土砂動態 CD-ROM 収録内容 解 説
映像No.1〜4 5〜9 10, 11, 12, 13〜16 17〜19 20, 21〜24, 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31
映像No.1〜4
姫川水系浦川金山沢(長野県小谷村)
姫川は長野県と新潟県を流れて日本海に注ぐ急流河川です。1911(明治44)年、姫川の支流の浦川の上流にある稗田山(ひえだやま)という山が大崩壊を起こし、下流の姫川をせき止めて大災害が発生しました。この時に崩れた土砂の量は約1億m3(東京ドーム約80杯分)といわれており、安倍川(あべがわ)最上流部の大谷(おおや)崩れ(静岡県)、北アルプス立山の鳶(とんび)崩れ(富山県)とともに、「日本三大崩れ」の一つと呼ばれています。
 土石流は、上流で崩れた巨大な岩や土砂が水と一緒になって一気に流れ下る現象で、No.1及び2の映像では、それまでほとんど流れのなかった川が突然水かさを増します。また、映像では、流れの先頭に大きな岩が集まっているのが解り、これが非常に大きな破壊力を持っています。
 姫川はひすいの産地としても有名で、河口の新潟県から富山県にかけての海岸一帯は「ひすい海岸」と呼ばれ、上流から流れてきたひすいを探すため多くの人々が訪れます。

No.1 No.2 No.3 No.4

映像No.5〜9
信濃川水系焼岳上々堀沢(長野県安曇村)
No.5
焼岳のふもとに広がる上高地には、日本を代表するすばらしい景色と豊かな自然を求めて多くの観光客が訪れます。この上高地のシンボルといえるのが「大正池」ですが、実はこの池は1915(大正4)年に焼岳が噴火したときに、泥流(大量の火山灰が川の水と一緒になって一気に流れてくる現象)により梓川(あずさがわ)がせき止められてできた池なのです。
 上々堀沢は、焼岳からこの大正池に流れ込む渓流の一つで、少しの雨が降ってもすぐに土石流が発生します。土石流は長い間「幻の土石流」と呼ばれ、研究者でも実際にその姿を見た人は非常に少なかったのですが、40年ほど前にこの上々堀沢で発生した土石流が撮影されてから、日本の土石流の研究は大きく進歩しました。
 これらの映像は、上流の渓流に電線を張っておき、土石流が発生してこの電線が切断されるとカメラが撮影を始めるような仕組みで記録されています。
 No.9の映像では、土石流対策として工夫された「底面水(ていめんみず)抜(ぬ)きスクリーン砂防(さぼう)堰堤(えんてい)」が効果を発揮します。土石流は水と岩や土砂が一体となって流れてきますが、この堰堤は川底の部分が「すのこ」のような構造になっており、土石流が流れてきたときに水だけが「すのこ」の部分を通り抜けて分離されるため、土石流の勢いが一気に弱くなっているのがよくわかります。
また、平地部を流れる洪水と違って、水の量に比べて、岩や土砂の量が多いのがわかります。同時に、土石流は1回で終わることなく、映像では2回、3回と立て続けに流れてくることがあることが、解ります。
 上々堀沢をはじめとする焼岳の渓流からは、現在でも大量の土砂が大正池に流れ込んでおり、自然によってできた大正池も、いつの日か自然の力によってなくなってしまう運命にあります。
No.6 No.7 No.8 No.9

映像No.10
信濃川水系八ヶ岳大岳川(長野県八千穂村)
No.10
八ヶ岳山麓の大岳川で発生した土石流を、取材中のNHKのヘリコプターが偶然とらえた映像です。この時崩れた土砂の量は約70万m3(東京ドームの約半分)といわれています。画像が始まってから25秒ぐらいのところで、土石流の中から突然煙が上がっていますが、これは、流れの中の岩どうしがぶつかり合って火花を散らしている様子です。
丁度、流れの中央部の速度が速く、蛇の頭のような形をしており、また蛇が鎌首を持ち上げて流れているように見えます。昔話に、大蛇や竜の話がでてきますが、このような土石流を例えて言うことで、土石流の恐ろしさを後世に伝えたのではないかと思われます。

