平成21年10月「台風18号」の災害を振り返って

岡下守正(Morimasa Okashita、奈良県吉野郡大淀町長)

「砂防と治水199号」(2011年2月発行)より

1.大淀町の概要
 大淀町は,奈良県の中央,紀伊半島のほぼ真ん中に位置する。
 町の南には吉野川が流れ,その背景に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」である吉野群山が重なり,豊かな緑と清流に恵まれた町である。
 町の面積は約38.06km2。幹線となる国道169号線を中心に主要都市との交通の利便性も高く,この地の利を生かした住宅開発や産業・交通・文化をつなぐ重要な位置を占める。
 人口は約19,900人。自然に恵まれた温暖な気候となだらかな丘陵地は,日本茶や梨・ぶどう・りんごなどの果樹栽培に適し,特に梨は全国的にも高い評価を受けている。
 歴史的には聖徳太子が創建したとされる「世尊寺」や,修験道ゆかりの地「柳の渡し」。また,能楽のルーツと関わりのある“桧垣本猿楽”などがある。
 過疎化する吉野郡内にあって,本町も人口減少傾向にあるものの,京都・奈良・和歌山を結ぶ「京奈和自動車道」とのアクセスや,町内を横断する鉄道の6つの駅から大阪・奈良・橿原方面への通勤・通学の便もよく,また,町内を巡回する無料の「ふれあいバス」,待機児童ゼロの保育園,及び地域の医療を担う町立総合病院運営等々便利な田舎暮らしができる町として,現在,積極的に企業誘致,定住促進を行っている。
 今後も吉野地方の玄関口として,吉野独特の自然や歴史の誘い人としての役割を果たす町である。

2.台風18号の経過と被害状況
 9月29日,マーシャル諸島付近で発生した台風18号は,10月7日には非常に強い勢力を維持したまま,四国の南海上に進み,8日には中心付近の最大風速が40m/sと強い勢力で紀伊半島の南をかすめ,同5時過ぎに知多半島付近に上陸し,その後,東海地方,関東甲信地方,東北地方を進み,同日夕方には太平洋に達した。

下渕地区(B地点)地すべり災害
(平成21年10月8日発生)
下渕地区(A地点)土砂崩落現場

〈経過〉
 本町では,台風の接近に備え事前に警戒態勢を整えた。
【平成21年10月7日(水)】
13:00 台風18号警戒打合せ会議開催(台風の概要説明・動員体制の確認等)
19:08 暴風警報発令→B号配備連絡→役場職員約55名が待機
21:40 大雨・洪水警報発令 暴風警報継続
【10月8日(木)】
2:05 土砂災害警戒情報(発表)
3:00 下渕地区A地点アパート住民から「裏山の崖が崩れ,土砂が家屋に押し寄せてきている」と電話連絡を受け,職員が現場確認を行う。
3:34 大淀町災害対策本部設置
3:40 土砂がアパートに押し寄せ危険であると判断し,4世帯9名に避難指示を発令。
8:35 また,A地点と町内を同じくする,B地点住民から,土砂が道を塞いでいると役場に連絡。また,同地域住民から「土砂が押し寄せ屋外に出られない」と電話連絡がある。役場職員が現場に急行し,現状報告を行う。
 現場では,奥にある4世帯に通じる町道が土砂で塞がれ,孤立状態であること。また,1世帯では玄関付近に土砂が押し寄せ屋外に出ることができないことから,消防署にレスキューの出動を要請し,救出活動を行う。
10:15 B地点の地すべり現場近くの,13世帯40名に対して避難指示を発令。
12:20 すべての気象警報解除
15:40 すべての気象注意報解除

