一般社団法人全国治水砂防協会 沿革


 第一次大戦後の世界的な不況は、昭和4年(1929)の世界大恐慌により最高となり、日本経済の最も弱い農村は危機に直面しました。 この時政府は、農村振興のための土木事業を主体とする、時局匡救土木事業の予算を増額し、農村を中心に大規模な土木事業が展開されました。
 砂防事業は、多額の用地費を必要とせず、また材料費を除く大部分が労務費となり農村の雇用機会の創出など、農村救済には最適であるとして (現在においても当てはまる) 砂防予算は大幅に増額されました。

 昭和10年にこの農村匡救土木事業が終了し、砂防事業費が大幅に減額されましたが、昭和9年の室戸台風の災害発生時に、砂防施設の効果を目の当たりにした長野県議会議員が、市町村長の意を帯して内務省に赤木正雄博士(後に文化勲章を受賞)をたずね砂防事業の減額反対の相談をしました。

 もともと砂防事業の重要性を説いていた赤木博士は、砂防事業に対する国民の理解を深め、正しい国民世論の結集によって、今後の砂防事業の発展を図るほかないと、直ちに砂防協会を結成する事とされ、昭和10年1月に任意団体として全国治水砂防協会(以下 砂防協会)は発足、昭和13年には23県に支部が設置され、昭和15年4月2日社団法人化されました。 当時の記録では、支部数35、会員数2,609となっております。

 その後、赤木博士が「協会の永続発展のためには、維持の財源を会費だけに依存するのは危険であり、協会の独立自存のため」、また「砂防協会の総会などの行事が自前ででき、しかも会員の便宜のため」独自の会館が必要であると考え、昭和32年に砂防会館は建設されました。(関連記事-砂防会館の歴史)

 建設までに多くの紆余曲折がありましたが、赤木博士の血と汗の滲む努力、当時の協会役員や会員の皆様の大変な熱意とご協力により完成いたしました。

 現在の砂防協会は、平成25年(2013)4月1日、一般社団法人全国治水砂防協会に移行しました。
新しい定款では、目的は「本協会は、砂防に関する必要な方策を考究するとともに、広く国民に砂防に関する認識を深め、砂防の促進により国土の保全及び土砂災害の防止を図り、もって公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。」としており、設立当初の理念と全く変わっておりません。
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