平成23年3月11日東日本大震災をふり返って

高橋克法(Katsunori Takahashi,栃木県塩谷郡高根沢町長)

「砂防と治水205号」(2012年2月発行)より

1.高根沢町の概要
 高根沢町は東京から約100km、栃木県の県都宇都宮に隣接する人口約30,000人ののどかな町です。東西約11km、南北約12km、面積70.9km2の町域はその6割程度を農用地が占め、町中央部に広がる広大な水田地帯では「コシヒカリ」や栃木県の新ブランド米「なすひかり」など良質な米を生産し、日本国内はもとより海外へも販路を拡大しているところです。また、梨の「にっこり」やイチゴの「とちおとめ」など贈答用としても人気のある果物の生産も盛んで、町内の農産直売所は新鮮で美味しい農作物を買い求める多くの買い物客で賑わっています。町の玄関口であるJR宝積寺駅とそこに隣接するちょっ蔵広場は世界的建築家・隈研吾氏によってデザインされ、農業で栄えた町の歴史を感じさせながらも斬新でモダンな姿に生まれ変わりました。その風格あるたたずまいは国内外から高く評価され、毎年多くの団体が視察に訪れています。駅周辺から南へ目を向けると日本のシリコンバレーと称される情報の森とちぎが立地しており、IT関連企業が最先端の技術開発を行っています。

 町の地勢は大きく4つに分類されます。東側には福島・茨城・栃木県境から連なる八溝山系の丘陵が縦走し、中央部の平地を占める広大な水田を見渡せる地形となっています。西側の宝積寺台地はJR宝積寺駅を中心に住宅や商店が密集した町の中心市街地、西側には利根川水系の1級河川である鬼怒川が流れており、宝積寺台地と衣川に挟まれた沖積低地には豊かな農地が広がっています。


位置図

2.地震発生時の状況
 3月11日午後2時46分頃、東北地方太平洋沖を震源とする巨大地震が発生しました。本町でも震度6強の非常に強い揺れを観測し、役場本庁舎では人が立っているのもやっとの状態で棚や物が倒れたり建物に亀裂が入ったりしました。町内では8名の負傷者があったもののいずれも軽症で不幸中の幸いでありましたが、住宅は全壊7棟、半壊713棟、一部損壊が2,475棟にのぼり、ブロック塀等の損壊も1,091箇所を数えるなど、深刻な被害をうけました。
 地震発生直後に役場内に災害対策本部を立ち上げ、同時に町内10箇所に避難所を開設いたしました。町では毎年災害対応訓練として実際に人を動かしながら避難所の開設や復旧作業手順の確認をしており、平成22年度の訓練は地域住民も参加して12月に実施したばかりでありましたが、地震で混乱した状況の中では必要最低限な情報収集さえ思うように出来ず、人員の配置や物資の補給、避難所との連携は想像以上に困難なものとなりました。電気や水道は地震発生と同時に完全に止まってしまい、多くの住民が水や食料、毛布などを求めて避難所へ向かっていましたが、停電の影響で交差点は信号機が働かず、まだまだ大きな余震が続く中で崩れた大谷石や屋根瓦が散乱する道路を通行しなければならないなど二次災害の危険が非常に高い状況が続きました。

3.被害状況
(1)町全体の被災状況
 先にも述べたとおり、この地震で町は深刻な被害を受けました。道路の被災箇所は法面崩れや路面の亀裂、陥没、たるみなど合わせて62箇所にのぼり、そのうち9箇所を通行止めとしました。町の基幹産業である農業は、田畑が土砂に埋没したり用排水路が破壊されたりするなどの直接的な被害のほか、停電の影響でハウス栽培のトマトに低温障害が起きたり、牛乳加工施設の休業によって搾乳を廃棄せざるを得なかったりするなど、計19件の被害がありました。町有施設では役場本庁舎をはじめ駅前のちょっ蔵広場、町営住宅、上下水道、公園など21の施設で被害が確認されました。町内の小中学校8校は前年に耐震工事を完了させたばかりでしたが、免震装置が破壊され、地震のエネルギーのすさまじさを思い知らされました。児童生徒の命を守れたことに一時は安堵いたしましたが、これらの施設の中には避難所として指定していた場所もありましたので、災害時には即、応急危険度判定を行わなければならないことも痛い教訓として学ぶこととなりました。給食センター施設設備にも大きな被害があり、学校の再開後も給食が再開できずに弁当を持参しなければならないという事態になりました。これら教育施設は8校1保育園、その他6箇所で計55件の被害が報告されました。