3.関係機関の連携と災害復旧へのとりくみ
〈応急対策〉
 この台風18号により,町内において数多くの被害を受けた。
 ○避難指示 2地区 17世帯49名
 ○床下浸水     4世帯
 ○田の流出     55カ所
 ○がけ崩れ     6カ所
 ○河川       14カ所
 ○道路       4カ所
 特に大きな災害となったのは避難指示を発令した2カ所の地すべり現場である。このため,大規模災害時の協定を締結している「(社)奈良県建設業協会吉野支部」に応急対策工事を依頼し,二次災害の防止対策を行った。
 このうちA地点においては,応急対策により,土砂の撤去及び崩落した裏山の土手に土のうを積み上げ,シートで覆うことにより,避難指示の解除を行った。
 B地点における地すべり災害は,町道,倉庫等が被災するとともに,13戸の住民が避難を余儀なくされるという,近年,本町が受けた災害のうち最も大きなものとなった。町では,避難住民を中心に災害の状況及び,今後の応急対策についての説明を行うとともに,住民の要望や意見の聞き取り等を行う。
【主な要望】
・地すべりの拡大防止
・断線した電気,電話回線等ライフラインの早期復旧
・避難指示が発令されている地域への侵入,防犯対策としての警備員の配置
・仮設道路の設置及び外灯の設置
・被災地へのゴミ収集と,し尿の汲み取りの要望
・この災害の対策方針の具体的な説明
 以上のような様々な要望の中から急を要する事項を中心に対策を行う。
〈避難所の開設及び閉鎖〉
 A地点及びB地点の2カ所に避難指示発令に伴い,17世帯49名が避難所や,親類宅等へ避難を行った。
 町が開設した3カ所の避難所には,8世帯19名が避難した。
 避難所には,毛布や布団,弁当などの食事を提供するとともに定期的に巡回相談を行った。しかし,避難所の生活は,元々近所同士ではあるが,他人が一緒に生活することとなり,長引く避難生活と重なって,集団生活による新型インフルエンザ対策,二次災害を気にするあまり精神的な不安,ペットの持ち込み等様々な問題が発生することとなった。
 応急対策工事の進捗とともに,順次避難指示の解除を行ったが,地すべりの頭頂部に住居のある5世帯については,更に避難生活が長引くことが予想され,災害発生から20日を経過した10月28日に避難所を閉鎖し,避難住宅として用意した町営住宅に3世帯が,また,親類宅などに2世帯が引越しを行った。

被災住民への保健活動実施報告書
災害の名称 台風18号による地すべり災害
災害時期 平成21年10月
場所 大淀町下渕西町6丁目
保健活動
実施の経過
平成21年
10月12日(月) 対策本部から保健センターへ、避難住民のうち支援を要すると見られるケース1名の連絡。
避難所訪問実施し、該当者を含む4名の健康相談を実施。
10月13日(火) 避難所訪問。避難所にいる全員の健康相談を実施。
10月14日(水) 避難所以外への避難住民について、電話による健康相談を実施。
吉野保健所から、業務の協力について申し入れ。
10月15日(木) 保健所保健師と町保健師で、ケース連絡及び健康相談実施。
10月21日(水) 保健センター医師等による避難所への健康相談を実施。
10月29日(木) 避難所の閉鎖。
以降、保健センター・保健所で避難住宅で居住する避難住民への訪問健康相談を継続。
平成22年
2月18日(木) 災害支援担当者連絡会議(町・保健所)開催、支援体制と方針等の検討。
5月21日(金) 災害支援担当者連絡会議(町・保健所)開催、支援体制と方針等の検討。
8月18日(水) 7月27日の避難指示解除を受け、避難住宅居住を終了した住民の自宅を訪問、現在の健康状態等を確認。訪問を終了する。
避難の状況 平成21年
10月8日 避難指示対象者 17世帯49人
10月29日 避難指示対象者 5世帯11人(うち 避難住宅3世帯6人・その他2世帯5人)
平成22年
7月27日 全世帯避難指示解除

