況にあるのか目で確認する。そして早め早めに住民に対して情報提供し,必要であれば「避難勧告」を行い「避難指示」を発令する。ゆとりを持った行動が住民のパニックを防ぎ,人命と財産を守る対策になると思います。