平成23年3月11日東日本大震災において発生した土砂災害

人見健次(Kenji Hitomi,栃木県さくら市長)

「砂防と治水205号」(2012年2月発行)より

1.さくら市の概要
 さくら市は,栃木県の中央に位置し,県都宇都宮市に隣接しています。首都東京からは120kmの距離にあり,市内を国道4号とJR東北線が南北に貫き,国道293号が東西に交差するなど,交通の要衝の地にあります。さくら市は,平成17年3月28日,旧氏家町と旧喜連川町の2町による合併により誕生しました。広大で肥沃な関東平野の北端に位置し,栃木県を北西から南東に貫流する利根川水系鬼怒川の東岸に広がるほぼ平坦な水田地帯を擁する旧氏家町と,関東平野と那須野が原台地との間の数条の丘陵部を貫流する那珂川水系荒川,内川などの間に平地の広がる旧喜連川町を範囲とする地理的にまとまりのある地域です。
 基幹産業は稲作を中心とした農業ですが,湧出30年を迎えた,日本三大美肌の湯と称される,喜連川温泉をはじめ,丘陵の緑,清流等の豊富な自然や,足利尊氏の子,鎌倉公方基氏の流れをくむ喜連川公方の城下町としての歴史的景観や奥州街道の宿場町として繁栄した歴史など,豊かな資源を有しております。


2.地震の経過
 平成23年3月11日午後2時46分,三陸沖を震源地にM9.0の海溝型地震「東北地方太平洋沖地震」が発生し,この地震に伴う大津波によって岩手県,宮城県,福島県,茨城県,千葉県など三陸沿岸から関東地方沿岸では壊滅的な被害が発生しました。本県においても4名の方が亡くなられたほか,多くの住家が損壊するなどの被害となりました。
 本市は,震度5強の揺れを観測しました。幸いにも人的被害はなかったものの,屋根瓦の損傷と大谷石塀の倒壊が特に多く,あらためて児童生徒の下校時間と重なっていなかったことは本当に不幸中の幸いであったと思っております。
 今回の災害は丘陵部に多く見られ,家屋の損傷や市道の破損など多くの被害が発生しました。


位置図

3.被害の状況
 この地震により,本市における住家被害は全壊2棟,半壊24棟,一部損壊1,884棟を数えました。その他にも,土砂崩れ20箇所,道路損傷36箇所など数多くの施設が被災しました。
 なかでも喜連川地域のシンボルお丸山の南斜面には,640mにも及ぶ亀裂が入り崩落の危険が迫っていました。惨状を目の当たりにして大変な衝撃を受けました。お丸山の地形は急峻で民家までも距離がないため,緊急の避難対策と応急仮設対策の必要に迫られました。
 また,喜連川地域鹿子畑浄水場施設と水道管が被災したことにより,約380戸の家庭が断水しました。仮復旧ができた4月下旬まで職員が交代で給水活動を行うなどライフラインの確保に努めました。姉妹都市の茨城県古河市からは,給水タンクの応援をいただき非常に感激いたしました。

お丸山南斜面の亀裂 茨城県古河市からの応援給水タンク

4.地震の対応
 本市においては,速やかに災害対策本部を設置し,避難所の設置や被災状況調査にあたりました。破損した道路等は,通行止めとしている区間を最優先に建設業協会の協力のもと,次々と仮復旧をいたしました。また,民間建物や公共施設等の被災建築物応急危険度判定も震災2日後から開始し,被災建物の倒壊の危険性や,安全性の確認を行いました。
 お丸山については,余震の続く中,いち早く県当局からは知事をはじめ,県土整備部長や,関係職員に出向いていただき,被災状況の把握と対策の検討に入りました。検討の結果を踏まえ,震災から3日後,24世帯59名に避難勧告を発令しました。同時に,亀裂計測装置と避難誘導警報装置が設置されました。

5.災害復旧への取り組み
 お丸山の災害復旧に向けて,早速栃木県において,崩落危険箇所の対策工事のため測量設計に入っていただき,5月中旬からは,県単独事業で災害復旧事業・倉ヶ崎対策工事として,頂部の幅10m,深さ4mの排土工事に着手していただきました。7月中旬には応急排土工事が終了し,安全率1.05が確保できたため一部の世帯を除き避難勧告を解除いたしました。
 その後も,注意深い観測が続けられ,台風12号の接近時には,二次災害防止等の対策として,ブルーシートで養生するなど,最深の注意を払っていただきました。

