SABO NEWS LETTER  No.39 2000/10/31


5. 日蘭交流400周年記念シンポジウム
「デ・レイケと常願寺川」開催結果について



 日蘭交流400周年記念シンポジウム「デ・レイケと常願寺川」が去る10月7日、富山市において開催され、一般市民、行政機関の担当者など約500名が参加しました。このシンポジウムは、暴れ常願寺川に挑んだオランダ人技術者デ・レイケの偉業を振り返りながら、治水・砂防事業の意義を確認し、今後の地域づくりに活かすために催されたものです。

 デ・レイケは明治6年に来日し、淀川・木曽川などで土砂流入防止を重視した河川改修工事を指導し成果を挙げていました。洪水・土砂災害に苦しみ、県の予算の7割以上を治水対策に注がざるを得なかった富山県は、デ・レイケを招請しました。デ・レイケは常願寺川の河口から立山カルデラを含む源流部まで踏査しましたが、荒廃した立山カルデラに対しては「富山県の全財力をもってしても、砂防事業は無理である」と述べるにとどめ、下流河川に対して「用水取入口の一本化」「霞堤の配置」「白岩川との分流」を計画しました。これらの動きの中で「治水論」を著した「北陸政論」の主筆・西師意(にし もろもと)はデ・レイケに対して論争を挑み、そして、この論争が常願寺川の治水対策の重要性や難しさを人々に知らしめるに大きな効果をもたらしました。

 シンポジウムには、会場の収容能力を上回る500名もの参加者が訪れ、デ・レイケに対する富山県民の関心の高さが伺われました。来賓として森砂防部長、白波瀬北陸地方建設局長のご出席をいただきました。また、会場へは西師意の孫にあたる西師敬(にし もろよし)氏と星野直子氏にもお越し頂きました。

 特別講演として東京大学生産技術研究所顧問研究員の上林好之氏から「川ではない滝である−その発言の真意−」と題してご講演を頂きました。上林氏は常願寺川を「滝」と表現したのは、当時の県職員だったとの考えについて披露されました。

 パネルディスカッションでは実行委員長伊藤和明氏によるコーディネートのもと、上林好之氏に加えて、郷土史研究家の前田英雄氏、(財)砂防・地すべり技術センター砂防技術研究所長・理事の池谷浩氏をパネリストに迎え、VTRや参加者へのインタビューなどを交えながら、デ・レイケが富山入りした経緯や常願寺川上流部の視察状況、改修計画の内容や西師意との論争などについて意見が交わされました。


(上記に関するお問い合わせは、建設省立山砂防工事事務所調査課まで)