平成22年7月14日発生の永山地区土石流災害について

江頭正則(Masanori Egashira、佐賀県神埼郡吉野ケ里町長)

「砂防と治水202号」(2011年8月発行)より

1.はじめに
 平成23年3月11日,これまでに経験したことのないような激しい揺れと巨大津波が東日本の沿岸部を襲い,原子力発電所までもが未曾有の災害にみまわれる東北地方太平洋沖地震が発生しました。被災された方々には心からお悔やみとお見舞いを申し上げ,私共も一日も早い復旧・復興に向けた支援を続けたいと思います。
 さて,吉野ヶ里町は,佐賀県の東北部に位置し南北に細長い地形をなし,北部には鍋島藩家老・成富兵庫茂安公が,江戸時代初期に佐賀藩側の水不足を解消するために脊振山系に築造した蛤水道(土木学会推奨土木遺産)を有し,南部には全国有数の穀倉地帯である佐賀平野の一翼を担う肥沃な平野部が広がります。町の中央部を南北に流れる田手川沿いには,町名の語源(由来)ともなった日本最大の環濠集落跡の吉野ヶ里遺跡が座するなど,緑豊かな自然環境と歴史・文化資源に育まれた町です。
 気候は,比較的温暖多雨で,初夏の平野部は麦秋の黄金色から田植えが済むと緑色へと衣替えし,秋には山間部の木々が紅葉し,冬には積雪や路面の凍結をみるなど四季の変化をはっきりと呈しています。

2.土石流災害に至った概要
 平成22年の梅雨も後半に入った7月12日からの活発な梅雨前線の発達により,町北部一帯に降り続いた雨は記録的な雨量を観測しました。7月12日午後3時から14日午前12時までの連続雨量475mm,7月13日午前12時から14日午前12時までの最大24時間雨量289mm,7月14日午前7時から午前8時までの最大時間雨量53mmを記録しました。大雨の影響で13日午前5時10分には大雨洪水警報が,翌14日の午前1時45分には土砂災害警戒情報がそれぞれ発令されました。午前2時には,永山地区の区長に対して吉野ヶ里町健康福祉センター「きらら館」に避難所を開館したことを伝え,自主避難者の受け入れ準備を整えました。夜明けと共に,更に雨足が強くなってきたことから,午前8時にこれまでの災害情報連絡室を災害対策本部へと移行し警戒を強めていた午前9時20分頃に永山地区内の渓流で土石流が発生し,「ゴゴゴゴー」という高い地響きの音を鳴らしながら,人家損壊4戸,非住家全壊7戸,橋梁被災2橋,消防施設損壊1施設等に被害を与え,県道中原・三瀬線及び町道永山・坂本峠線を寸断する大規模な災害が発生しました。
7月14日発生の土石流災害:永山第四(佐賀県吉野ヶ里町松隈)

源頭部崩壊地の状況

3.避難所の開設及び閉鎖とその後の避難先
 町は,災害発生から約30分後の午前9時50分に永山地区の住民26世帯91名に対して,避難所を吉野ヶ里町健康福祉センター「きらら館」と指定し避難勧告を発令しました。
 午後5時には,大雨洪水警報は継続するものの土砂災害警戒情報が解除されたことから,町は午後5時10分に発令していた避難勧告の一部を解除したので,一部の住民は帰宅されたが,11世帯27名が同避難所に宿泊しました。
 被災後,一時現地に戻った住民は,巨石や根元からもぎ取られた杉の木,へし折られた電柱,泥に覆われた小屋などを目の当たりにし,あまりの状況に息を呑んでしまいました。
 このような状況の中,Tさん宅の犬小屋が押し潰され,一時行き場を失った愛犬マックスが,その後無事保護されたことが避難者へ伝えられると,暗くなりがちの避難所の中にひと筋の明かりが灯りました。
 翌15日になると雨足も次第におさまり,帰宅する人が次第に増え同日の宿泊避難者は,避難勧告発令中の4世帯12名へと減りました。
 16日の午前4時28分には,大雨警報も解除されたことから,1世帯2人は神埼市脊振町の民間アパートへ,残りの1世帯4人は鳥栖市内の親戚宅へそれぞれ避難され,避難所での宿泊者は残りの2世帯6名となりました。
 17日午後3時の避難所閉鎖に伴い,2世帯6人は永山地区の公民館へ避難されました。
 26日には,人家が損壊した4戸の住民に対して町営住宅の空き状況については,3団地の計7戸が即日入居できることと,町営住宅の家賃については町営住宅管理条例の規定により減免できることを説明するとともに,民間住宅を避難先とした場合は,家賃を補助することを伝えました。
 29日の再協議において,避難勧告発令中の4世帯中3世帯が町営住宅へ,残りの1世帯が民間住宅を避難先とすることになりました。


