平成22年7月梅雨前線豪雨災害〜砂防事業の効果を再認識〜

宮原毅(Takeshi Miyahara、長野県小県郡青木村長)

「砂防と治水203号」(2011年10月発行)より

○はじめに
 今年3月11日発生の東日本大震災ならびに12日の長野県北部地震によりお亡くなりになられました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに,被災されました多くの皆様にお見舞い申し上げる次第です。今回の地震ならびに津波の被害は想像を遥かに超える規模であり,その甚大さに驚くばかりです。さらに原発による放射線被害の影響も被災地および周辺地域に重く圧し掛かっております。一日も早い復興と収束を願うばかりです。

○村の概要紹介
 青木村は,長野県東部の中山間地域で,松本市と上田市の中間に位置し上田市から西方12kmの標高約500〜850m,面積57.09km2,人口約4,800人の農山村です。そのうち8割を森林が占めており,南に夫神岳(1,250m),北に子檀嶺岳(1,223m),西には十観山(1,284m)と並び,青木峠から保福寺峠に連なる屏風状の滝山連峰が村を囲み,東(上田市)に向かって開けた河岸段丘に沿って浦野川が流れ,千曲川に注いでいます。気候は内陸性気候に属し,気温の年較差・日較差が激しく,降雨量は年間970ミリ前後と降雨量が極めて少ない地域です。ただし,「夕立と騒動(百姓一揆)は青木から」と言われてきたように,当村から発生して上田城下に駆け下る強い夕立と,幕藩時代に起こった多くの百姓一揆が,城下街の人々に恐れられてきました。一揆を率いた「義民」指導者を輩出した独立独歩の村民性を誇りとして,平成の大合併にくみすることなく自立の道を選択し,村の姿勢を今も村内外に発信し続けております。
 古の道,東山道によりもたらされた史跡(国宝)大法寺三重塔,義民の遺跡や癒しの温泉,田沢温泉・沓掛温泉があり,歴史文化と緑溢れる豊かな自然に包まれた温泉郷でもあります。最近では,トレッキングや農村体験で訪れる観光客も増えてきています。都心からのアクセスも長野新幹線(上田駅下車)とバスを乗り継ぎ約2時間,上信越自動車道(上田菅平IC 利用)で約3時間30分の距離にあります。癒しの郷へ是非お越しください。

○災害は忘れた頃にやってくる
 1959年(昭和34年)の台風7号は青木村内全域に大きな爪あとを残しました。死者4名,重軽傷者16名,橋梁流出60,道路決壊53,家屋の全半壊43,床上浸水70,水田流出200町歩など(青木時報の抜粋)の被害を受けました。警戒に当たっていた消防団員も濁流に流され亡くなられています。当時は,護岸堤防や砂防堰堤の整備も殆んどされておらず,被害が拡大したと思われます。その直後から村では,治水砂防の重要性を認識し,砂防堰堤や河川護岸の整備(流路工)などに積極的に取り組んできました。その結果,それ以降は大きな被害の発生はありませんでした。
 毎年各地で大きな災害が発生しておりますが,いつからか村民には,青木村で大きな災害は起きないだろうという気持ちが根付いていたように思います。しかし,あれから51年目の2010年(平成22年7月2日)梅雨前線の影響による集中的な豪雨が襲ったのです。幸いにも人的な被害は無かったものの,土石流の発生,河川の氾濫等による住宅への被害,道路の決壊,河川護岸の決壊など大きな被害をもたらしました。まさに災害は忘れた頃にやってきたわけです。

○被災状況
〈雨量の記録〉
 一時終息していた雨が強く降りはじめたのは7月2日17時,降り終わったのは22時で,5時間の連続雨量が126mm,時間最大47mmに達しました(役場に設置の雨量計)。また,被害が特に大きかった村の西北部(役場から約6km)に位置する弘法集落から直線距離で約2kmの隣村のダム観測点では,連続雨量が170mm,時間最大87mmの猛烈な降雨を記録しており,弘法集落ではそれに近い雨量があったと推測されます。平均年間降雨量の約13%が1日で降った計算になります。
〈被害の概要〉
 床上浸水5戸,床下浸水47戸,道路の埋塞8箇所,道路の決壊・崩落等7箇所,河川護岸の決壊6箇所,そのほか農地農業用施設災害60箇所,林道被害32箇所,山腹崩壊4箇所,避難された世帯は5世帯,通行止めの道路は国道1路線,村道5路線におよびました。

