平成22年4月に発生した相導寺地すべり災害をふりかえる
〜国,県の敏速な対応に感謝〜

勝山隆之(Takayuki Katsuyama,長野県北安曇郡池田町長)

「砂防と治水205号」(2012年2月発行)より

1.池田町の概要
 池田町は長野県の中信地区に位置し,人口約11,000人,面積40.18km2と中規模な町です。西は北アルプスの峰々を仰ぎ槍ヶ岳に源を発する高瀬川に接し,東は中山山脈を抱く緩急にとんだ地形を有しています。池田町を囲む市町村は,東に生坂村,西に松川村,南は安曇野市,北には大町市に接しており,人々の交流は多種多様におよんでおります。気候は内陸的な特質を持っており,冬は寒冷ですが,夏は過ごしやすく,年間を通じた降水量は適量で,植物の生育も良好な住み良い町と言えます。
 中山山脈は,全国に紹介された七色大カエデをはじめ,豊富な広葉樹林,針葉樹林を有し,最高峰の大峰山からは南北アルプス,戸隠連山,浅間山,遠くは富士山を望むことが出来ます。更に山麓から見る北アルプスと田園風景の織りなすコントラストが高評価を受けており,町立美術館を中心に絵画,写真,テレビ撮影等芸術面での活用が多くなっています。また,平成21年には「日本で最も美しい村」連合にも加盟することができました。

 本町は平安時代「有明の里」といわれ,また,江戸時代には松本藩政下に属していましたが,明治以降の大小区制定,分号改称,昭和の大合併を経て昭和32年に現在の体制となりました。文化面では,池田学問所を中心とした教育の普及を行い,「てるてる坊主」の作詞者・浅原六朗をはじめ,多くの著名人を送り出しました。また,県宝の木造毘沙門天立像をはじめ各所に史跡,古民家が点在しており,歴史の深さを窺わせております。



位置図
 産業は,明治初期より生糸生産が盛んに行われ,岡谷,須坂に次ぐ製糸の町として栄え,山間地を中心に多くの養蚕家が競って繭を生産しておりました。更に,県下でも有数の米どころであり,養蚕,稲作を中心とした農業主体の町でありました。
 しかし,近年の社会構造の変化により,新たなる産業の開発が必定となり,また,より付加価値の高い品物の生産が求められる段階となりました。本町は次なる施策として,新たに東山の山麓沿いにワイン用ブドウの栽培団地を拡充,高い評価を受けている青木原地区の栽培技術を広げると共に,民間企業の参入,地元生産者の育成に力を入れ,将来の池田町ブランドの獲得をめざしています。

2.地すべり災害の恐怖
 それは,蓄積されたエネルギーを見せつけながらゆっくりと降りてきました。その威圧感,恐怖感は地域住民,関係行政職員誰もが経験したことのないもので,開口一番「どう対処すればいいの,とにかく逃げよう」でした。幸いにも土塊は人家に達せず,町道を変形した状況で止まってくれたことがことが救いでした。
 4月21日,住民より「町道の様子がおかしい」との連絡が入り,町職員が確認したところ,山側の路肩が隆起していたが,変位も微量であったため,冬季に舗装が凍上したのが原因かとの判断をしておりました。しかし,その後,日を追うごとに隆起高が増してくる一方で,上部の山林内に亀裂が生じ始めました。山林内を歩いてみると,落ち葉の下は水分を含んだ土が各所で泥濘状態となっており,また,地下水の湧水箇所が多く発生しているのが見受けられました。
 当地区を含む中山山脈は元々断層面が多く,地下水は断層面を伝って吹き上げていると言われており,その裏付けとして標高800m付近の尾根に湧水池が古くから多く存在し,その水を求め古人が沢筋ではなく尾根筋に多く住宅を建築している事が挙げられます。
 地山を形成している地質は凝灰岩を基岩とし,その上部に粘土化層若しくは礫質土質が堆積しており,相導寺地籍は,相導寺焼きの名により陶器を焼いていた,きめの細かい粘土質です。
 変状の連絡より6日目,亀裂の拡大,湧水量の増加,斜面内の流木の転倒へと様相が変化をしていきました。町は緊急を要する事態と判断し,砂防事務所と地方事務所林務課に合同対策会議の開催を依頼,翌日,合同現場調査が実施された結果,緊急な応急対策が必要と判断されました。その地すべりの規模は長さ60m,幅50m,厚さ8m,移動地山量12,000m3と推定され,被害対象人家は18戸となりました。砂防事務所により即日,伸縮計,抜き板,地すべり頭部亀裂へのシート張り,横ボーリング工が設置され,また,移動量が24時間監視出来るよう,携帯,ホームページ上に情報の掲示が行われ,更に,ライブカメラの設置により,ホームページ上で常に現場監視を行える手法も導入されました。翌日より県及び町が,被害の及ぶ区域の住民と消防及び警察等に対し,現状の報告,今後の対策等の報告会を週1回の頻度で行い,警戒避難体制,連絡網の確認をすることとしました。また,移動量が1時間4mmを超えると作動する警報機の試験と合わせ,対象住民の避難訓練を行いました。この間,日々の移動量は,1時間に2mm程度あり道路の隆起,亀裂の拡大が進むのが確認できました。
5月24日,前日から降り出した雨の影響も加わり移動量が加速,未明に1時間4mmを超えたため17戸38名に避難勧告を発令し,24時間体制で現場内巡視を開始しました。午後には,最大移動量が1時間14mmに達し,いつ崩落するのかとの緊張が関係者内に張りつめていました。また,早朝より報道関係者や,更に防災無線で情報を得た人々が見学に訪れるなど騒然とした状況に至り,交通規制,立ち入り規制などの対応に苦慮いたしました。活動抑制対策として,同日朝より滑り面の下部に1t土のうの搬入が開始され,合計440袋が2日間かけて設置されました。
 5月25日の夜,移動量が1時間4mmを下回ったため,ホームページ上のデータ監視に切り替え,翌26日正午に避難勧告を解除いたしました。その後も微量な移動が続き,水抜き等の応急工事が終了するまでの移動量累計は約88cmとなり,亀裂深さは80cmに達し,避難対象者の中には,止まらない山を見て心労から体調を崩す高齢者もおり,福祉,医療関係を含む全町一丸となった取り組みとなりました。

