平成22年7月の豪雨被害について

民部田幾夫(Ikuo Minbuta、岩手県岩手郡岩手町長)

「砂防と治水200号」(2011年4月発行)より

1.岩手町の概要
 岩手町は,岩手県の内陸中部から北部に位置する岩手郡に所在し,沼宮内・御堂・一方井・川口の4地区からなる,総面積360.6平方キロメートル,総人口が約1万6千人の豊かな自然と調和した町です。人間が健康で文化的な生活を営む上で最も適しているといわれ,世界の大都市がある北緯40度線上に位置しています。
 冷涼な気候を生かしたキャベツ栽培をはじめ,大根,ピーマンなどの野菜生産量は県内有数を誇ります。この豊富な食材を生かし,安くて旨い,地元の人に愛される「B級ご当地グルメ」として「いわてまち焼きうどん」を発信しています。現在,B−1グランプリ出場を目指し,町内の10店舗がその味を競い合っています。
 スポーツではホッケーの町として知られています。1970年の岩手国体でホッケー競技の会場となったのを契機に,町技として普及させ,今では小学生から社会人まで幅広い年齢層の町民が親しんでおり,昨年の第40回全日本中学校ホッケー選手権大会では,町内の一方井中学校女子が優勝し,川口中学校女子が準優勝するなど,これまで各種大会で優勝や上位入賞を果たしました。2008年北京オリンピックに出場した小沢みさき選手をはじめ,全日本選手も多数輩出しています。
 また,1993年7月にオープンした石神の丘美術館は,屋内のギャラリーだけでなく,屋外彫刻が充実しており,6月下旬〜7月上旬にかけてはラベンダーが見ごろとなるなど,美しい山野草や紅葉といった四季折々の自然とふれ合え,幼児から高齢者まで幅広い年齢の方に楽しんでいただいています。
 「豊かな自然と調和した,希望と安心が実感できる,交流と健康福祉のまち」をキャッチフレーズに,未来に希望を持てる町づくりを進めております。


ホッケーの町 彫刻の町

2.大雨等の概要
 この静かな町が,今までに無い未曾有の災害を経験することとなりました。
 岩手県内では,7月2日から大気の不安定な状態が続いており,各地で局地的な豪雨が相次ぎました。岩手町内でも7月8日の昼頃から広い範囲で断続的な強い雨と降ひょうに見舞われ,特に国道281号大坊峠付近では,直径4センチほどのひょうが道路に積もるほど大量に降り,収穫時期を迎えたキャベツやレタス,葉タバコ等の農作物が傷つき,ビニールハウスなどの施設が破損するなど,被害総額は約8千万円ほどに達しました。
 さらに,7月17日には快晴だった岩手町の上空がどす黒い雲に覆われ,午後6時22分に大雨洪水警報が,午後7時45分には土砂災害警戒情報が発表されました。
 夕方からの雷を伴う激しい豪雨は,北上川の源泉である御堂観音に程近い岩手町北部の横沢地区を襲いました。
 横沢地区に近い水堀雨量観測所では時間最大59ミリ,午後6時から8時の間に104ミリを観測しており,短時間に局所的に降る,いわゆるゲリラ豪雨となりました。気象台の解析雨量では時間80ミリを越えており,横沢地区には観測雨量を上回る激しい雨が降ったと考えられます。

雨量観測値


3.災害の状況
 豪雨発生当日,町では午後6時22分の大雨・洪水警報発表と同時に災害警戒本部を設置しました。雷雨が止み,4時間が経過した頃から,横沢地区より下流域となる岩手町中央部の沼宮内地区で北上川の水位が急激に上昇し,たちまち道路下まで達しました。川面は轟音とうねりを増し,大木や冷蔵庫などが流れてくることから,誰もが上流の異変に気付き始めました。とどまることを知らない水位の上昇に,沼宮内地区の北上川も氾濫の危険が高まり,出動した消防団員たちは,汗と泥にまみれて必死に土のうを積みました。しかし,水位の上昇は早く,奮闘むなしく氾濫した洪水は付近の人家を浸水させ,北上川に併走する国道4号が通行不能となるなど,時間が経つにつれ被害が広がってきました。横沢地区からの情報収集に努めましたが,電話は通じない状況で,冠水や土砂崩れで道路も通行できないため,本格的な調査は翌朝からとなりました。
 一夜明けた翌18日の横沢川の状況は,短時間の豪雨により発生した濁流や土石流で,あらゆるものが無残に押し流されていました。北上川合流点までの河川の周辺にある田畑は,大規模に冠水・流出し,横沢川と北上川の合流点に位置する尾呂部地区では,多くの家屋が床上,床下まで浸水するなど,被害は甚大なものとなりました。
 さらに上流域まで調査を進めると,大木を根こそぎ押し流しながら道路を横切った土石流により,ライフラインは完全に寸断されていました。上流から小屋ごと流された農機具や,地盤の流出で参道の下まで転がり落ちた神社の本殿など,あちらこちらで被害がみられ,ゲリラ豪雨の凄まじさを見せ付けられました。
 また,土砂崩れや土石流などで道路が寸断されたことにより,一部世帯が孤立した状況になりました。なかには災害によるショックで体調を崩したお年寄りの方もおられたことから,県の防災ヘリコプターの緊急出動により,2家族3人を孤立状態の地域から救出するなど,緊迫する場面もありました。
 このような防災ヘリや消防団員,また町内外の多くの人々の助けがあったおかげで,幸いにも人的被害はありませんでしたが,被害総額は,約29億円にも達し,町史に残る未曾有の災害となりました。