(2)地震による土砂災害
 今回の災害で特に大きな被害を受けたのは上高根沢山の下地区、上柏崎地区(台新田地区)、宝積寺平和台地区の3箇所です。広範囲にわたる地割れや斜面崩落が発生し、家屋、道路、農地、山林などに甚大な被害が生じました。住民に対して避難勧告を発令するとともに栃木県において直ちに地盤伸縮計やパトライトなどの警報装置を設置していただき、地域住民の安全を確保した上で被害拡大防止の緊急対策工事に着手することとなりました。山の下地区及び上柏崎地区に対しては災害関連緊急地すべり対策事業、宝積寺平和台地区に対しては災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業により、現在工事が行われているところです。
@上高根沢山の下地区
 上高根沢は高根沢町の南部を占める地域ですが、上高根沢の南西部、隣の芳賀町との境付近は高台となっており、2町にまたがって本田技術研究所のテストコースが作られています。山の下地区はその崖裾に沿う形で立ち並ぶ家々で構成された集落で、急傾斜地の崩壊の危険があることから急傾斜地崩壊危険箇所「山の下A」として県の土砂災害警戒区域の指定を受けております。
 震災当日に地元住民より通報を受け、現場に駆けつけた職員が崖に亀裂が入っていることを確認しました。しかし電気や水道が全て止まってしまっている状況の中で、まず優先すべきことは人命に直結する避難所の立ち上げやライフラインの復旧でした。当時の天気は小雪もちらつく曇天、夕暮れ時の薄暗い中で、雨水混入などによりこれ以上地盤が緩むのを防ぐために亀裂をブルーシートで覆う応急処置を施すのが精一杯でした。
 地震後丸一日経ってようやく電気が復旧し、次いで2日後の13日に水道が全面復旧いたしました。職員が町内全域の被災状況の確認にまわれるようになったのはこの頃です。そこで初めて、山の下Aの亀裂の範囲とこれまでに見たこともない大規模な地割れがはっきりと確認されました。また、相次ぐ余震により徐々に亀裂が拡大していることが確認され、専門家に判断を仰いだ結果、3月16日13時、13世帯49人に避難勧告を発令しました。
A上柏崎地区
 高根沢町東側の丘陵を縦断する町道434号線、その道路を挟んだ西側にあるのが上柏崎地区です。タツ街道と呼ばれた町道の両側には古くからの集落があり、道路東側の亀梨地区と併せて地元では台新田地区と呼ばれています。台新田地区の宅地は多くが道路を中心に住宅、庭、納屋(もしくは納屋、庭)の順で利用されており、その先は急な斜面となっております。
 台新田は町内でも特に被害の大きかった地区であり、住宅の全壊や大規模半壊などが見られました。上柏崎の崖の崩落も地区を見上げる道路から地震直後に発見されておりましたが、宅地内の被災状況について詳細なところは不明のまま数日が過ぎておりました。地震発生から数日後、住民から宅地内地割れの通報を受けて調査を行い、上柏崎側だけでなく亀梨地区側でも斜面の崩落と大規模な地割れが起きていることが確認されました。住民の安全を第一に考え、18日13時30分に避難勧告を発令。震度4以上の余震が続き、宅地内の地割れからさらに住宅を巻き込むような斜面崩落に発展してしまうのではないかと地元の不安が高まっておりましたが、19日に国土交通省の緊急災害対策派遣隊「TEC-FORCE」のチームが到着、専門的な立場から詳細な調査とクラック処理などの応急対策のご助言をいただき大変心強く感じました。

上柏崎地区建物倒壊状況:手前は墓石。奥の妙顕寺本堂は全壊し、基礎の上に屋根だけが残っている 上柏崎地区法面崩壊状況:画面中央部よりやや下に、がけ崩れに巻き込まれた軽トラックが見える