土石流による被災状況 国道の被災状況


村道の被災状況 法面崩落による被災状況

○《馬の背を分ける》…《夕立と騒動は青木から》…を実感したゲリラ豪雨
 7月2日は朝から梅雨の一休み感があり,昼間の降雨はゼロでした。降り始めたのは17時01分,少し夕立が強いぐらいに考えていました。17時30分頃一旦雨は止み,空も少し明るくなったと記憶しております。村内の一部(南部地域)では晴れ間も覗いていました。特に注意報の発令もなかったため,その時点では特別な対応はしませんでした。18時頃から再び雨が降り始め,18時30分頃には強い雨に変わってきました。同時に役場のある隣の集落から側溝が溢れ宅地に浸水し始めたとの連絡を皮切りに,同じく側溝が溢れたことによる道路の水没などの情報が入ってきました。
 19時00分,防災担当課長(総務課長)からの連絡を受け,直ちに職員の招集および消防団員の出動を指示いたしました。19時15分対策本部を設置,全職員の召集を指示,正確な情報収集のため直ちに職員を現地に向かわせました。次々と入る被災状況,その直後村の西北部(町村境)の弘法集落より鉄砲水による土砂の流出・浸水の情報が入り,同時に広域消防に緊急通報があり管轄の川西消防署から緊急出動がなされました。村職員・消防団員も現場状況確認に出動しました。さらに20時40分には松本市ならびに長野自動車道麻績IC に通じる国道143号が法面崩落・土砂流出により数箇所で通行不能,村道(旧国道)も同様に土砂流出により通行不能となりました。合わせて隣接の木立地区住宅団地が浸水し始めたとの連絡が入り,職員を現場に向かわせましたが,住宅団地へのルートは狭い村道1本しかなく(職員が通過した直後,山からの土石流に襲われ通行不能となる),村の西北部とのルートが全て断たれ一時孤立状態に陥りました。この中の組沢(洞地区)の土石流では地元住民が警戒に当たっている前で二度にわたって発生しました。幸い避難をして人的被害を免れることができました。
 青木村に大雨警報が発令されたのは20時50分,対策本部で協議し21時00分氾濫危険区域の一部住民に対し自主避難を呼びかけました。21時38分大雨・洪水警報が発令されました。今回の被災地域は村を東西に流れる浦野川の北側のみで,ごく狭い範囲に集中しております(村の半分以上,浦野川南側集落では何の被害もありませんでした)。まさに馬の背を分けるように降る夕立のようなゲリラ的豪雨でありました。

○迅速な復旧作業
 住民の避難と同時に道路を開通させるための復旧作業が開始されました。一時孤立状態の集落には58世帯140人の住民がおられました。また,緊急出動中の消防署の職員,役場職員および長野道麻績IC方面からの通行者(帰宅者含む)も現地に取り残されておりましたので,一刻も早く現地とを繋ぐ道路の確保が優先されました。しかし,国道ルートについては,道路脇山腹からの土砂流出があり県と協議した結果,二次災害の危険があるため,翌朝復旧作業に入ることになりました。
 残るルート2路線のうち旧国道の村道では,山側から押し寄せる濁流が村道を流れくだり下部にある住宅団地へ流れ込んでいたため村道に流れでた土石を使って応急的な堤防(高さ1.5m)を作り山からの濁流を川側へ流す作業をしておりました。この作業を止めれば再び住宅団地内に濁流が流れ込んでしまいます。もう一つの狭い村道は,土石流により完全に埋塞状態で,第三波の土石流も予測されることから,やはり完全に封鎖せざるをえませんでした。何とか緊急車両(職員)と帰宅困難者を現場通過させたい。翌朝までは開通は困難と判断されるなか再度現場と協議し,旧国道に設置した応急の水防堤を一時的に開放する作業に入り,翌3日の午前1時30分頃に全員を通過させ,午前2時再び道路を閉鎖いたしました。
 明るくなった早朝5時から調査を開始し,6時にはそれぞれの道路の復旧作業が開始され,順次通行が可能(国道143号も11時30分に片側通行可能)となりました。このような迅速な対応がとれましたのも現地を良く知る地元建設業者の皆様の応援があったからと感謝しております。被災状況の確認や復旧に関しましては,国および長野県の迅速な対応と支援のおかげと感謝申し上げる次第です。現在は復旧工事がほぼ完了し,災害関連事業等における砂防堰堤などの整備が急ピッチで行われております。重ねて国・県の皆様に感謝を申し上げます。

国道の復旧作業

○おわりに
 このたびの豪雨災害では土石流の発生した渓流で大きな被害がありました。しかし,土石流発生箇所に近い渓流の田沢湯川には既に砂防堰堤が整備され治山対策も済んでいたため下流域の田沢温泉地区で被害は発生しませんでした。翌日の調査から砂防堰堤がしっかりと土砂を食い止めていることが確認できました。このことからも改めて住民の生命・財産を守る治山・治水砂防事業の重要性を痛感いたしました。村内には土石流危険渓流が29箇所存在しております。未だ整備がなされていない箇所が多く住民の不安も増しております。国・県におかれましては治水・砂防事業の更なる促進に特段の御尽力をいただきますようお願いする次第です。
 そして,今回のゲリラ豪雨を教訓に小さな村ではあっても地域ごとの降雨の状況を的確に把握するため,あと2箇所雨量観測所を整備し,リアルタイムで状況を掴めるシステムを導入することにいたしました。さらに,何よりも人命優先のもと危険な区域の住民を避難させることが重要であり,土砂災害の被害を軽減するため,昨年の災害を機に長野県上田建設事務所の協力をいただきハザードマップ等による土砂災害危険箇所および避難場所・避難経路の周知,要援護者を含む住民避難の支援,住民防災意識の高揚等々,土砂災害の防止に備えた「土砂災害・全国統一防災訓練」を実施いたしました。
 今後は,毎年このような訓練を繰り返し実施することで住民を土砂災害から守っていきたいと考えております。東日本大震災を契機に住民の防災意識が高まってきておりますが,「喉もと過ぎれば…忘れる」ことのないよう今後とも災害に強いむらづくりを推進してまいります。

防災訓練(要援護者避難訓練) 対策本部指揮命令伝達訓練