映像No.11
木曽川水系王滝川鈴ヶ沢(長野県王滝村)
No.11
1984(昭和59)年9月14日、木曽御嶽山(おんたけさん)のふもとにある長野県王滝村の直下で発生した「長野県西部地震」では、激しい震動により山の至る所で山崩れや土石流が発生し、29名の死者を出す大災害となりました。 
 雨だけではなく地震によって土砂災害が発生することは、関東大震災をはじめ過去の記録からは知られていましたが、科学技術が発達してからこれほど大規模な災害が観測されたのは初めてのことで、地震による山崩れや土石流の発生の仕組みなどがこの災害をきっかけに少しずつわかってきました。その後の阪神淡路大震災や新潟県中越地震でも地震により数多くの土砂災害が発生しており、土砂災害対策の新たな課題となっています。
 この映像で、どんなに立派な森でもひとたび土石流に襲われると、なぎ倒され、これらが流木となって下流に流れ、橋でひっかかるなど、かえって災害を大きくする原因となる場合もあることがわかります。植生が土砂災害を防止する力にも限界があることを知る必要があります。
 この土石流の映像は、王滝村の被害状況を取材していた地元放送局のヘリコプターが偶然撮影したもので、全国にも放映されて大きな反響を呼びました。

映像No.12
神通川水系平湯川白谷(岐阜県上宝村)
No.12
平湯川はNo.5〜9の上々堀沢とは焼岳をはさんで反対側にある渓流です。この地域も焼岳の火山活動の影響を受けて地質がもろく、明治時代の外ヶ谷(そとがたに)の大崩壊や、1979(昭和54)年の洞谷(ほらだに)の土石流など数多くの土砂災害が発生しています。なかでも洞谷の土石流災害は死者2名、行方不明者1名をはじめ多くの家屋にも被害を出す大災害となりました。
 上宝村は奥飛騨温泉郷として全国的に有名ですが、このように、温泉の恵みと火山活動やそれに伴う土砂災害は背中合わせの関係にあり、まさに砂防事業がこの町の発展を支えてきたのです。このため、旅館の女将さんたちを中心に、安全で住みよく、観光客も安心して訪れることのできるまちづくりを目指して「奥飛騨女性砂防サポーターの会」が結成されるなど、地域の皆さんと一体となって豊かで時には厳しい大自然とともに暮らしていくため、色々な取り組みをしています。

映像No.13〜16
富士山大沢川(静岡県富士宮市)
富士山の美しい姿は、日本だけではなく世界中の人々から愛され、親しまれています。しかし、40年くらい前に、この美しい富士山が二つに割れてしまうと大騒ぎになったことがありました。
 富士山からは大小多くの渓流が流れ出していますが、その中で一番大きな「大沢崩れ」をそのまま放っておくと、崩れが山頂まで達して美しい姿が変わってしまうというのです。実際にはすぐに富士山が真っ二つになるということはないということがわかりましたが、この大沢崩れの崩壊が進むのを少しでも食い止め、下流の土砂災害を防ぐために、1969(昭和44)年から国による対策工事が進められています。
 また、富士山は過去に大きな噴火を起こした活火山です。もし噴火すれば、山麓一帯に大量の火山灰が降り積もり、道路や鉄道が通行できなくなったり、土砂災害が発生する危険もあります。このため、静岡県、山梨県や神奈川県などでは、噴火が起こった場合にどんな被害がどれぐらいの範囲で発生するかなどの調査を進め、国や山麓の市町村と協力して、その成果をハザードマップとして作成して公表しています。
No.13 No.14 No.15 No.16