〈「災害関連緊急地すべり対策事業」の採択〉
 大災害となったB地点の災害現場においては,避難者対策とともに,町において応急対策工事を行った。
 また,国の「災害関連緊急地すべり対策事業」の適用を受けるべく,奈良県砂防課及び地元吉野土木事務所の協力を要請,その結果,10月17日土木研究所上席研究員の現場視察を受けた。
 調査の結果,地すべりの規模は幅80m,地すべりブロックの長さ80m,土塊の移動距離は頭部から200mの長さに達し,その原因が平成13年以降で最多雨量である「160mmの降雨(24時間雨量)」であるとの意見をいただいた。
 そして,23日には,国土交通省の「災害関連緊急地すべり対策事業」に採択され,その後,奈良県が事業主体となって崩落した斜面の補強工事が実施されることとなった。
 平成21年12月に工事に着手され,平成22年7月には抑止工(法枠アンカー工)が完成したことから避難指示の解除を行い,9月には災害関連緊急事業による対策工事が完了した。
【災害関連緊急地すべり対策事業による対策工事の概要】
・排土工 6,600m3
・地下水排除工(排水ボーリング) 225m
・アンカー工 1,890m2

対策状況

〈避難指示の長期化への対応〉
 地すべりの頭頂部の住宅に発令された5世帯に対する避難指示は,地すべり斜面の補強が必要であり,解除には9カ月余りの時間を要した。
 避難住宅に避難した住民も,慣れない避難生活と,設計業務・用地買収などの事前準備などにより対策工事の着工までに時間を要したことから,不安といら立ちを募らせた。
 町では,保健センターと地元吉野保健所が連携し,避難者の健康診断と,巡回相談を行い,身体と心のケアを行った。
 巡回相談による避難者との会話は,いっこうに始まらない対策工事と,雨が降るたびに自宅が崩壊するのではないかという不安から,涙を浮かべて心情を語る住民の姿があった。また,避難生活も3カ月を過ぎたころから,血圧の上昇,原因不明の肝機能障害,持病の悪化や体調の不調を訴える避難者が多くなった。
 平成22年3月応急対策工事後,初めて重機が現場に搬入され,本格的に対策工事が始まり,現場では,避難世帯を集めた対策工事の説明が定期的に行われた。
 巡回相談では,目に見えて工事が始まったこと,定期的に工事の進捗説明を聞き見通しが立ってきたことにより,避難住民の気持ちの落ち着きと安堵の表情を読み取ることができるようになった。また,それと時を同じくして,血圧の安定と肝機能などの改善がみられるようになった。避難者の口からも「普通は騒音である工事の音がうるさくなく,うれしい」。また,今まで聞くことのできなかった趣味の話なども出るようになった。
 平成22年7月28日,アンカー工事の完成により安全が確保されたとして,最後まで避難指示が出されていた5世帯の避難指示解除が行われ,全世帯が自宅へ戻った。

健康問題の状況・健康相談の実施内容

健康相談の評価














町保健センター ・訪問健康相談の実施
・医師(所長)による対象者の健康に関する総括指導
・保健所との連携
・対策本部への情報伝達、共有
吉野保健所 ・町保健師活動への支援、保健師のエンパワメント
・地域支援活動に必要な対策や方向性の提言
・同行訪問などを通じてともに関わることにより、技術面の支援と、被災者支援や保健センターの災害時保健活動の重要性についての気づきを促す。
対策本部 ・避難所入所時の対象者の健康状態の把握
・物資の配布等を通じて対象者の状況の把握、要支援ケースの連絡
・健康相談で得た対象者の訴えに対し、説明会等で対応
活動によりできたこと ・訪問健康相談で直接話をしたことで、より明確に対象者の状況を把握できた。
・不安や辛さの訴えに対して受容、傾聴することにより、根本的に解決することはできないが、対象者から「聞いてもらえて良かった、すっきりした」という声が聞かれ、精神的安定につながった。ともにある、寄り添うという姿勢が対象者に受け入れられた。
・‘取り残され感’を感じている対象者に定期的に訪問を続けることで、安心感につながった。
・対象者の状況や思いを把握し、対策本部に伝えた。
・健康相談実施者でケース連携や検討会をしたことで、一貫性のある相談ができた。
保健師が入って良かったこと ・日常業務で訪問を実施しているので生活の場に入りやすく、生活状況全体を把握しやすかった。
・配給弁当や、夜間の寒いトイレの使用などによる健康リスクについて、予防の視点で指導できた。
・対策本部とは別の立場で、対象者から要望や苦情以外の本音を聞きやすかった。
保健所と連携して良かったこと ・被災地健康相談の経験がある保健師の関わりを得られ、対象者のニーズの予測から、積極的に一歩踏み込んだ活動ができた。
今回は取り組めなかったが、
必要と感じたこと
・被災直後からの活動開始。避難所の環境など現地踏査、健康問題のアセスメント。
・保健所との早期(初動時)からの連携。
・対策本部との早期からの連絡・報告体制づくり。
・避難所以外の被災者(知人宅に居住や、早期に避難解除になったなど)にも健康リスクがあったのではないかと思われ、状況把握や支援が必要だった。