避難勧告対象区域図

町道の変化 亀裂状況 土のう設置状況

3.保全への対応
 本地すべりに対しては,県において,滑り面末端への土のう積み等の初期対応を実施し,応急対策工事は横ボーリングの施工による排水を2ブロック,上部の荷重軽減を図るための排土,斜面立木の伐採,更に,縦排水工としてウェルポイント工法による強制排水により,土塊の移動をなくし,恒久対策工事が行われました。
 作業中は町道が全面通行止めとなるため,う回路として林道を整備し12戸の生活を確保するとともに,警備員を配置し,通行規制の周知及び車両の誘導が行われました。恒久対策工事は,集水井2基,横ボーリング工5ブロック L=610m,明暗渠工2ヵ所 L=315m,大型カゴ枠3ヵ所 L=196m,鋼管杭 n=6本,不安定土塊の撤去後,全体の法面整形並びに緑化の実施が行われ,関係者各位の特段のご配慮により平成23年10月末をもって工事が完了し,地域住民も安心して生活できる状況となり,地元及び町としても砂防ボランティア組織を立ち上げ,地区内の保全に協力することといたしました。

対策等説明会 ウェルポイントの施工 照明車の活用

4.おわり
 本町,過去にも台風による高瀬川堤防決壊に伴う水没災害,台風及び梅雨前線豪雨による道路の寸断及び地すべり災害があり,いずれも被災箇所,被災金額は膨大であり,自主避難勧告の発令も幾度となく出ております。
 しかし,相導寺地区の地すべりは,過去の記録にも発生した記載が無い箇所で,更に市街地を望む斜面における地すべり発生は有史以来の出来事でした。過去の経験より,災害対応には熟知しているものとの認識を持っておりましたが,本地区は,従来の災害地とは異なり住宅密集地が近接しており,その被害想定影響範囲,対象人家,2次災害の有無等が断定出来ず専門家の判断に委ねざるを得ない状況でした。
 本地すべり箇所においては,長野県の素早い対応とともに,早々に国土交通省砂防部長が来町され,また,(独)土木研究所,(財)砂防・地すべり技術センター等の専門家により災害対応をして頂けたことに感謝申し上げます。応急工事は24時間体制で実施せざるを得ない状況であり,すべり面の監視及び工事の安全確保のために,国土交通省北陸地方整備局より照明車が貸与されました。これらのご配慮についても感謝申し上げるところです。

 更に,「災害関連緊急地すべり対策事業」が5月26日付けで県より申請され,国土交通省は5日後の6月1日には採択するという迅速な事務処理が行われました。このような迅速な対応に,地域住民および町関係者は敬服の意を表さずにはいられません。また,施工業者の皆様にも,昼夜を問わずご尽力いただき感謝申し上げます。
 本町は今回の災害を教訓に,今後も増加すると推測される特質的な災害箇所への予防として,地すべり対策事業,堰堤等砂防事業,森林整備事業等の事業促進を国,県にお願いし,災害に強い町づくりを目指して参ります。また,従来の危険箇所に加え,平成22年3月に指定された,土砂災害警戒区域及び土砂災害特別警戒区域内住民の危機管理意識の向上,災害発生時の対応を促す啓発活動,更に町の防災計画の見直し,自主防災組織の強化等,町民の安心安全に万全を期す決意です。

工事完了