映像No.17〜19
木曽川水系滑川(長野県上松町)
木曽川は日本を代表する大河川の一つですが、古くから洪水被害に悩まされてきました。当時の明治政府はオランダから多くの土木技師を招き、都市の近代化を進めましたが、その一人にヨハネス・デレーケという人がいました。
 デレーケは全国各地の河川を調査し、下流の洪水被害を防ぐためには、上流の山地を守ることが大事だと訴えました。このため、木曽川でも明治時代の初め頃から、樹木を伐採することが規制されたり、植樹が行われるとともに、砂防工事も始まりました。
 デレーケはその後約30年間にわたって日本にとどまり、全国各地の河川・砂防工事などの指導を行いました。彼の指導を受けて作られた「デレーケ堰堤」も各地に残され、地域のシンボルとなっています。
 No.18の映像では、巨大な岩が先頭になって火花を散らしながら押し寄せてくる土石流の威力がよくわかります。このとき流れ出した土砂の量は約7万m3にも及ぶ大規模な土石流でしたが、平成元年に完成した滑川第一砂防堰堤が機能を発揮して土石流を食い止め、下流には被害がありませんでした。
No.17 No.18 No.19

映像No.20,30
雲仙普賢岳(長崎県島原市)
1990(平成2)年11月17日、雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火し、火山活動を再開しました。翌年2月には新しい火口ができ、噴煙と溶岩が断続的に噴出し、山頂には「溶岩ドーム」と呼ばれる溶岩の巨大な塊が現れました。
 この溶岩ドームは、地中から次々上昇してくる新しい溶岩に押し出される形で何度も崩れ、今まで火山学者の間でしか知られていなかった「火砕流(かさいりゅう)」という現象がたびたび発生しました。火砕流は、溶岩ドームが崩れるときに高温の溶岩や火山灰、そして溶岩の中に含まれている高温の火山ガスなどが混じり合って、時速100〜200kmという猛スピードで流れ下る、恐ろしい現象です。
 No.30の映像は1991(平成3)年6月3日に発生した大規模な火砕流で、ふもとにいた火山学者やマスコミ関係者、避難を呼びかけに来た消防団の人たちを飲み込み、一瞬にして43名の命が奪われました。また、火山地域での災害の特徴として、これらの火砕流により山腹に降り積もった火山灰は、雨により土石流となって下流に流れ出します。この地域では、何回も襲ってくる土石流で2,000棟近い建物が被害を受けました。
 現在では噴火活動も収まり、対策工事もほぼ完成しています。また、泥流により広い範囲で人家が飲み込まれた安中(あんなか)地区では、再び災害を受けないよう、工事で発生した土を使って地盤を高くし、新しい町として生まれ変わっています。
No.20 No.30

映像No.21〜24,31
桜島持木川、野尻川(鹿児島県鹿児島市)
No.21
鹿児島湾に浮かぶ桜島は、元々は独立した島でしたが、1914(大正3)年に溶岩が流れ出して大隅半島と陸続きになるなど、日本でも最も活動が盛んな火山の一つです。最近60年くらいは溶岩の流出こそありませんが、毎年に100〜200回以上の大小の噴火を繰り返し、大量の火山灰や噴石が周辺住民の方々の生活に大きな影響を与え続けています。
 また、火口から半径2kmの範囲は噴石などが飛んでくるため立ち入り禁止となっており、砂防工事によって土石流の発生を大元で食い止めることができないため、わずかの雨でも(極端な場合は山頂付近だけで雨が降っているときでも)すぐに土石流が発生する状況が続いています。
 No.21の映像の土石流では、撮影場所では雨が降っていないため、土石流が川岸や川底と摩擦を起こして水蒸気(湯気)を上げながら流れてくる様子がよくわかります。
 また、土石流は直進性が強く、No.23の映像では、流れが曲がっているところでもまっすぐ流れようとします。低い尾根なら乗り越えて被害を大きくする場合もありますので、このように、しっかりと土石流の流れる流路を作っておく必要があります。
No.22 No.23 No.24 No.31

映像No.25
上茶路(北海道白糠町)
No.25
1985(昭和60)年6月18日、北海道白糠町で地すべりが発生しました。地すべりの幅は上部で約250m、末端部で約500mあり、長さは約250mという規模のものでした。人家等への直接的な被害はありませんでしたが、生々しい土砂の移動の様子がよくわかる映像となっています。また、樹木の根が浅く、根の届かない深いところからの崩壊にはほとんど無力であることもよく判ります。

