7.15豪雨をふりかえる〜人命を守るために〜

渡邊公夫(Kimio Watanabe、岐阜県可児郡御嵩町長)

「砂防と治水203号」(2011年10月発行)より

はじめに
 去る平成23年3月11日に発生した東日本大震災は,多数の死傷者や行方不明者を出し,各地に甚大な被害をもたらしました。被災者の方々へのお見舞いを申し上げます。

1.可児郡御嵩町の概要
 御嵩町は,可茂地域の南部,中濃地方拠点都市地域の南東部に位置しており,可児市・美濃加茂市・瑞浪市・土岐市・八百津町と隣接する東西12km,南北8km,面積は約56.61km2の町域を有し,中部圏の中心都市である名古屋市と県都岐阜市までは,ともに約35kmの距離にある人口2万人弱の少子高齢化の進むまちです。
 このような位置にある本町は,中濃地方5市7町1村により形成される「中濃地方拠点都市地域」,美濃加茂市・可児市・加茂郡・可児郡により形成される「可茂地域」に属しており,特に可茂地域の中では衛生組合をはじめとする各種事務組合を設立し連携を図っている他,交通面では,名鉄広見線により可児市・岐阜市・名古屋市とのつながりも強く,これらのベッドタウンとしての機能を有してきました。また,道路網をみると中濃地域の他,東濃地域とのつながりも強く,国道21号可児御嵩バイパス及び国道21号や主要地方道多治見白川線などにより多治見市・土岐市とも連携し,更に東海環状自動車道(可児御嵩I.C)により,関・美濃方面や瀬戸・豊田方面へと広域交流圏を拡大しており,豊かな自然環境を有するまちにとどまらず,グリーンテクノみたけ(工業団地)による産業拠点としての役割をも担っています。
 このように道路網等への資本投資整備が維持管理へと移行する中,中山道の宿場町(御嶽宿・伏見宿),門前町として歴史的な街並みをも現在に継承してきました。しかし,日本の産業を担い昭和の40年頃まで「亜炭のまち」として日本一を誇ったものの,当時の乱掘などの影響により現在も市街地内を中心に無数の亜炭廃坑が横たわり,防災において他市町村にあまり例のない「落盤被害」に対する住民の恐怖を招いており,これを解消する対策が大きな課題となっています。

土石流による被災状況 H22.10.22の落盤被害発生状況

2.災害の状況
 御嵩町は,亜炭廃坑に伴う落盤以外には自然豊かで,気候的にも県下では比較的温暖であり冬の降雪や夏の降水も比較的少ない住みよいまちでしたので,昨年の7.15豪雨にはその対応に右往左往いたしましたが,隣接する可児市や八百津町では,死者や行方不明者を出す不幸な状況となる中,本町においては人的被害が発生しませんでした。まず,このことは何よりも幸いでした。
 当日は,東北地方から日本海沿岸に停滞した梅雨前線に向かって,太平洋高気圧に沿って湿った暖かい空気が流れ込み,更に上空寒気の影響で東海地方に対流雲が発達し,大気の状態が非常に不安定となっていました。これにより,可児川(一級河川)上流に位置する御嵩雨量観測所では,時間最大雨量76ミリを観測する同所観測史上第1位,24時間雨量では第2位という記録的な豪雨となりました。更に,同日17時からの6時間雨量238ミリは,流域平均雨量を確率評価すると,約130年に1度発生する規模の降雨であったことが後に判明しています。また,この6時間雨量は,同所観測所での過去10年間の7月1カ月間平均降雨量が約240ミリであることからも,非常に激しい降雨であったといえます。
 これにより,17時08分には本町を含む12市町村に「大雨警報」が発表されたこととほぼ同時に,住民からの浸水被害の報告電話が鳴り始め,建設部(3課)を数班に分け現地確認及び対応作業を始めました。土のうの作製作業を町内土木業者の協力を得ながら進める一方,その搬送先の確認・設置作業を進めたわけですが,その規模と数の多さに事の異常性を察知し,17時43分には災害対策本部を設置,全庁職員に情報収集を命じ,本町全域の状況を把握することを先行させました。その間に想定できうる全ての対応策の検討に入ると同時に,行政として最優先とすべきは,町民の生命を守ることとし,いち早く避難所の開設を指示し避難者の受け入れ態勢を整え,以後は広報無線で浸水被害を訴える町民に避難を促しました。この間にも更に降雨は激しさを増し,19時03分には,「大雨警報」対象市町村が23市町村に,また,「洪水警報」が本町を含む20市町村に追加発表されました。以降,洪水警報が翌日01時15分に,大雨警報が翌朝06時20分に解除されるまで,被害状況の収集及び避難者への対応に追われることとなる中,本町の東西を走る国道21号の上之郷地内では,北斜面の崩壊土石流により国道が完全に埋めつくされ,上下線共に交通止めという事態に加え,同じく東から西へ流れる可児川は,各河川や水路からの流水により場所によっては,あと数十センチで堤防から溢れんばかりの緊張状態が続き,更に18時50分には,本町を含めた5市町に土砂災害警戒情報が発表され,これらの事態に対する緊張状態はいよいよ頂点を極めておりました。
 国道21号の緊急応急復旧作業は,国土交通省中部地方整備局(多治見砂防国道事務所)が担い,可児川は,その上流に位置する飛騨木曽川国定公園鬼岩内の松野湖からの放流水を,管理者である可児川防災等ため池組合(可児土地改良区内)と本町との連携により限界まで放流を止め,その氾濫を阻止することができましたが,一方,土砂災害警戒に対する判断をも併せて迫られており,町民の生命を守ることを何より優先するため,
 19時35分 長岡地区20世帯・80人
 20時05分 美佐野地区66世帯・264人
 22時40分 比衣地区46世帯・136人
計132世帯・480人に対し避難勧告を発令するに至りました。これらの被害状況は,表−1・表−2のとおりです。
 住民への直接的な被害の状況は,岐阜県全域と本町を比較した表−1のとおり,裏山の地滑りによる住家の全壊被害が1件ございましたが,他は一部損壊,床上浸水,床下浸水の被害発生にとどまっています。人的な被害を免れることができた要因には,表−2に示したとおり本町住民に対し発令した避難勧告,或いは自主的に安全な場所へ避難するという住民意識により得られた結果だと考えております。しかし,この避難率が決して高いものとは思えないことの原因には,豪雨の中どの様に避難所へ移動したらよいのか,自宅と避難所のどちらが安全なのか,避難所はどこにあるのかを知らないなどにより,住民が災害時に判断するうえでの必要な情報のPR がまだまだ不十分であり,これへの対応が今後の課題と捉えています。
 これら以外にも,昨年の7.15豪雨により本町が対応すべき道路,河川,農地,林道被害は,表−3に示した計218箇所に及び,その復旧費は公共災害による国からの補助金によるものを含め,1億7千万円を要するものとなりました。