6.お丸山の崩落
 そのようななか,9月21日,東日本に上陸した台風として戦後最大級の勢力を持つ台風15号を迎えました。この時の喜連川地区の総雨量は226mmで,21日午後3時からの時間雨量は48mmに上りました。お丸山に近接する河川の堤防が決壊の恐れがあるとのことで,状況を見守っていたその時,「ドォーン」という大音響とともに,お丸山の山腹斜面が大崩落しました。9月22日,午前0時45分の出来事でした。
 明るくなり,崩壊の全容が露わになると,山腹は幅70mにわたり大崩落し,流出した土砂は直下の水田を越え市道を塞ぎ,温泉施設「もとゆ」の駐車場を埋め尽くしました。流出した土砂の量はおおよそ1万m3にも及びました。幸いにも,人家が連坦している場所を避けるように崩落したこと,さらに夜半の発生のため車両の往来もなく,温泉客もいなかったため,人的被害がなかったことにひとまず安堵いたしました。
 既に綿密に工法の検討がなされ,災害関連緊急急傾斜地崩壊対策工事として,本格的な復旧工事に取り掛かった矢先であり,県当局も本市も,非常にショックを受けたところです。
 この崩落による,54世帯143名に改めて避難勧告の発令をすることになりました。勧告を受けた市民の皆様には,再度の勧告ということで,大変な負担をおかけしたことを,本当に申し訳なく思っております。

7.新たな復旧工事
 麓から60mの高さのお丸山の地層について,崩落の原因調査を行ったところ,頂部から30mの厚さで軟弱な関東ローム層が分布し,3月11日の大震災発生により,地盤の緩みが発生し,この地盤全体の緩みにより透水性が上昇していたところに,台風15号による豪雨やそれ以前の雨水の作用により,強度が低下した地盤に多量の地下水が涵養されたこと,さらに崩落2時間前にも震度2の地震もあり,地盤のせん断強度が著しく低下したために,大規模崩落が発生したことがわかりました。
 改めて,確実な施工効果のある対策工の検討作業が開始されました。お丸山は,中世の城郭址で市の指定文化財にもなっており,なるべくなら原形を留めておきたいといった想いもありましたが,ゆるんだ土砂の排土が最も効果的との検討結果を踏まえ,全体的に法面勾配を緩くする工法を選択しました。また,表層崩壊の抑制のため法枠工の施工,地下水湧出部の補強のため,支持層までアンカー工の施工,さらに地下水を排除するため,横ボーリング工の施工など,新たな工法が決定しました。まずは,崩落斜面がより安全になるよう,頂部の不安定土砂の取り除き作業から始まりました。作業員の皆様には不安定な足場で,危険を感じながらの作業が進められており,本当に頭の下がる思いです。
 お丸山の復旧には,まだまだ時間を要することになり,避難されている市民の皆様には,長期間の避難で大変ご迷惑とご負担をかけることとなりました。県当局の皆様には大変お世話になりますが,梅雨期を迎える前に一定の安全が確保され,何とか避難解除が発令できれば,ありがたいと思っております。

復旧計画断面図 不安定な現場での作業状況

8.再生お丸山
 本市では現在,有識者や市民代表を交えた,お丸山の再整備検討委員会を立ち上げ,地域づくり,街づくりも視野に入れた復興計画ができるよう,委員の皆さんに検討をお願いしているところです。
 喜連川地域には,喜連川公方の城下町としての歴史的景観が数多く残されています。これらの魅力をあらためて内外にアピールし,訪れる人々にとっても住む人々にとっても,心地よい街づくりを目指すための,シンボルであるお丸山再整備が,その先駆けとなればよいと考えております。

9.おわりに
 最後に,東日本大震災を経験し,防災対策の更なる強化が今後の課題であると改めて認識いたしました。原発事故等への対応等を含め,防災計画の見直しが必要であると考えております。
 国土交通省,栃木県をはじめ関係機関の皆様に多大なご支援をいただき,砂防施設づくり事業や災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業の採択,そして,速やかに事業に着手していただきましたことを心より感謝を申し上げます。
 安心・安全のまちづくりを目指してまいりますので,今後とも皆様のご指導ご支援をよろしくお願い申し上げます。