寸断されたライフライン 倒壊した神社

4.復旧に向けた取り組み
 町災害対策本部は,18日午前8時に役場会議室で第1回対策本部会議を開催し,ライフラインの確保を第1に一刻も早い復旧と被害の全容把握に全力を挙げることを確認いたしました。
 関係機関との連携による迅速な対応により,土石流や土砂崩れなどで寸断されていた町道は,24時間以内に通行可能となりましたが,橋が流され孤立した世帯への仮橋設置や,多くの電柱が倒れて寸断された電力や電話の復旧,給水車による給水作業など,ライフラインの復旧は20日までかかりました。また,多数の家屋が床上・床下浸水した尾呂部地区では,地区民総出の復旧作業が行われ,浸水家屋の清掃や床下などに堆積した泥の除去や消毒,破棄する家財道具の搬出などが急ピッチで行われました。作業には,被災者の親類や役場職員のほか,ボランティアによる協力もあり,大勢の惜しみない協力によって,復旧作業は順調に進みました。
 一方で,想像を絶する体験に直面したことによる精神的なショック,また連日の復旧作業による疲労の蓄積が予想されたことから,被災者の心身の健康状態を把握するため,水害被災ハイリスク地域36世帯を保健師ら10人が手分けして訪問するなど,心のケアにも努めました。

町を挙げての復旧作業

5.再度災害防止に向けた取り組み
 現在,被災地では被害を受けた農地や公共施設などの復旧に向けた工事が開始されていますが,今回のようなゲリラ豪雨が年々増加している状況から,次期降雨により同じような災害が発生しないよう,再度災害防止への取り組みが大変重要と考えます。
 氾濫した横沢川については,町で河川災害関連事業による河道拡幅を実施するとともに,下流の北上川本流については,県による河川局部改良及び洪水の流下に阻害となった橋梁の架け替え等が計画されています。また,土石流が発生した鳥谷沢では,県による災害関連緊急砂防事業が実施されることとなり,下流家屋の災害が防止されるとともに,今回の豪雨で孤立化した世帯のライフラインの確保が図られるものと期待しています。被害の原因となった洪水・土砂災害対策を進めることにより,地域住民が安心して暮らせるよう努めていきます。
 また,今回は幸いにして人的被害がありませんでしたが,今後の災害に備えるため,災害によって学んだ様々な経験を将来に生かすべく,ソフト対策の取り組みも行っています。

6.おわりに
 おかげさまで,被災地は徐々にではありますが,落ち着きを取り戻してきております。しかし,被災地の復興には公共土木施設の復旧など,3カ年以上の期間を要するところであり,特に,毎年長く厳しい冬を迎える当地域においては,限られた期間で集中的・効率的な復旧作業が求められます。横沢地区をはじめ,被災地の方々が,一刻も早くいつも通りの生活を営めるよう,努めてまいりますので,今後も皆様のご支援をいただきますよう,お願い申し上げます。
 今回の経験や教訓を通じて,災害に対する心構えや防災について,認識を新たにするとともに,今後とも,町を挙げて元気にたくましく「ときのまち いわてまち」を全国に発信していきます。2010年12月4日には東北新幹線が新青森駅まで開通しました。皆様には当町の「いわて沼宮内駅」にもお立ち寄りいただき,「いわてまち焼きうどん」や「石神の丘美術館」など,岩手町の魅力にふれていただければ幸いです。
 最後になりましたが,国,県をはじめとする多くの関係機関や,「何か私たちに出来ることはないか」と町婦人団体連絡協議会はじめ町内外の企業など,多くの有志の皆様から多大なるご支援,ご協力をいただきましたこと,誌面をお借りして厚く御礼申し上げます。