平成22年7月4日の深層崩壊による「船石川土石流災害」について

森田俊彦(Toshihiko Morita、鹿児島県肝属郡南大隅町長)

「砂防と治水202号」(2011年8月発行)より

1.南大隅町の概要
 本町は,平成17年3月30日に「旧根占町」と「旧佐多町」が合併し誕生した人口9千人の町であり,日本列島の「南の玄関口」鹿児島県大隅半島の最南端に位置し,総面積は213.59km2で県土の2.3%を占めています。東は太平洋に面し,南には種子島・屋久島を遥かに望み,西は東シナ海に続き鹿児島湾に沿い,南薩方面に相対しています。南端は佐多岬を有しており,三方を海に囲まれている本町は,89kmという非常に長い景勝の海岸線を有しています。
 気候は,黒潮暖流の影響により年間平均気温19.4度と温暖多雨で,ハイビスカス,ガジュマル,アコウ,ビロウ,ヘゴなど亜熱帯性の植生も数多く見られ,海岸線一帯の無霜地帯では,ポンカン・タンカン・デコポン・マンゴーなどの亜熱帯性の果樹栽培が行われるなど恵まれた自然環境にあり,この温暖な気候を活かした収益性の高い農産物をはじめ,町の基幹産業である畜産業は農業生産額の2/3を占めるなど農業の盛んな町であります。また,鹿児島湾沿いの塩入から佐多岬一帯まで「霧島屋久国立公園」に指定され,また,雄川渓谷及び外之浦から内之浦までの太平洋一帯は「大隅南部県立自然公園」に指定されるなど美しい自然景観を有しており,例年多くの観光客が訪れる観光資源にも恵まれた町であります。

2.災害の概要
 平成22年7月4日の夜から8日にかけて合計7波の山腹崩壊が発生し,これが土石流となり国道を横断する船石川を流れ,国道手前で氾濫し国道を塞いでしまい,約1カ月間国道が通行不能な状況となりました。この山腹崩壊の要因としましては,平成22年6月12日から7月4日までに総雨量1,776ミリという記録的な降雨が観測されており,これが要因となり深層崩壊を起したものと推測されます。この山腹崩壊は7月4日の夜の第1波から7月5日の夕方の第3波までは,2基の既設砂防堰堤により下流域への土砂流出を食い止めたものの,第3波で砂防堰堤が満砂となったため,この船石川下流域にある大浜下地区の住民50世帯91名に対して避難勧告を発令し全員が避難所へ避難しました。そして7月7日に発生した第4波以降土石流は堰堤を越えて国道まで達して氾濫したため住家2戸が浸水しました。

山腹崩壊の状況 国道部の氾濫状況 住家の浸水状況

3.避難所の状況
 この被災による避難勧告は約1カ月間継続され,長期に渡る避難所生活で特に高齢者など体調不良や健康不安を訴える住民が相次ぎました。行政側としてこのような状況に対して,避難所へ保健師を派遣し心のケアをしたり,地域消防団による避難所の安全確保,地域女性会による食事の世話など,行政をはじめ各町内の団体も協力を呼びかけ少しでも避難住民が不安なく避難所生活を送れるよう町一丸となって対応をしました。

4.復旧の概要
 まず,国道の早期開通を目指して国道に氾濫した土砂等の除去作業を進めていきました。天候が不安定な日が続いたため,堆積土砂が乾かない状況での除去作業となり,思ったように進まない状況でありました。また,応急対策として,すでに満砂状態となっている各堰堤付近に再崩壊に備えて大型土嚢を積み仮設の堰堤を築く対策を行いました。併せて国道の早期開通及び避難勧告の早期解除を目指し,国道部の船石川流路の開削工事も行いました。
 また,崩壊斜面を24時間態勢で目視による監視,伸縮計などの設置を行い万全の監視態勢を確保しながら,無人化機械施工により砂防堰堤の土砂除去を実施しました。既設砂防堰堤には90,000m3の土砂や巨石が堆積しており,次期出水期までに一定の安全性が確保できるよう作業のスピードアップ化に向けた工法検討など随時行いながら進めていきました。このことにより約1カ月後には国道を開通することができ,避難勧告も解除され町民の生活は通常に戻っている状況であります。
 このように応急的な工事を進めると同時に,今後に向けて抜本的な対策の検討も同時に進めてきました。平成23年度から砂防激甚災害対策特別緊急事業によって山腹の法面対策や下流部の渓流保全工など整備を進めていきます。

無人化機械の操作状況 無人化機械の施工状況 国道開削状況

5.おわりに
 今回の災害につきまして鹿児島県をはじめ各関係機関等の多大なご支援ご協力を頂き,災害対策の初動体制,応急対策を円滑に進めることが出来ましたことをあらためて感謝いたします。今後も引き続き関係機関と連携しながら復旧対策等を進め,一刻も早く地域住民の皆様が安心して生活できる環境を造っていきたいと思います。