映像No.26
地附山(長野県長野市)
No.26
長野市街地の北西にある地附山(標高732m)で、1985(昭和60)年7月26日、大音響とともに大規模な地すべりが発生しました。地すべりの幅は約500m、長さは約700mで、崩れた土砂の量は約500万m3(東京ドーム約5杯分)といわれています。
 この災害では、地すべりがふもとの老人ホーム「松寿荘(しょうじゅそう)」を直撃し、26名のお年寄りが犠牲になり、50戸以上の家屋が失われました。この映像も全国ニュースで放送され、自然の力の大きさは全国の人々に衝撃を与えました。
 最近の自然災害ではお年寄りなどが犠牲になる場合が特に多く、土砂災害を見ても、最近の5年間の死者・行方不明者のうち災害時(さいがいじ)要援護者(ようえんごしゃ)(高齢者や乳幼児、入院患者など災害時に自分の力で避難することが難しい人々)の占める割合は過半数を占めていますが、全国的に災害時要援護者への対策が注目されるようになったのはこの災害がきっかけです。

映像No.27
猿なぎ洞門(長野県安曇村)
No.27
1991(平成3)年10月18日、梓川の猿なぎ洞門付近で、大規模ながけ崩れが発生しました。幅が60〜65m、高さが65mの崩壊で、国道158号線に設置されていたロックシェッドを完全に破壊しました。
 大きな土砂の塊が落ちてくる前に、パラパラと土砂が落ちてきているのがわかりますが、これを前兆現象といいます。前兆現象とは、土砂災害が発生する前の危険信号のようなものであり他にもいろいろありますが、こういった現象を見かけたら早めの避難を心がけましょう。その他の前兆現象としては、湧水が噴出したり、いつもの湧水がにごりだしたりすることなどがあげられます。

映像No.28
手取川水系牛首川柳谷(石川県)
No.28
牛首川流域の柳谷では、渓流内にあるたくさんの土砂が下流に流出するのを防ぐとともに、白山の南西部、標高1,200〜2,600mの範囲で発生している甚之助谷地すべりを下側から押さえるために、階段状に堰堤を設置しています。しかし、柳谷は荒廃が著しくかつ勾配が非常に急であるので、土石流が発生する危険性が高く、また、落石等の恐れもあることから、現場の安全を確保するために、日本初の大型無人クレーンを用いた無人化施工を行っています。
 無人化施工を行っていたことにより、工事中でのこのがけ崩れによる人的被害を回避することができました。

映像No.29
有珠山(北海道壮瞥町)
No.29
北海道の有珠山は2000(平成12)年3月31日、22年7ヶ月ぶりに噴火し、最大で約7,000世帯の人々が避難する大災害となりました。また大量の火山灰が降り積もり、道路が通行不能になっただけではなく、火山灰が雨によって泥流となり被害を大きくする心配もあったため、土砂災害対策も必要となりました。
 工事にあたっては、火山活動が続いている中で作業員の安全を確保するため、無線操縦による無人化機械施工が採用されました。 この機械は雲仙普賢岳災害の際に開発されたもので、作業員はモニターを見ながら、安全な場所から重機を操作することができます。
 有珠山では前回の噴火の翌年(1978(昭和53)年)に大規模な泥流が発生して3名が亡くなっています。有珠山周辺は温泉や洞爺湖など豊かな自然と景観に恵まれていますが、一方ではこのような災害の危険性といつも隣り合わせの生活です。
 日本には、活火山が108あります。それは、世界の活火山の1割を占めています。このように火山国でもあり、地震も多く、台風や豪雨に加えて、狭い国土の中でたくさんの人々が生活している日本では、自然とともに安全に暮らしていくことがこの有珠山だけではなく全国的な課題となっています。


土砂動態 CD-ROM
発行(社)全国治水砂防協会
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土砂動態 CD-ROM 収録内容 解 説