表−1 被害状況
国道21号の被災状況

表−2 避難状況 表−3 災害復旧等の状況

3.災害への対応
 表−3に示した災害復旧は,平成23年への繰り越し事業としたものも含め,そのほとんどを終えることができ,また国道21号や一級河川に対する災害復旧の対応は前に記述したとおり,国及び岐阜県により迅速な対応をしていただきましたが,当時は,豪雨による被害の実態が見えてきたのは,16日以降で,町内各所の河川及び水路への土石流による氾濫跡を目の当たりにしたとき,人的被害が発生していないことに胸を撫で下ろしました。特に,中地内の大庭台団地(449世帯)の裏山が2箇所崩落し,その土石流がいずれも水路を埋め,町道を隔てた住家まで数メートルに迫るものであり,「もし,町民の生命や財産を奪っていたら」と思うと今でも背筋に悪寒を覚えます。
 この大庭台団地の裏山の崩壊現場「菖蒲東谷地区」は,岐阜県(可茂土木事務所)で迅速に事業化され,現在「災害関連緊急砂防事業」で砂防堰堤の築造工事が進められております。豪雨による土砂崩壊直後より,雨量監視計及び土石流発生検知センサーを設置し,地域住民及び行政への異常通報システムを構築していただき,24時間監視体制の中,本年度10月末完成を目標に事業が進められています。
 この菖蒲東谷の土石流の規模が,もうほんの少し大きければ直下の住家を襲い,死者を3名出した八百津町野上の土石流災害と同様の結果を招いていたことはいうまでもありません。現在でも降雨のたびに岐阜県と連携しながら警戒を継続しつつ,更に,本年5月22日には岐阜県防災課・砂防課及び可茂土木事務所並びに岐阜大学工学部社会基盤工学科の高木朗義教授の指導のもと,「土砂災害防止法」による「土砂災害ハザードマップ」の作成に向け,地元住民とワークショップによる土砂災害対応作業を実施し,平常時より自治会が協力し,防災訓練によるシミュレーションの実施や,これらの実施から避難困難者への支援など々な問題点の発見,対応,解決の必要性を確認し合い,一人ひとりが最善の方法を見出す「自分の命は自分で守る」という「自助」,そして地域がこれらを共有する「みんなの地域はみんなで守る」という「共助」の概念を実感していただくことができました。
 現在,この大庭台自治会は,土砂災害を含めた防災活動の強化及び,第1避難所となる自治会集会所の建設に向けた話し合いが始まっています。また,本町には,この土砂災害警戒区域(イエローゾーン)116箇所,土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)107箇所が指定されており,その自然現象種類は「急傾斜の崩壊」・「土石流」の2種類が指定されたことから,随時,地域の住民と実情に合った土砂災害ハザードマップを作成するための作業を進めています。

菖蒲東谷の被災状況(資料提供:岐阜県可茂土木事務所)

おわりに
 梅雨前線の影響により発生した集中豪雨災害「7.15豪雨災害」は,県内各地に死者や行方不明者をはじめとする甚大な被害をもたらしました。先に記述したとおり,近隣市町の可児市や八百津町での甚大な被害に比較し,本町においては人的被害が発生しなかったことは不幸中の幸いでした。
しかし,この短期的で局地的な豪雨は,今後もいつどこで発生するか予測困難といわざるをえません。従来の台風のように予測の可能な防災体制での対応では,間に合わないことも実感として体験をしたわけです。
 現実に御嵩町の7.15豪雨の状況をここに記述するにあたり,当時の現状を視覚に訴える写真記録が全くなく,被害発生後の状況写真が数多く存在するのみでありました。このことからも当時を振り返り,私をはじめ職員が現状把握と対応に右往左往することが精一杯であったといえる「はじめての体験」であり,不測の事態を予測することの困難さを新たな角度から実感いたしました。今後は,この体験を無にすることなく,国はもとより岐阜県との連携を重視しつつ,御嵩町民の生命や財産を守る「公助」としての「チーム渡邊」を強化し,土砂災害や河川氾濫防止への対応を進めてまいります。
 本町に対する国や岐阜県の迅速な対応に感謝するとともに,地元建設業者の皆様にも迅速な支援対応を頂いたことに,感謝を申し上げます。

土砂災害ハザードマップの作成などをめざして