民家に突きささった流木

4.被災箇所の応急対策
 災害の発生箇所の最上流部が,国有林内であったことから九州森林管理局(佐賀森林管理署)と県道中原・三瀬線を管理する佐賀県(神埼土木事務所),そして町の三者で被害状況を調査すると共に,被災日の翌日早朝より県道中原・三瀬線や町道永山・坂本線を押し潰した土砂の撤去作業と渓流の流路確保に,吉野ヶ里町建設業協会との「災害時における応急対策に関する協定書」により早急に取り掛かったことから,県道中原・三瀬線の通行止めは被災から2日後の7月16日午後1時に解除することができました。
 源頭部崩壊地の林道蛤岳横断線の被災法面には,ブルーシートにより法面を保護すると共に,土のうにより路面排水を側溝へ誘導することとしました。その下流700m地点にある治山堰堤(既存)では,堆積土砂を除去してポケットを確保する一方,一定量の雨量を感知すると黄色回転灯が作動しサイレンを吹鳴する雨量監視装置と,土石流センサーの切断により土石流を感知すると赤色回転灯が作動しサイレンを吹鳴する土石流監視装置を7月27日までにそれぞれ設置するとともに,民家近くの渓流沿いには大型土のうを配置して人家の安全を確保しました。

土石流発生域及び流下区間の様子

5.「永山地区土石流災害対策連絡協議会」の設置と復旧対策の検討
 今回発生した永山地区の土石流災害の復旧・復興に関して,吉野ヶ里町と関係機関が綿密な連携と迅速な対応を図るために「永山地区土石流災害対策連絡協議会」を設置して現地調査を行いました。
 その結果,荒廃した渓流内には約7,400m3の不安定土砂が,堆積していることが判明しました。
このため,国有林内直轄治山災害関連緊急事業による谷止工2基で約1,500m3,民有林内には災害関連緊急治山事業による谷止工1基で約900m3,災害関連緊急砂防事業による堰堤で約5,000m3の不安定土砂をそれぞれ受け止め,特定緊急砂防事業により渓流保全工を平成24年度末の完成を目指して実施することとしました。

6.地元住民への情報提供
 土石流災害からの早期の復旧・復興を目指す上では,地元住民との意思疎通は欠かせないものの一つです。
 「永山地区土石流災害対策連絡協議会」での検討結果を踏まえ,いち早く情報提供する手段として,地元住民への説明会をこれまで平成22年7月23日,12月15日そして平成23年4月15日の3回にわたり開催しました。
 また,九州森林管理局(佐賀森林管理署),佐賀県及び吉野ヶ里町は,既に災害復旧工事に着手していますが,集落に最も近い災害関連緊急砂防工事を受注している業者は,当該集落の皆さんへ工事への理解と協力を求めるために,毎月月末に「永山砂防新聞」を発行しています。

7.おわりに
 永山地区土石流災害では,幸いにして人命を失うことはありませんでしたが,人家や県道・町道・林道等が被災しました。町では,今もなお避難勧告中のみなさんの健康と心のケアを見守りながら,早期に元の生活に戻れるようきめ細かな情報提供に努めています。
 また,平成19年度より町内全域を対象に取り組んできた防災行政無線整備事業が,平成23年3月で完成しました。近年,地球温暖化の影響からか局地的に大災害をもたらすゲリラ豪雨が全国各地で発生していますが,あらゆる気象情報を国や県等から即座に入手し,防災行政無線を駆使して積極的に情報を発信してまいります。
 今回の災害を教訓として,道路や河川のパトロールを強化し,日頃から要援護者避難訓練などを行い,住民の防災意識の更なる高揚に努め,安心で安全な町づくりに向け一層取り組む所存でございますので,引き続き皆さんのご理解とご協力をお願いします。

 最後に,国土交通省九州地方整備局及び佐賀県県土づくり本部等と,防災ヘリコプター「はるかぜ」から送信される被災状況の画像を共有して,復旧・復興に向けた対策を講じるためのテレビ会議の機会を与えていただくなど,発生直後からご尽力いただいています国・県をはじめ多くの関係各位に対し衷心より厚く感謝を申し上げます。