B宝積寺平和台地区
 宝積寺平和台地区は宝積寺駅から南へ約1kmほどのところに位置する地区です。JR宇都宮線の西側にそって町道375号線が走り、道路の西は鬼怒川河川敷を望む崖に接しています。こちらも上高根沢山の下と同様に急傾斜地崩壊危険箇所「平和台A」として県の土砂災害警戒区域の指定を受けている箇所です。
 町道375号線に面した倉庫は、その下の地盤の一部ががけ崩れによって失われてしまい、基礎が宙に浮いて建物が大きく傾いていました。高さ25m、幅245mにわたり崩れた土砂によって付近の農業用排水路や水田が埋没し、中坂地区の下に位置する農地は結果的に平成23年度の作付けを諦めざるを得ませんでした。町道375号線の通行に大きな支障は無かったものの、その法面を斜めに下る町道119号線との間は法面の上にある宅地内に大きな地割れが見つかり、万が一崩落すれば町道119号線を塞ぐ恐れがありました。
 町道119号線は即通行止めとし、宅地内の地割れに関してはブルーシートで養生する応急処置を施して現場の監視を続けておりましたが、度重なる余震により亀裂が徐々に開いていったため、25日10時、5世帯20人に避難勧告を発令するに至りました。

宝積寺平和台地区:倉庫下の地盤が崩れおちてしまい、建物が浮いてしまっている

4.震災後の取り組み
(1)対策工事
 前述3地区はそれぞれ3月末にボーリング調査が行われ、5月下旬から排土工に着手することとなりました。住宅が近接するなどの理由で排土後の斜面に安定勾配のとれない箇所では法面上部に吹付法枠工を採用し、表層の滑落防止を図ることとしました。法面下部は関東ローム層を貫く深さまでアンカーを打ち込み受圧板を設置して地山と固定、法尻は場所によって大型ふとんカゴ工と押え盛土工により地すべりの運動を抑制する計画となっています。これらの復旧費は13億円を超すものとなりました。今回の地震のように被害が大規模になると町単独での復旧は極めて困難な状況であり、県施工による国庫補助事業が採択されたことによって着実に復旧が進んでおります。

(2)災害時相互協定
 東日本大震災という名称の示すとおり、今回の震災は過去に例のないほど広範囲にわたって被災しました。高根沢町では備蓄している緊急物資が不足した場合に流通備蓄品で対応できるよう、近隣の小売業者や運送業者と協定を結んでおりましたが、今回の震災においては東日本全体で生活物資が不足している状態が続き、調達が非常に困難でありました。そこで、同時被災の心配のない遠隔地の自治体同士が相互支援協定を結び、財政負担を最小限に抑えつつ備蓄物質を確保できる体制を整えることにいたしました。現在、長崎県雲仙市と協議を始めたところでありますが、今後も多くの自治体と協定を結ぶ準備に入っていきたいと考えています。

5.おわりに
 地震から9ヵ月後の12月11日、平成23年度の災害対応訓練が実施されました。これまでの訓練も実際に起こりうる事態を想定していたつもりでありましたが、停電の影響で一切の通信機器が使えなくなる状況や避難所そのものが被災する事態までは想定しておらず、今回の訓練においては住民の協力のもと各避難所に無線機を配備したり避難所立ち上げの際に応急危険度判定を行う訓練を盛り込みました。また、災害弱者といわれる高齢者や障害者に対する連絡体制の強化を図り、町在宅福祉ネットの組織を利用した安否確認の手順を確認しました。しかし、どれだけ多様なケースを想定していたとしても、実際の災害では思いもよらない事態が発生することを忘れてはなりません。人員の配置などソフト面の対策と同時にハード面においても被害を最小限にとどめるため必要に応じた整備を進めてまいります。
 最後になりましたが、今回の震災では国、県並びに関係機関の方々に迅速な対応とご支援をいただきましたことをこの場をお借りして深く感謝申し上げます。また、自ら被災したにもかかわらず復旧作業にあたった地元土木業者、支援物資をご提供くださった地域住民の方々の暖かいご支援などにより復興への力強い一歩を踏み出すことができました。今後とも、安心・安全なまちづくり施策を進めてまいりますので、皆様方のご支援ご協力をお願い申し上げます。