今だから言えること ・対象者の不安や辛い気持ちが対策本部に伝わりにくかった。また、町が災害復旧のために動いていることも対象者に見えにくく、双方の思いに行き違いがあると感じた。健康相談担当者が対象者の情報を本部に伝えるだけでなく、本部職員等が同行訪問するなどして現状や気持ちを聞くことができれば、相互理解が深まったのではないか。
・対策本部の活動として健康相談を実施しているのに、本部と保健センター間の情報伝達が機能しておらず、全体の状況を把握しにくかった。担当者レベルで情報交換をするようになって動きやすくなった。
平常時から必要と思われること ・町防災マニュアルにそって、災害時のシミュレーションをする。各部署の連携、住民との協議など。
・保健師活動マニュアルの作成。特に精神面支援に関して、マニュアルや技量が必要。
参考にした活動報告文献 災害時における保健諸活動マニュアル 平成11年1月奈良県
大規模災害における保健師の活動マニュアル 平成18年3月全国保健師長会

4.まとめ〜災害を振り返って〜
 今回の台風18号による土砂災害は,その規模と9カ月20日にわたる長期の避難指示と相まって,近年最大の災害となった。
 これまでの本町における災害は,台風による洪水や暴風が主なものであった。実際この台風18号の際にも主な警戒対象は吉野川の氾濫と,倒木等による道路の通行障害であった。
 集中豪雨,ゲリラ豪雨等,日本各地で発生する大雨被害。それは,テレビや新聞紙上による,他人ごとであったかもしれない。しかし,実際その被害を目の当たりにして,その脅威を思い知った気がする。
 言い古された言葉であるが,自然災害は発生を予防することは困難である。実際今回の被災地が特別な危険地域でもなく,町内には数多く存在する傾斜地であった。事前に危険を予知することは困難である。
 重要なのは,起こってしまった災害に対してどう対応するかである。今回の災害に関しては,地元消防団・地元住民・職員・事前に災害協定を締結している(社)奈良県建設業協会吉野支部等の連携による迅速な対応により二次災害を予防することができたが,災害発生時の情報の錯綜,指示系統の乱れ等改めて検討課題として今後の教訓としていかなければならない。
 また,今回特に避難指示が長期化したことから,その対応には避難住居を提供するだけでは解決しない。心のケアの重要性を感じた。巡回健康相談において感じたことは,必要なのは工事に関する「情報」であり,進捗が無くても「無いという情報」が欲しいということであった。そんな中,巡回健康相談は役場(本部)へのパイプとして,気軽に話や愚痴の言える避難者の心のよりどころになっていたともいえる。
 この災害の結びとして,まずは災害に対する初動マニュアルの周知徹底と関係各機関との連携,また,住民の立場に立った避難所運営,被災者支援の必要性を痛切に感じた。
 最後に,地すべり対策工事に発生直後からご尽力いただいた,国・県(砂防課・吉野土木事務所)をはじめとする関係各位に本文面をお借りして厚く感謝申し上げます。